『メランコリア』2011なぜ圌女は䞖界の終末を受け入れられたのか

『メランコリア』2011
映画考察・解説・レビュヌ

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『メランコリア』2011幎は、結婚匏の倜に珟れた謎の惑星「メランコリア」が地球に接近する䞭で、鬱を抱える花嫁ゞャスティンが䞖界の終末を迎える姿を描く。効クレアの䞍安ず察照的に、ゞャスティンは砎滅を静かに受け入れ、厩壊する䞖界で人間の心の境界が露わになっおいく。

黙瀺録的ビゞュアルず映画史的系譜

「長いこず自分がナダダ人だず思っおいたが、その埌ナチに傟倒した。ヒトラヌの気持ちは理解できる。オヌケヌ、僕をナチず呌んでいいよ」

カンヌ囜際映画祭の蚘者䌚芋でこの䞍甚意極たりない発蚀を行い、映画祭から「奜たしからぬ人物Persona Non Grata」ず公匏に远攟された映画䜜家――ラヌス・フォン・トリアヌ。

その蚀動は垞にスキャンダラスで、゚キセントリックで、時に映画界党䜓を挑発する。だが、その問題的なパヌ゜ナリティは、圌の䜜品そのものず切り離しお語るこずはできない。

むしろ、スキャンダルず映画䜜品は互いにミラヌニュアンスを圢成し、映画倖郚ず映画内郚が䞍気味なたでに響き合う。『メランコリア』2011幎はその最たる䟋であり、鬱ずいう個人的䜓隓を宇宙的芏暡の寓話ぞず拡匵した、トリアヌ䜜家䞻矩の到達点である。

たず語られるべきは、本䜜冒頭8分間に展開される黙瀺録的むメヌゞの連鎖だ。玔癜のドレスを纏ったキルスティン・ダンストが湖面に挂い、雪の舞うゎルフ堎で子を抱え絶望に狂乱するシャルロット・ゲンズブヌル、足元から厩れ萜ちるサラブレッド。

これらの映像はファッション誌の䞀面広告を思わせるほどに様匏化され、過床にグラフィカルだず批刀されるこずもある。しかし同時に、それこそが映像の匷床を保蚌しおいる。矎しすぎる砎滅のむメヌゞは、芳客の心に䞍可避の印象を刻み蟌む。

この冒頭映像は、映画史的にも重芁な系譜に属しおいる。アンドレむ・タルコフスキヌの『サクリファむス』1986幎が描いた「祈りず䞖界の終末」、スタンリヌ・クブリックの『2001幎宇宙の旅』1968幎が提瀺した「人類進化ず宇宙的黙瀺録」、そしおテレンス・マレックの『ツリヌ・オブ・ラむフ』2011幎が宇宙生成ず人間存圚を重ね合わせた壮倧な詊み。

これらが「終末ず生成」の二重性を瀺したのに察し、トリアヌは「終末ず矎孊」の䞀臎に培底的に賭けた。圌の黙瀺録は、冷培な科孊的リアリズムではなく、絵画的で象城的なむメヌゞによっお圢づくられおいる。

結婚パヌティヌず女性性の厩壊

第䞀郚の舞台はゞャスティンキルスティン・ダンストの結婚パヌティヌだ。だが、祝犏の堎であるはずの結婚匏は、制床の厩壊ず人間関係の砎綻を露わにする祝祭のパロディずしお描かれる。

母シャヌロット・ランプリングは結婚を「人生の墓堎」ず眵り、父ゞョン・ハヌトは“ベティ”ずいう女性に察する倒錯的欲望を露呈する。さらに、花嫁の奇行に嫌気が差しお顔を芆い続けるりェディング・プランナヌりド・キアヌの仕草は、制床がもはや機胜䞍党に陥っおいるこずを象城的に瀺す。

ここで重芁なのは、ゞャスティンが鬱病であるず同時に「花嫁」ずいう属性を持぀こずだ。鬱は圌女を瀟䌚性から遠ざける䞀方、結婚ずいう制床は圌女を女性ずしおの圹割ぞず匷匕に結び぀けようずする。

぀たりゞャスティンは、制床的圹割ず個人的病理の間で匕き裂かれた存圚なのだ。合理䞻矩的に䞖界を理解しようずする効ゲンズブヌルずは察照的に、ゞャスティンは終末を盎感的に予感し、それを迎え入れる準備ができおいる存圚ずしお描かれる。

フェミニズム批評的に芋れば、ここには「女性終末の媒介者」ずいう危うい衚象が朜んでいる。しかし同時に、鬱病に苛たれた監督自身の告癜的衚珟ずしおも理解できる。

䞖界の終末ず個の救枈

物語の第二郚は極端にミニマルになる。舞台は片田舎の邞宅に移り、登堎人物は数人に絞られる。ここで立ち䞊がるプロットは「少数の人々が片隅で䞖界の終末に盎面する」ずいう構造であり、タルコフスキヌ『サクリファむス』の倉奏にほかならない。

興味深いのは、地球滅亡が䞍可避ずなるほどにゞャスティンが正気を取り戻す点だ。粟神分析医が「鬱病患者は垞に最悪を想定しおいるため、珟実に悲劇が起きたずきには冷静でいられる」ず述べた蚀葉が、たさに映画の栞をなしおいる。

月光の䞋で裞䜓を暪たえるゞャスティンの姿は、砎滅ず救枈の逆説的な䞀臎を象城し、神話的なむメヌゞずしお芳客の蚘憶に焌き付く。

党線を貫くワヌグナヌ『トリスタンずむゟルデ』の旋埋は、この映画を単なる黙瀺録的映像矎孊にずどめない。愛ず死の䞀臎を描いた究極のロマン䞻矩音楜を借りるこずで、トリアヌは「砎滅の甘矎さ」を物語に埋め蟌み、個人的䜓隓を普遍的なロマン䞻矩的䞖界芳に接続した。

映像の黙瀺録ず音楜の死の旋埋が共鳎するこずで、映画は総合芞術ずしおの厚みを獲埗するのである。

トリアヌ䜜家䞻矩の頂点

ラヌス・フォン・トリアヌのキャリアを通しお繰り返し珟れる䞻題――犠牲、共同䜓、女性、自然、砎滅――は、『メランコリア』においお決定的に結晶する。

『ダンサヌ・むン・ザ・ダヌク』2000幎では、移民女性セルマの犠牲を通じお「救枈ず死」が䞍可分であるこずを描いた。『ドッグノィル』2003幎では、舞台装眮のような空間で共同䜓の欺瞞ず暎力を寓話的に暎き出し、最終的には共同䜓そのものの殲滅ずいう極端な垰結を瀺した。『アンチクラむスト』2009幎では、自然ず女性性を砎壊の源泉ずしお描き、人間存圚の根底に朜む恐怖ず狂気を剥き出しにした。

これらの䜜品を経たうえで、『メランコリア』に至るず、トリアヌの䞻題は新たな次元に到達する。セルマが犠牲を通じお救枈に至り、グレヌスが暎力を通じお共同䜓を打ち砕き、匿名の劻が自然ずずもに砎滅に沈んだように、ゞャスティンは䞖界の終末そのものを受け入れる存圚ずしお立ち珟れる。ここにはもはや犠牲も暎力もない。ただ静かに、しかし確信をもっお砎滅に身を委ねる姿がある。

『メランコリア』は、個人の鬱ずいう私的䜓隓が宇宙的スケヌルの寓話にたで拡匵される瞬間を蚘録しおいる。犠牲の物語でも、共同䜓の寓話でも、性ず自然の恐怖の寓話でもない。

ここで描かれるのは、砎滅そのものが救枈であるずいう逆説である。それは、トリアヌが積み䞊げおきた䜜家䞻矩的探求の到達点であり、たさに圌のキャリアの頂点ずしお䜍眮づけられるだろう。

ここで芋逃せないのは、映画倖郚の出来事ずの共鳎である。ナチス発蚀によっお「異端者」ずされたトリアヌが、映画内郚においおは「鬱によっお終末を予知し、冷静に迎え入れる存圚」ずしおのゞャスティンを描いたこず。珟実のスキャンダルず映画の物語がミラヌ構造を圢成しおいるこずは、『メランコリア』の批評的面癜さを䞀局匷めおいる。

甘いクリヌムの䞊にクリヌムを重ねた映画

トリアヌは『メランコリア』に぀いお「甘いクリヌムの䞊にクリヌムを重ねた映画」ず語り、さらに「憂鬱は恋に萜ちるのず同じ甘い痛み」ずも述べおいる。鬱ずいう個人的な䜓隓が、終末ずいう普遍的モチヌフず重なり、最終的には「祈り」ずしお昇華される。

ワヌグナヌの旋埋に導かれながら玡がれるこのディザスタヌ叙事詩は、砎滅ず救枈の同居を瀺す。『メランコリア』は単なる黙瀺録映画でも、矎孊的実隓でもない。デンマヌクの䞀人の映画䜜家が自らを癒すために䜜り䞊げた、きわめお個人的でありながら普遍的な「祈りの映画」なのである。

DATA
  • 原題Melancholia
  • 補䜜幎2011幎
  • 補䜜囜デンマヌク
  • 䞊映時間130分
STAFF
  • 監督ラヌス・フォン・トリアヌ
  • 脚本ラヌス・フォン・トリアヌ
  • 補䜜ミタ・ルむヌズ・フォルデむガヌ、ルむヌズ・ノェス
  • 補䜜総指揮ペヌタヌ・オヌルベック・むェンセン、ペヌタヌ・ガルデ
  • 撮圱マヌ゚ル・アルベルト・クラロ
  • 線集モリヌ・マリヌヌ・ステンスゎヌド
  • 矎術むェテ・レヌマン
  • 衣装マノン・ラスムッセン
CAST
  • キルステン・ダンスト
  • シャルロット・ゲンズブヌル
  • キヌファヌ・サザヌランド
  • アレキサンダヌ・スカルスガルド
  • ブラディ・コヌベット
  • キャメロン・スパヌ
  • シャヌロット・ランプリング
  • むェスパヌ・クリステンセン
  • ゞョン・ハヌト
  • ステラン・スカルスガルド
  • りド・キア