『SPACE BATTLESHIP ヤマト』──キムタク版ヤマトはなぜ“珍作”となったのか?
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)は、木村拓哉が主演し、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)の山崎貴が監督を務めた実写版スペースオペラ。アニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)を原作に、放射能汚染で滅亡寸前の地球を救うため、古代進率いるヤマトがイスカンダルへの航海に挑む。
再起動された神話──「古き良き未来」を現代に召喚する試み
木村拓哉は、もともと『宇宙戦艦ヤマト』の熱狂的ファンであった。『SMAP×SMAP』のバラエティ企画で古代進を演じた際、彼は少年のような輝きを見せていた。その“夢”が現実の映画へと転化したのが、山崎貴監督による『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)である。
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)で戦後日本の郷愁をCGで再構築した山崎は、今度は“未来のノスタルジア”を描こうとした。つまり、松本零士が提示した「古き良き未来」というパラドクスを、VFXの力で再現しようとしたのだ。
だがその試みは、想像力の再生ではなく、記憶の模倣に終わる。物語は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)をはじめとするシリーズの名場面をつぎはぎしながら進行する。
真田志郎と斉藤始の自爆、古代守の特攻、デスラー総統との対峙──いずれもファンが期待する“記号”として配置されているにすぎない。脚本の佐藤嗣麻子は、膨大な原典を138分に圧縮するために、構造的な再設計を行った。
森雪を「戦闘機パイロット」に変え、女性像を現代的にアップデートしたことは一見大胆に見えるが、その再構築は表層的だ。彼女の“男勝りな強さ”はキャラクターの刷新ではなく、アクション要素を増幅するための記号に過ぎない。
物語の動機──「地球を救うために愛する者を犠牲にする」という主題──は、『アルマゲドン』(1998年)の模倣的リズムに支配されている。こうして“未来”を描こうとした映画は、過去の断片と他国の記号の集積に堕してしまうのだ。
スペクタクルの空洞──国家とVFXの幻想
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を単なる娯楽超大作と見るのは容易だが、その背後には“国家的妄想”としての構図が潜んでいる。戦艦大和を宇宙戦艦へ転生させるという設定は、戦後日本が抱え続ける“敗戦のトラウマ”をSF的に再神話化する行為に他ならない。
だが、その象徴装置がCGの表層に置き換えられた瞬間、神話はテクスチャとなり、信仰はアニメーション化する。山崎のVFXは確かに精密だが、リアリティの物理的感触を欠いている。
冒頭の地球崩壊シーンにしても、ワンルームの地下シェルターで完結してしまうスケールの矮小さが、壮大な危機を遠ざけてしまう。映像の密度と物語の薄さの落差が、作品全体を“ポリゴンの皮膚”にしている。
観客が触れるのは「質量なき戦艦」、つまりディスプレイ上の幻影だ。さらに特筆すべきは、デスラー総統を鉱物的集合体として描くという改変である。かつての宿命的ライバルはここで“敵”ですらなくなり、抽象的な“悪の概念”に還元されてしまう。
人間的な対立が失われた結果、物語の倫理的重心が崩壊する。デスラーはもはや“顔”を持たない存在であり、彼を撃破する古代進の行為は、明確な意味を失う。
VFXによって精密に再現されたヤマトの船体は、倫理の空洞を漂う象徴船となる。美しさはある。しかしその美は、国家の夢の残骸にすぎない。
キムタクという寓話──アイドルの演技と“個”の消失
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』最大の問題は、木村拓哉という存在そのものだ。彼は古代進を演じているのではなく、“木村拓哉が宇宙戦艦ヤマトを指揮している”のだ。
彼のスター性はキャラクターを凌駕し、役が“演技”としてではなく“再現”として立ち上がる。SMAPのイメージ、テレビ的カリスマ性、完璧な表情──それらが物語世界の外から侵入し、映画の現実を侵食する。
波動砲の発射シーンで彼が放つ「はっしゃー!!」という叫びは、劇的高揚ではなくテレビショーのリフレインとして響く。つまり本作は、『SMAP×SMAP』のパロディ企画が国家的予算で拡張されたメタ・ショーなのである。
軍医の佐渡先生を高島礼子が演じるという“逆転キャスティング”も、ギャグのような演出にしか見えない。猫と酒瓶を抱えた姿は、オリジナルのユーモアを再現するつもりが、単なる奇行として機能してしまう。
人物造形がすべて“記号”に還元されているため、ドラマは生まれない。キャラクターは存在せず、あるのは演出された“テンプレートの群像”だ。
結局、木村拓哉という国民的アイドルが“神話的存在”としてスクリーン上に投影されること自体が、戦艦ヤマトという“国家の亡霊”と重なり合っている。
キムタクがヤマトを操る光景は、まさに戦後日本が抱える“自己再生のファンタジー”の具現化だ。だがその幻想の果てにあるのは、救済ではなく空虚である。山崎貴がCGで再生したのは、未来でも過去でもなく、“再現不能な日本”そのものだった。
- 製作年/2010年
- 製作国/日本
- 上映時間/138分
- 監督/山崎貴
- 原作/西崎義展
- 脚本/佐藤嗣麻子
- 音楽/佐藤直紀
- 製作統括/信国一朗
- 企画/中沢敏明、濱名一哉
- エグゼクティブプロデューサー/飯島三智、阿部秀司、市川南
- プロデューサー/東信弘、山田康裕、石丸彰彦、安藤親広
- 撮影/柴崎幸三
- 照明/吉角荘介
- 録音/鶴巻仁
- 美術/上條安里
- 編集/宮島竜治
- 木村拓哉
- 黒木メイサ
- 柳葉敏郎
- 緒形直人
- 池内博之
- マイコ
- 堤真一
- 高島礼子
- 橋爪功
- 西田敏行
- 山崎努
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