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ステキな金縛り/三谷幸喜

『ステキな金縛り』法廷と幽霊が交錯する、三谷喜劇の臨界点

『ステキな金縛り』(2011年)は、三谷幸喜が監督・脚本を務めた法廷コメディ。妻殺しの容疑をかけられた男の唯一の証人が、落武者の幽霊・更科六兵衛という奇想天外な設定から始まり、弁護士・宝生エミの奮闘を通じて現実と幽界のあわいを描く。笑いと哀しみが交差する物語である。

ベタへの回帰──“笑いの建築家”が踏み出した新たな一歩

三谷幸喜の映画『ステキな金縛り』(2011年)は、彼のフィルモグラフィにおける転換点である。重箱の隅をつつくようにディティールを積み重ね、箱庭的世界の中で精緻な笑いを生成してきたかつての三谷が、50歳を迎えて挑んだのは“構造”よりも“情感”を優先する作品だった。

物語は、妻殺しの容疑で逮捕された男(KAN)の無罪を証明する唯一の証人が、落武者の幽霊・更科六兵衛(西田敏行)であるという、破天荒きわまりない設定に始まる。舞台は法廷。だが三谷が描くのは論理的帰結のドラマではなく、この世とあの世のあわいに生まれる滑稽と哀しみの混成体である。

『ラジヲの時間』(1997年)で見せた脚本至上主義的な完成度、『みんなのいえ』(2001年)の空間コメディとしての構築美──それらを経て、本作は“計算の枠”を超えた場所に立っている。三谷はもはや「笑いの職人」ではなく、「笑いの後に残る静寂」を見つめる作家になったのだ。

法廷という舞台──秩序の崩壊と笑いの転位

三谷にとって、法廷は理性と秩序の象徴である。『12人の優しい日本人』(1991年)では論理と人情のせめぎ合いを描き、『合い言葉は勇気』(2000年)では正義の相対性をコミカルに提示した。しかし『ステキな金縛り』の法廷は、その秩序が最初から崩壊している。

証言台に立つのは、この世の存在ではない落武者の幽霊。彼の姿が見えるのは弁護士・宝生エミ(深津絵里)だけという設定からして、すでにロジックは崩れている。法廷劇でありながら、法の外側──“幽界”という無秩序の領域が侵入してくる。

ここで三谷は、法廷という形式そのものを笑いの装置として解体する。裁判官、検察官、傍聴人。全員が「見える/見えない」という認識の断絶に巻き込まれ、場の論理が瓦解していく。『古畑任三郎』のような推理的帰結は放棄され、かわりに“混沌の共同体”が立ち上がる。

この崩壊のリズムが、三谷流コメディの新機軸だ。彼はここで初めて、「笑い」を緻密な伏線ではなく、“世界が壊れていく過程そのもの”に託している。

ディティールの崩壊──“構築”から“拡散”への移行

『ステキな金縛り』の最大の特徴は、従来の“箱庭的構成”を自ら破壊している点にある。これまでの三谷映画が、閉じた空間の中で台詞と状況のズレから笑いを生み出していたのに対し、本作ではカメラが積極的に外へと出ていく。

温泉旅館、墓場、法廷、天国──場面転換がめまぐるしく、ロケーション撮影もふんだんに用いられる。結果、三谷特有の「密室コメディ的密度」は薄れてしまった。

しかも、安倍晴明の子孫を名乗る安倍つくつく(市村正親)などは、完全に出オチ。論理ではなく“ノリ”で押し切るこの強引さこそ、近年の三谷であり、その凋落ぶりを示すものだ。

かつて彼は笑いの構築家だった。今は、笑いの解体屋である。ディティールへの異常な執着は消え、代わりにジャンルやトーンを自在に混ぜ合わせる“カオスの演出”が支配する。

ミステリーとしての濃度も低い。せっかく得意の法廷劇に持ち込んでいるにも関わらず、そこで繰り広げられるのは『古畑任三郎』的な論理的帰結ではなく、これまたベタなドタバタ劇。

いみじくもKAN演じる容疑者の男が、「あのーだいぶ僕、ないがしろにされてるみたいなんですけど…」と語るとおり(それにしても、なんでKANなんだ?)、物語は彼の無罪証明ではなく、落武者・更科六兵衛の人となりにスポットがおかれ、大騒ぎのうちにドラマは進行する。

ベタの美学──涙と笑いのあわいで

後半、映画はあからさまに人情ドラマへと舵を切る。草彅剛演じる亡き父が、天上から娘の肩を抱くラストシーン──そのあまりの“ベタさ”に苦笑する者も多いだろう。だがこの“ベタ”をどう捉えるかこそ、本作を読み解く鍵だ。

若い頃の三谷なら、このような直情的演出を「安易」と切り捨てたはずだ。だが今の彼は、それを“普遍”として再評価する覚悟を持っている。ベタとは、誰もが知っている感情であり、最も単純で、最も届きやすい表現形式だ。

「複雑さ」から「単純さ」へ。この変化は、三谷幸喜という作家の成熟を意味している。笑いと涙を精密に設計していた彼が、いまやその設計図を破り捨て、観客の“情緒の総体”に直接触れようとしているのだ。

観客を泣かせようとする意図が透けて見えるにもかかわらず、それでも涙腺を刺激されてしまう──その力は、技巧を超えた“真心”から生まれている。三谷のベタは、計算ではなく、齢を重ねた作家の誠実な表現なのだ。

深津絵里の光──笑いの終わりに残るもの

主演の深津絵里は、三谷映画史上もっとも軽やかで、もっとも豊かな存在感を放つ。彼女の天真爛漫な笑顔、突拍子もない動き、台詞のリズム。全てが“現実と虚構の境界”を自在に跳躍する。

三谷のコメディにおいて、彼女は単なる主人公ではない。混沌とした物語を“人間的な体温”で繋ぎとめる要(かなめ)だ。ラストで彼女が歌う「ONCE IN A BLUE MOON」が流れるとき、観客は論理や構成を忘れ、ただ幸福感に包まれる。

この一曲が流れる瞬間、映画は“説明”を捨て、“感情”だけを残す。ここに三谷映画の到達点がある。もはや笑いの伏線も、構造的トリックも必要ない。彼が描きたかったのは、「すべてを赦すような優しい時間」なのだ。

『ステキな金縛り』は、完成度で言えば決して最高傑作ではない。だが、三谷幸喜という作家が「技巧」から「感情」へと越境した記録として、決定的に重要な作品だ。

笑いの構築家が、ベタの聖地に辿り着いたその瞬間──それこそが、この映画の“ステキな奇跡”なのである。

DATA
  • 製作年/2011年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/142分
STAFF
  • 監督/三谷幸喜
  • 脚本/三谷幸喜
  • 製作/亀山千広、島谷能成
  • 企画/石原隆、市川南
  • プロデューサー/前田久閑、土屋健、和田倉和利
  • ラインプロデューサー/森賢正
  • 撮影/山本英夫
  • 照明/小野晃
  • 録音/瀬川徹夫
  • 美術/種田陽平
  • 音楽/荻野清子
  • 編集/上野聡一
  • VFXプロデューサー/大屋哲男
  • スクリプター/山縣有希子
  • 衣裳/宇都宮いく子
  • 装飾/田中宏
CAST
  • 深津絵里
  • 西田敏行
  • 阿部寛
  • 中井貴一
  • 小林隆
  • KAN
  • 竹内結子
  • 山本耕史
  • 浅野忠信
  • 市村正親
  • 草彅剛
  • 木下隆行(TKO)
  • 小日向文世
  • 佐藤浩市
  • 深田恭子
  • 篠原涼子
  • 唐沢寿明