観る者の記憶を呼び覚ます、“遠い日の記憶”という名の魔法
「駆け落ち」という陰湿な言葉が、奥菜恵の口からこぼれると、なぜホワイト・チョコレートのように甘く、それでいて危険な悪戯のように聞こえるんだろう。
小学生にしてはやや成熟したその肢体には、僕が男の子だった頃に女の子に抱いていた不思議な憧憬が秘められている。
『レオン』(1993年)におけるナタリー・ポートマンのように、はたまた『タクシー・ドライバー』(1976年)におけるジョディ・フォスターのように、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993年)の奥菜恵は、まばゆいくらいにオンナである。
「あたしが養ってあげるから大丈夫だよ」という根拠レスかつ主婦関白なセリフには、すっかり頭がクラクラしてしまった。しかし、同時に奥菜恵はまばゆいくらいに少女である。プールで戯れる彼女の笑顔には、誰もが胸に抱いているモノクロームの思い出が詰まっている。
静かな駅の風景、風にそよぐ夏草、夜の学校のプール。そうだ、たしかに僕は覚えている。記憶の片隅におしやられていたあの光景が。
岩井俊二がこの作品にかけたフィルターは、“遠い日の記憶”という名の魔法だ。不特定大多数の共通の記憶を呼び起こす、岩井俊二という作家にだけ許された特別なマジック。
中山美穂、山口智子、松たか子、鈴木杏…。岩井映画のヒロインたちは、みなイノセントな処女性をスクリーンに放射してきた。
その美しさは、ロジェ・バダムがジェーン・フォンダやブリジット・バルドーに眩いくらいの「オンナ」を露出させ、セックス・シンボルに仕立て上げたのとは根本的に異なる。
それは少年が少女を想う時のような一瞬のきらめき。彼はコンマ何秒かの「一瞬」を見逃さない。だから、彼の映像はいつも記憶の底を喚起させるような魅力に満ちている。
もともとこの作品は、フジテレビで放送されていた『If…もしも』(1993年)というドラマシリーズの一編としてオンエアーされたもの。放映後ファンの間で「ものすごいドラマがある」と評判になり、TVやプロモーションビデオで活躍していた岩井俊二は、これをきっかけに一躍注目を浴びることになる。
この作品がなければ『Love Letter』も『スワロウテイル』(1996年)もなかった。全てはここから始まったのだ。
僕が学生だった頃、有楽町の二番館で岩井俊二の特集をやっていて、その時初めてこの作品に出逢った。恥ずかしい話だが、その日の夜に僕は誰もいない小学校に忍び込んでしまった。そして、プールの前にたたずんで水を眺めた。
僕の脳内では、小学校のマドンナが…奥菜恵には似ていなかったけど…漆黒の水のなかを、人魚みたいに泳いでいた。
それは虚像であるはずなのに、肌のきめ細やかさも、息づかいも、何故かどこまでもリアルだった。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、観る者の記憶を呼び覚ます映画なんである。
なに?今回のはお前の思い出話で、全然レビューになってないって?まあ、そういうのもタマにはいいんじゃないですか。そういう気持ちにさせてくれる映画ってことです。
- 製作年/1993年
- 製作国/日本
- 上映時間/45分
- 監督/岩井俊二
- 脚本/岩井俊二
- プロデューサー/原田泉
- 企画/小牧次郎、石原隆
- 撮影/金谷宏二
- 音楽/REMEDIOS
- 美術/柘植万知
- 編集/茶園一郎
- 衣装/高橋智加江
- 山崎裕太
- 奥菜恵
- 反田孝行
- 小橋賢児
- ランディ・ヘブンス
- 桜木研人
- 石井苗子
- 深浦加奈子
- 山崎一
- 田口トモロヲ
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