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ターミネーター3/ジョナサン・モストウ

『ターミネーター3』──なぜ“未来を変える”神話は崩壊したのか?

『ターミネーター3』(原題:Terminator 3: Rise of the Machines/2003年)は、人工知能スカイネットによる人類滅亡の未来を描くSFアクション。サラ・コナーの死後、青年ジョン・コナーは身を隠していたが、女性型ターミネーターT-Xが新たな暗殺任務で出現する。ジョンはT-800と共にケイト・ブリュースターを救出し、迫りくる審判の日を止めようとするが、運命はすでに動き出していた。

「未来を変える」という神話の終焉

『ターミネーター』(1984年)と『ターミネーター2』(1991年)は、科学信奉主義に対する明確な文明批判として構築された、ハリウッドSF映画の金字塔だった。

人間の手によって創造されたテクノロジーが、やがて創造主に反逆するというテーマは、手塚治虫『メトロポリス』の遺伝子を色濃く継承している。

金属質の冷光を放つメカデザインと、血と汗の匂いをともなう肉体的アクション。その融合の中に、ジェームズ・キャメロンは「科学と人間」の断絶を描き出した。

『T2』のラストで提示された「未来は我々の手で変えられる」という台詞は、単なる希望ではなく、“神なき時代の救済”の宣言。しかし、その神話は『ターミネーター3』(2003年)で崩壊する。

キャメロン不在、スタッフ総入れ替え、物語の理念的支柱を失ったシリーズは、もはや“未来”を変えようとはしない。

キャメロンなき世界──工学的理性の崩落

エドワード・ファーロングは薬物依存で降板、リンダ・ハミルトンはキャメロンの伴侶であることを理由に退場。音楽もブラッド・フィーデルからマルコ・ベルトラミへ。すべての構造が解体された状態で、ジョナサン・モストウのもとにシリーズは再始動する。

キャメロンのフィルムが持っていたのは、テクノロジーへの憎悪と陶酔の狭間で燃える“冷たい情熱”だった。だがモストウは、工学的理性よりもアクション的整合性を優先する。

大型クレーン車と消防車の破壊的カーチェイス。確かにそれはスリリングだが、キャメロンが切り開いた“テクノロジーの恐怖”を継承するものではない。むしろ、彼が『U-571』(2000年)で見せた“職人的リアリズム”が、そのままスケールアップした形にすぎない。

モストウは人間と機械の関係を思想的に掘り下げることなく、“金属と肉体の摩擦音”をスペクタクルとして提示するにとどまる。つまり『T3』は、SFの皮を被ったアクション映画であり、もはや“未来の寓話”ではなくなったのだ。

本作の構造を支配するのは、「ジャッジメント・デイの延期」という冷笑的な時間構造である。『T2』で阻止されたはずの審判の日は、結局“先送りされた運命”として蘇る。時間とはもはや変革の場ではなく、不可避の循環装置に堕している。

キャメロンが描いたのは「抗う人類」だったが、モストウが描くのは「受け入れる人類」だ。スカイネットは単なるAIではなく、すでに“運命”そのものとして機能しており、誰もそれを止めようとしない。

ジョン・ブランカトーとマイケル・フェリスによる脚本は、終末への道程をタイトにまとめ上げてはいるが、そこには“理念”が欠落している。もはや誰も未来を信じていない。人類の滅亡は「決定済みのプログラム」であり、それを悲劇とも喜劇とも感じないまま物語は進む。

この虚無的構造こそ、『T3』を時代的に特異な存在にしている。2000年代初頭、9.11以降のアメリカが喪失したのは「未来への信仰」であり、映画もまたその信仰を放棄している。

女性型ターミネーター──性と暴力の再構成

T-X(クリスタナ・ローケン)は、シリーズ初の女性型ターミネーターとして登場する。彼女の存在は、機械的冷酷さと性的演出の両極を併せ持つ。

敵を誘惑するようにバストを膨張させるシーン、鏡に映る自分の姿に恍惚するショット、シュワルツェネッガーの股間を掴み投げ飛ばす瞬間──それらは明らかに“女性の身体”を戦闘の装置として演出している。

だがここには、単なるセクシャリティの消費を超えた二重構造がある。T-Xは、自己愛と暴力を同一線上に置く“ナルシス的破壊者”として描かれているのだ。彼女の鏡像的欲望は、もはや他者を征服するためではなく、“自分という存在の完結”のために作動する。

その対極に置かれるのが、クレア・デインズ演じるケイト・ブリュースター。獣医という職業が象徴するように、彼女は生命を護る側の女性として設定されており、T-Xとの対峙は“生の倫理”と“死の快楽”の衝突として機能する。

ケイトがT-Xに向かって「Bitch!」と叫ぶ場面は、その象徴的転位であり、抑圧されていた主体が自己を獲得する瞬間でもあるのだ。

興味深いのは、T-Xを演じたローケン自身がバイセクシュアルを公言している点で、このキャスティングは無意識のレベルで“性の流動性”を物語に導入している。機械の身体がジェンダーを流動化する──『T3』が持つ最も現代的な要素は、実はこのセクシュアリティの脱構築にある。

ジョナサン・モストウという職人──終末を撮る者の倫理

『ブレーキ・ダウン』(1997年)や『U-571』(2000年)で見せたように、モストウは職人気質の監督である。彼にとって映画とは、理念を語る場ではなく、機構を駆動させる場だ。

だからこそ彼の『ターミネーター3』には、キャメロン的な宿命論や宗教的救済はない。あるのは「よくできたシークエンス」と「機能する構図」のみである。

彼はスカイネットの起源やAIの倫理を掘り下げようとはしない。その空洞を補うように、爆発と衝突がスクリーンを満たす。だが皮肉なことに、その“理念の欠如”こそが、本作を特異なポストキャメロン映画にしている。つまり『T3』は、思想の喪失をそのまま映像化した映画なのだ。

モストウは、自らが“終末を語る資格を持たない”ことを自覚した上で、ただ機械的に終末を再現する。だからこそ、映画の終わりで世界が滅びても、我々は悲しまず、安堵すら覚える。終末とは、もはや“恐怖”ではなく、“システムの停止”でしかないからだ。

DATA
  • 原題/Terminator 3: Rise of the Machines
  • 製作年/2003年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/110分
STAFF
  • 監督/ジョナサン・モストウ
  • 製作/マリオ・カサール、ハル・リーバーマン、ジョエル・B・マイケルズ、ア
  • ドリュー・G・ヴァイナ、コリン・ウィルソン
  • 脚本/ジョン・ブランカトー、マイケル・フェリス
  • 撮影/ドン・バージェス
  • 編集/ニール・トラヴィス、ニコラス・デ・トス
  • 音楽/マルコ・ベルトラミ
CAST
  • アーノルド・シュワルツェネッガー
  • ニック・スタール
  • クレア・デインズ
  • クリスタナ・ローケン
  • デヴィッド・アンドリュース
  • マーク・ファミリエッティ
  • アール・ボーエン