“時間と記憶の交錯”という隠しテーマによって、悲恋映画としての構造を有した終末思想SF
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
最近になってやっと気がついた。元モンティ・パイソンという出自を活かした強烈な風刺性、頭がクラクラするような濃密なビジュアル・ワークで、映画界屈指の奇天烈カントクとして知られるテリー・ギリアムは、実は古典的な悲劇作家であることを。
『未来世紀ブラジル』(1985年)しかり、『フィッシャー・キング』(1991年)しかり。度重なるアクシデントで製作打ち切りに追い込まれた『ドンキホーテを殺した男』に至っては、テリー・ギリアム本人が悲劇に巻き込まれてしまったようだが。
短編映画 『ラ・ジュテ』(1962年)にインスパイアされて製作された『12モンキーズ』(1996)は、その悲劇性が最も色濃く表れた一編。
ウィルスによって全人類の99%が死滅してしまった地球を救わんと、ミッションを託された主人公が現代に送り込まれて来るという、「未来を変えようとする物語」がメインプロット。
…と思いきや、一度撒いた種は刈り取るまで元には戻らないという、「未来はどーしたって変えられない物語」として帰結する。この諦観テイストが本作のキモなり。
さらにその悲劇性は、ブルース・ウィリス演じるジェームズ・コールと、マデリーン・ストウ演じるキャサリン・ライリーとのラブ・ロマンスによって増幅される。
映画館のシーンで、アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(1958年)が上映されていることにも顕著なように、『12モンキーズ』はこの世に存在しない女性を愛してしまったことに起因する悲恋物語。
“現在”ではなく、“過去”に存在する女性の面影を追い求めるという構造は、全く『めまい』と一緒だ。
ブルース・ウィリス演じるジェームズという役名が、『めまい』の主演を演じたジェームズ・スチュワートと一緒なのも、ヒロインのキム・ノヴァク演じたマデリンという役名と、本作のヒロインであるマデリン・ストウが一緒なのも、偶然ではない。
確かに『12モンキーズ』は、90年代に多く作られた終末思想モノのひとつに数えられるだろうが、時間と記憶の交錯という隠しテーマによって、まず何よりも悲恋映画としての構造を有しているのだ。
- 原題/Twelve Monkeys
- 製作年/1995年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/129分
- 監督/テリー・ギリアム
- 製作/チャールズ・ローヴェン
- 製作総指揮/ロバート・コスバーグ、ロバート・カヴァロ、ゲイリー・レヴィンソン
- 脚本/デヴィッド・ピープルズ、ジャネット・ピープルズ
- 撮影/ロジャー・プラット
- 音楽/ポール・バックマスター
- 美術/ジェフリー・ビークロフト
- 編集/ミック・オーズリー
- 衣装/ジェリー・ウェイス
- ブルース・ウィリス
- マデリーン・ストー
- ブラッド・ピット
- クリストファー・プラマー
- ジョン・セダ
- H・マイケル・ウォールズ
- ボブ・アドリアン
- サイモン・ジョーンズ
- ジョセフ・メリト
- デヴィッド・モース
- キャロル・フローレンス
- フランク・ゴーシン
- リサ・ゲイ・ハミルトン
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