クリエイターの感性が自由奔放な形で表現された、モラトリアム青春群像
“若気の至り”という表現には、多分にエクスキューズの意味合いが込められている。
特に、芸術作品にはその傾向が強い。向こう見ずな大胆さは“稚拙”という言葉に置き換えられるものだし、眩いくらいの青臭さは、鑑賞者にくすぐったいくらいの気恥ずかしさを覚えさせる。
しかし、若いクリエイターが結集して作り上げた『王立宇宙軍~オネアミスの翼』(1987年)が、今現在でも鑑賞に耐えられるのは、作り手の照れゆえに、目盛りをMAXまで振り切ってしまった並々ならぬ熱量と、オタクゆえに高い次元にまで引き上げられた技術力、そして作家主義と商業主義を折衷したバランス感覚だと思う。
もともとは関西で、ダイコンフィルム名義で映像製作活動を行っていた岡田斗司夫、山賀博之、庵野秀明、武田康廣といった面々が、ガイナックスをたちあげて本作を製作開始。
人類初の有人宇宙飛行をめざして設立された、王立宇宙軍という作品上のプロットと、初の商業長編アニメーション作品に挑戦した自分たち自身の境遇を、重ね合わせたことは想像に難くない。・・・ってゆーか、ここまで作り手の心情が丸出しの作品も珍しいと思う。
つまり、若気の至り自体が、作品世界を通底するメタファーとして機能しているのだ。なんつったって、スタッフの平均年齢が24歳ですよ!
時代も場所も特定できない。クリエイターの感性が自由奔放な形で表現されたアート・ディレクションは、我々を未知の世界に誘ってくれる。
ありきたりな世界観を根本からタタキ壊し、無から有を造り出す自由な精神。緻密ながら大胆、普遍的でありながら先進的。
徹底的にこだわりぬいた細部が全体を規定するというオタク的世界構築手法が、『オネアミスの翼』を『オネアミスの翼』たらしめ、功を奏している。
アニメというメディアで、モラトリアムな青春群像を描いてしまおうという大胆な試み、宗教に溺れて他者とのコミュニーションを排他してしまうヒロイン、坂本龍一、上野耕路、窪田晴男、野見祐二によるエスニックのようでいてジャパネスクなサウンド・トラック。
監督を務めた山賀博之の言葉を借りれば、ここには究極の「深層のセンス」がある。
『王立宇宙軍~オネアミスの翼』のセンスフルな「若気の至り」に、当時の文科系オタク男子は己の青春を仮託して、憧れを抱いたのだ。
- 製作年/1987年
- 製作国/日本
- 上映時間/119分
- 監督/山賀博之
- 脚本/山賀博之
- 原案/山賀博之
- 製作総指揮/山科誠
- プロデューサー/末吉博彦、井上博明
- 企画/岡田斗司夫、渡辺繁
- 作画監督/貞本義行、庵野秀明
- 撮影/諫川弘
- 音楽/ 坂本龍一
- 美術/小倉宏昌
- 編集/尾形治敏
- 録音/田代敦巳、林昌平
- 森本レオ
- 弥生みつき
- 内田稔
- 飯塚昭三
- 曽我部和恭
- 平野正人
- 安原義人
- 鈴置洋孝
- 伊沢弘
- 島田敏
- 大塚周夫
- 及川ヒロオ
- 熊倉一雄
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