キューブリックは『スパルタカス』(1960年)に関して、「私が一切自分を抑えて撮った唯一の作品」と公言している。
『2001年宇宙の旅』(1968年)、『バリー・リンドン』(1975年)、『シャイニング』(1980年)、『フルメタル・ジャケット』(1987年)といった偉大なフィルモグラフィーのなかに、この歴史スペクタクル作品を加えることに嫌悪感を示しているのs。実際、この映画におけるキューブリックの役割は完全な“雇われ監督”だった。
主演のカーク・ダグラスが自らプロデューサーも務めるという完全なワンマン映画としてスタートしたものの、カーク兄貴のお山の大将ぶりに辟易した監督のアンソニー・マンとの対立が表面化。
結局、撮影開始わずか一週間でアンソニー・マンはクビとなり、ピンチヒッターとして招かれたのがキューブリックだったのだ。
その製作環境はキューブリックにとって相当劣悪なものだったらしい。カーク・ダグラスはもちろん、周囲はローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ、チャールズ・ロートン、トニー・カーティスといった、一癖も二癖もある俳優ばかり。
プライドの高いオールスター・キャストを当時31歳の若手監督がコントロールできる術もなく、彼はただ己の技術を70ミリのスーパー・テクニラマに奉仕せざるを得なかった。
キューブリックは後年、「あの映画には失望した。優れたストーリーが欠けていた」と述懐している。脚本を書いたのは『栄光への脱出』(1960年)、『ジョニーは戦場に行った』(1971年)、『ダラスの熱い日』(1973年)、『パピヨン』(1973年)など骨太な作品を手がけてきたダルトン・トランボ。
’40年代にハリウッドに吹き荒れた赤狩りに真っ向から反対表明するなど、反戦運動家としても知られる人物である。
マッカーシズムの標的となり一時映画界から干されていた状態だったが、志を同じくする反戦の闘士カーク・ダグラスの尽力により、ハリウッド復帰作となったのがこの『スパルタカス』だった。濃厚なサヨク性が漂う作風が、キューブリック好みでないことは明白だろう。
いかにもヒーロー然としたカーク・ダグラス演じるスパルタカスに、キューブリックが嫌悪感を感じていたことも容易に想像できる。キューブリックのベーシックな作劇法は、絶対的俯瞰を確保することによって物語をシニカルにとらえ、対象を相対化させる視座にある。
しかし反戦の闘士たるスパルタカスを相対化させてしまっては観客が主役に感情移入できなくなり、血湧き胸躍るスペクタル史劇なんぞ成り立たない訳で、意外に主人公の見せ場が少ないのは(というよりは見せ場にできていないというべきか)、キューブリックの作家的資質によるものが大きいと思われる。
むしろキューブリックが心惹かれたのは、ローレンス・オリヴィエ演じる敵役のクラッススだったんではないか。
事実、この歴史スペクタクル大作が最も魅力を放つ瞬間は、剣闘士による真剣勝負のシーンではなく、カプア近郊の大平原で奴隷軍とローマ軍が激突するシーンでもなく、カーク・ダグラスとジーン・シモンズによる意外にお色気たっぷりなラブシーンな訳でもない。
それはローレンス・オリヴィエが風呂場でトニー・カーティスに背中を洗わせながら「俺はカキもカタツムリも好きだ!」とバイセクシャルであることを高らかに告げるシーンであり、子供を人質にしてジーン・シモンズを娶ろうとする心理的な脆弱さが垣間見えるシーンなのだ。
洗練されているけどどこか意地悪で、美しいけど醜くて、リアリスティックだけどナンセンスで、理性的だけどシュールリアリスティックで…。
キューブリックのアンチノミーな世界観は、一見『スパルタカス』には投影されていないように見える。しかし、映画の主軸をクラッススに置いたとき、この作品は奇妙なフォルムを露出し始める。
我々はまず、そこからキューブリック的なるものを探していくことにしよう。
- 原題/Spartacus
- 製作年/1960年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/197分
- 監督/スタンリー・キューブリック
- 製作/エドワード・ルイス
- 製作総指揮/カーク・ダグラス
- 原作/ハワード・ファスト
- 脚本/ダルトン・トランボ
- 撮影/ラッセル・メッティ
- SFX/クリフォード・スタイン
- 音楽/アレックス・ノース
- 美術/ジュリア・へロン
- 編集/ロバート・ローレンス
- 録音/ウォールドン・O・ワトソン
- カーク・ダグラス
- ローレンス・オリヴィエ
- ジーン・シモンズ
- トニー・カーティス
- チャールズ・ロートン
- ピーター・ユスティノフ
- ジョン・ギャビン
- ニナ・フォック
- ハーバート・ロム
- ジョン・アイアランド
- ジョン・ドール
- チャールズ・マッグロー
- ジョアンナ・バーンズ
最近のコメント