独立宣言に基づく根源的なアメリカ論を説く、法廷劇
スティーヴン・スピルバーグの真骨頂は、眼を背けたくなるほどの残酷描写にある。
『シンドラーのリスト』ではホロコーストでの大量虐殺を、『プライベート・ライアン』では銃弾が雨あられと飛び交うノルマンディ上陸作戦を、容赦なく描いてきた。
『アミスタッド』においても、奴隷として拉致された黒人たちが白人に徹底的な迫害を受ける様子を、露悪的に描いている。いや、偏執狂的と言うべきか。
以前から感じていたことだが、スピルバーグは「リアリティーの確保」が、ドラマの感動に繋がると単純に信じているんではないか。酸鼻を極める「死」を徹底的に描くことによって、逆説的に「生」への賛歌が沸き上がってくるという、あまりに幼稚な理念を。
だが、少なくとも僕はそのような安易な演出で心を打たれたことはない。どうしたって小手先のテクニックにしか見えない。つまり、あざといのである。
『アミスタッド』もその例にもれないが、最もひどかったのは『プライベート・ライアン』だ。兄弟をすべて戦争で失ったライアン二等兵を救出するために、逆に数多くの犠牲者を出してしまうというパラドックスが、ドラマとしてまったく説得力をもっていなかった。
我々はただ、冒頭のノルマンディ上陸作戦シーンの迫力に圧倒されるのみ。いい意味でも悪い意味でも、スピルバーグの神がかり的な“映像の質量”によってねじふせられてしまうのである。
この映画の本質は人種問題の提起ではなく、アンソニー・ホプキンスが最後の演説シーンで語っているように、独立宣言に基づく根源的なアメリカ論である。「自由とは何か?民主主義とは何か?」という問いについてのテキスト。
しかしスピルバーグは、映像のダイナミズムではなく、演技のダイナミズムに比重がおかれる「法廷劇」というヤッカイな代物に対して、相当苦労したのではないか。
ジョン・ウィリアムズの勇壮な音楽は、聴けば何となく感動させられてしまうという効果があるのだが、アンソニー・ホプキンスの演説中常に鳴り響いているのは(だからこそ感動させられたような気がしてしまうのだが)、映像の力のみでエモーションをかきたてられなかったスピルバグの、苦しい一手だったような気がしてならない。
俳優陣は素晴らしい。モーガン・フリーマン(ものすごく地味な役でした)、アンソニー・ホプキンス、ナイジェル・ホーソーンといった名優が多数出演しているが、シンケ役を演じるジャイモン・ハンスウの圧倒的な存在感の前には、借りてきた猫もドーゼン。
贅肉ひとつない引き締まったボディ(何でも彼はモデル出身らしい)に、聡明な瞳。沸き立つような生命力を感じさせられる俳優である。
弱冠11歳の若きスペイン国女王を演じているのは、同じく弱冠11歳という若さでアカデミー賞助演女優賞を受賞(『ピアノ・レッスン』)したアンナ・パキン。曲がりなりにもオスカー女優なのだが、ベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねているばっかりで、その演技力を披露する機会はほとんどナシ。
別に彼女じゃなくても良かったような気もするんだが。
- 原題/Amistad
- 製作年/1998年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/155分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/コリン・ウィルソン、スティーヴン・スピルバーグ
- 脚本/デヴィッド・H・フランゾーニ
- 撮影/ヤヌス・カミンスキー
- 音楽/ジョン・ウィリアムス
- 美術/リック・カーター
- 編集/マイケル・カーン
- 衣装/ルース・イー・カーター
- モーガン・フリーマン
- ナイジェル・ホーソーン
- アンソニー・ホプキンス
- ジャイモン・ハンスウ
- マシュー・マコノヒー
- デヴィッド・ペイマー
- ピート・ポスルスウェイト
- ステラン・スカースガード
- アンナ・パキン
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