『Cocoon』──嗅覚と繭が紡ぐ戦争の寓話
『Cocoon』(2010年)は、太平洋戦争中の南の島を舞台に、女学校の少女たちが看護要員として戦場に動員される物語である。転校生マユを中心に、仲間のサンやタマキらは次第に死と隣り合わせの日々を送る。爆撃と飢えの中で友情と恐怖が交錯し、少女たちは繭のように閉ざされた共同体の中で、やがて崩壊の時を迎える。
戦場という極限状況と少女たちの共同体
NHKでアニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』が放送されたのをきっかけに、今日マチ子の原作漫画『Cocoon』を読んでみた。
本作は、ひめゆり学徒隊を題材にしながらも、単なる戦争叙事とは異なる強度をもった作品だ。むしろ戦争を通じて、“人間にとって避けがたい他者性”や、“不可視の男性性”という恐怖とどう向き合うかを描いた寓話として読める。
漫画でははっきりと示されていないが、女学校に転校してきたマユは男性だろう。マユに首を絞められた男は「おまえ…女じゃ…な…」とつぶやいているし、負傷したマユのズボンを脱がそうとしたサンは、股間部に思わぬものを発見したような表情を見せている。
おそらく、マユは徴兵を逃れるため女性と偽っている(マユという名前も偽名だろう)。そして彼が女性性をまとうことで、男性恐怖症のサンに受け入れられるという、いささか倒錯的な状況が生まれてしまう。
マユという存在の倒錯的役割
思えば、ビリー・ワイルダー監督の傑作『お熱いのがお好き』(1959年)でも、マフィアに追われる2人の男性主人公が女装して全員女性の楽団に紛れ込む、という設定が組み込まれていた。
この作品の場合は、性別偽装によって共同体での心理的ギャップがコメディに転じていた。しかし『Cocoon』の場合は、戦場という極限状況で「女性たちが互いに依存し、支え合う」関係性の中心に「偽装した男性=マユ」が配置されることによって、極度の緊張と恐怖が倍増する。戦場という極端な男性原理の場所であるからこそ、この緊張関係はより高まる。
サンにとってマユは安心できる同性の親友でありながら、同時に異性という強烈な他者でもある。彼の男性的身体は「外部(戦争・国家・暴力)」と「内部(少女的共同体)」を接続する装置として機能する。つまり、彼の存在が共同体の内部に亀裂を生じさせている。
マユがサンに「男の人はみんな白い影法師」と囁いた言葉の延長線上にある表象として、男性がみな顔のない白い影として描かれているのも、その他者性を際立たせるためだろう。顔をもたない存在としての男性原理を象徴すると共に、国家や戦争といった匿名の暴力も表象している。この構造は、戦争体験の再現を超えて、ジェンダーをめぐる不安や葛藤を強烈に浮かび上がらせる。
抽象化された時間・空間と冷ややかな死の描写
物語が纏う抽象性も見逃せない。舞台は太平洋戦争を想起させるが、作中で時代や場所は周到にぼかされている。その曖昧さが逆に普遍性を生み、読者を“どこでもあり得た戦場”へと誘う。
死の描かれ方も冷ややかだ。タマキの死体が無造作に投げ捨てられる場面に象徴されるように、生と死の境界は物語の中で無機質化し、個人の存在は簡単に風化していく。
今日マチ子の繊細な線と余白の多いコマ割りもまた、作品の抽象性を高めている。キャラクターの表情は簡素に描かれ、背景はシンプルすぎるくらいにシンプル。戦記マンガのリアリズムとは対照的に、少女マンガ的な省略・象徴表現によって、戦場の惨状が夢の一部のように、もしくは記憶の断片のように、立ち現れる。
今日マチ子はあとがきで、
こどものころ戦争がとてもこわかったた。現代の少女が、昔の戦争の本を読んで、夢をみる。そういう話を描こうと思いました。
と書いているから、夢/記憶という抽象化はかなり意識的だったのだろう。読者は史実を追体験するのではなく、抽象化された空間の中で、登場人物たちの感覚や恐怖を共有するのだ。
匂いというモチーフと繭のイメージ
もうひとつ筆者が興味深く感じたのが、“匂い”というモチーフ。サンは石鹸の匂いを好む。その匂いは視覚的に描かれることはなく、むしろ繭のように彼女を包み込む。
匂いは目に見えないが、確かに存在する感覚であり、それはマユが語る「雪空のような繭で世界が守られている」というイメージと呼応する。マユ自身が「繭」としてサンを守る存在であり、匂い=繭=マユという連関が通奏低音のように響いている。
もちろんこれは、戦場の死臭や血臭と対置される生命の匂いでもある。石鹸の匂いは清浄さや日常を象徴し、それが戦場という異常空間を逆に浮かび上がらせている。
たぶん、『Cocoon』は通俗的な歴史漫画ではない。ひめゆり学徒隊の悲劇が下敷きにされているが、それを描くこと自体が目的ではない。むしろ記憶の寓話として、読む者を繭の中へと閉じ込める作用を持った作品だ。漫画というアートフォームだからこそ成し得た傑作なのではないか。
- 著者/今日マチ子
- 発売年/2010年
- 出版社/秋田書店

