『お熱いのがお好き』(1959)
映画考察・解説・レビュー
『お熱いのがお好き』(原題:Some Like It Hot/1959年)は、ビリー・ワイルダー監督が描くロマンティック・コメディの傑作。禁酒法時代のシカゴでギャングに追われた二人のミュージシャンが女装して逃亡し、マイアミで美女シュガー(マリリン・モンロー)と出会う。笑いの渦の中に、社会的規範を揺さぶるジェンダーの転倒が仕掛けられている。
ワイルダーが仕掛けたスクリューボール・コメディの到達点
腕のいい職人が人生をかけて手作りした最高級の逸品は、どれだけ時代が流れようとも決して風化しない。映画作家で語るなら、間違いなくビリー・ワイルダーがその筆頭だろう。
もちろん、フェデリコ・フェリーニやジャン=リュック・ゴダールといった芸術家肌の天才たちも、映画史には欠かせない。だが、半世紀以上の時を経てもなお、観客を腹の底から笑わせ、一瞬の退屈すら与えないのは、ワイルダーのような名工が叩き上げた完璧な娯楽映画だ。
ほぼアパートの一室で展開する密室劇『アパートの鍵貸します』(1960年)と比較すると、『お熱いのがお好き』(1959年)の突き抜けっぷりは異常だ。
凍てつくような禁酒法時代のシカゴから、太陽が燦々と降り注ぐフロリダのマイアミへ。往年の血生臭いギャング映画を完全にパロディ化した確信犯的なノリで、物語はブレーキの壊れたスポーツカーのように爆走していく。このスピード感あふれる語り口は、1930年代に一世を風靡したスクリューボール・コメディの黄金律を完璧に踏襲している。
『或る夜の出来事』(1934年)のようなロマンティック・コメディでありながら、「ジェンダーの境界を徹底的に攪乱する」という強烈な毒をドバドバと注ぎ込む。
男二人が女装して逃亡するという荒唐無稽な設定は、当時のハリウッドを支配していたカチコチのヘイズ・コード下においては、一歩間違えればアウトな超挑発的行為だった。
同性愛的なニュアンスや性表現が厳しく監視されていた時代に、ワイルダーはあえて「男が女装して大富豪のオッサンに求愛される」という状況を喜劇として描き切り、検閲の網の目をケラケラと笑いながらすり抜けてみせる。
さらに恐ろしいのは、この爆笑必至のドタバタ劇の中に、極めて高度な脚本の設計図が隠されていること。ワイルダーと盟友I.A.L.ダイアモンドの筆致は、まるであらゆる出来事が次のトラブルを呼び込む、地獄のピタゴラスイッチだ。
ジョー(トニー・カーティス)の、女装サックス奏者から石油王の御曹司への二重変装。ジェリー(ジャック・レモン)が女装したまま大富豪に本気でプロポーズされてしまうという狂気の展開。
観客だけがすべての真相を知っているドラマティック・アイロニーを極限まで活用し、会話のズレと嘘の上塗りが破綻へと向かって猛加速していく。
プロットの必然性、情報設計、そして完璧なリズム制御。すべてが同一の設計図の上でガッチリと噛み合い、映画史に残るあのラストの一言に向けて一直線に収束していく。
計算と偶然が織りなす笑いと哀愁
シュガー・ケインを演じるのは、マリリン・モンロー。甘ったるい声質、無防備すぎる仕草、そして観客の脳髄を溶かすような無邪気な笑顔。彼女は、自分が周囲からどう見られているかを完全に理解し、それをペルソナとして完全に演じ切っている。
そして彼女の佇まいは、肉体的にセクシーである以上に、傷つきやすい「少女的な無垢」をも強烈に体現している。弱さや男運の悪さといった欠落をあえて戦略的に晒け出すことで、観客の心に強烈な共感と庇護欲を抱かせるのだ。
ウクレレを弾きながら「I Wanna Be Loved By You(愛されたいの)」を歌う彼女の姿を見れば、誰もがその圧倒的な魅力の前にひれ伏すしかない。
だが同時に、シュガーというキャラクターの背後には、モンロー自身の私生活の影が痛々しいほどに透けて見える。孤独、不安定な精神状態、自己肯定感の激しい揺らぎ。
世界一のセックスシンボルが抱え込んでいた悲痛な実像がキャラクターと完全にシンクロしているからこそ、本作は単なるドタバタ喜劇のヒロインを超えた、生々しいリアリティと切なさを帯びている。だからこそ、観客は腹の底から笑い転げながら、ふとした瞬間に彼女の瞳の奥に底知れぬ哀愁を感じ取ってしまうのだ。
実際の撮影現場でのモンローは最悪だった。遅刻を繰り返し、たった一言の短い台詞(「バーボンよ」など)を何十回もNGを出し、完璧主義者のワイルダーを完全に発狂寸前まで追い詰めたという。
しかし、血の滲むような苦労の末に完成したフィルムには、彼女以外では絶対に成立し得ない究極の魔法が焼き付けられている。脚本の精緻さと、モンローの天真爛漫なカオスがスクリーン上で激しく衝突した結果、映画の神様が微笑んだ。
彼女が画面に現れるだけで、映画の空気が一変する。本作が半世紀以上の時を経ても全く色あせない理由は、モンローという二度と現れない稀有な存在そのものにあるのだ。
ジェンダーを揺さぶる歴史的パンチライン
本作は単なる極上のエンターテインメントにとどまらない。その後の映画史やポップカルチャーに与えた文化的インパクトは計り知れないのだ。
男が女性の役割を必死に演じ、女性が自らの欲望に忠実に行動し、観客がその滑稽な入れ替わりに熱狂する。このプロセスは、ただの笑いを超えて、「ジェンダーとは、社会から与えられた役割を演じているに過ぎない」という現代的な認識を、1959年の時点で鮮やかに前景化してみせる。
後年、哲学者のジュディス・バトラーが提唱した「ジェンダー・パフォーマティヴィティ」の概念を、ハリウッドのコメディ映画が完全に先取りしていたのだ。
『お熱いのがお好き』は、ダスティン・ホフマン主演『トッツィー』(1982年)や、ロビン・ウィリアムズ主演『ミセス・ダウト』(1993年)といった女装コメディの系譜へと受け継がれていく。本作はロマンティック・コメディの最高峰であると同時に、ジェンダー表象の歴史の扉を力ずくでこじ開けた、記念碑的作品でもあるのだ。
そして物語のラスト。女装したままのジェリーが、大富豪のオズグッド(ジョー・E・ブラウン)からの熱烈なプロポーズから逃れるため、ついにカツラをむしり取ってカミングアウトする。「俺は男なんだ!」。その衝撃の告白に対して、オズグッドが満面の笑みで返すあの一言。「Well, nobody’s perfect.(完璧な人間なんていないさ)」。
映画史に燦然と輝く、最強にして最高のパンチラインだ。ワイルダーが120分の長尺をかけて積み上げてきた、ドタバタ、変装、嘘、そして愛。そのすべてをたった一言で全肯定し、笑いの大爆発とともに映画の幕を引く。これほど美しく、これほど完璧なラストシーンが他にあるだろうか?
マリリン・モンローは狂おしいほどに可愛いし、ジャック・レモンのコメディセンスは神の領域だし、ビリー・ワイルダーの話術には1ミリの隙もない。
同時に、この映画のラストに漂う「すべてを許容する大らかな優しさ」と、モンローが放つ「どこか切ない余韻」こそが、本作を永遠の名作たらしめている。
- 監督/ビリー・ワイルダー
- 脚本/ビリー・ワイルダー、I・A・L・ダイアモンド
- 製作/ビリー・ワイルダー
- 原作/R・ソーレン、M・ローガン
- 撮影/チャールズ・ラング
- 音楽/アドルフ・ドイッチェ
- 編集/アーサー・シュミット
- 美術/テッド・ハワース
- 衣装/オーリー・ケリー
- 失われた週末(1945年/アメリカ)
- 昼下りの情事(1957年/アメリカ)
- お熱いのがお好き(1959年/アメリカ)
- アパートの鍵貸します(1960年/アメリカ)
- あなただけ今晩は(1963年/アメリカ)
![お熱いのがお好き/ビリー・ワイルダー[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/51oG4EmU1oL._AC_-1-e1758507281460.jpg)