“白スピルバーグ”が“黒スピルバーグ”にスイッチする直前の、ラブ・ファンタジー
スティーヴン・スピルバーグはその内面に、ジキルとハイドのごとく、「白スピルバーグ」と「黒スピルバーグ」を宿している。だが少なくとも’80年代の終わりまでは、彼は白魔術のヒットメーカーと信じられて来た。
幼少時からディズニー作品に親しんできたスピルバーグは、その卓越した映画テクニックと特撮技術を駆使して、夢とロマンにあふれるファンタジーを次々にリリース。世界中のガキどもに映画という名の魔法をかけた。
その一方で、『ジョーズ』(1975年)でロバート・ショーがサメに丸呑みされたり、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)でナチ将校の顔面が破壊したりと、冷静に考えると残虐極まりないシーンも撮っていたのだが、まだ「黒スピルバーグ」の存在は世間一般には浸透していなかった。
彼が、黒魔術を操る残忍無比な映像作家であることが白日の下にさらされるのは、おそらく撮影監督にヤヌス・カミンスキーを起用する’90年代以降である。
『未知との遭遇』(1977年)のヴィルモス・ジグモンド、『E.T.』のアレン・ダヴィオーといった撮影監督たちは、まばゆいばかりの白が画面を支配する“光”の使い手だったが、色調が抑制されたダークな質感を得意とするヤヌス・カミンスキーは、“影”の使い手である。
ジェダイだったアナキンが暗黒面に引きいれられたがごとく、スピルバーグもカミンスキーによって秘匿し続けてきた残虐趣味が顕在化し、「黒スピルバーグ」を全開させたのだ。
『オールウェイズ』(1989年)はまさに“白スピルバーグ”が“黒スピルバーグ”にスイッチする直前の作品である。
1943年にスペンサー・トレイシー主演で製作された『A Guy Named Joe』のリメイクである本作は、事故で死んでしまった森林火災消防隊のパイロットが、ゴーストとして現世に蘇り、若く情熱に溢れたパイロットと、かつての恋人を暖かく見守って行くという、ファンタジック・ラヴ・ストーリーだ。
『ターミナル』や『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』など、スピルバーグのモチーフのひとつである「飛行機」が主題になっていることからも、この企画には相当熱心だったと思われるが、とにかくこの映画、砂糖を入れすぎたシロップのように甘ったるい。
過剰なセンチメンタリズム、過剰な叙情性。そして撮影監督ミカエル・サロモンによるカメラは、暖色系のおだやかな光を存分にとりこんで、ホワイトを鮮やかに映し出している。
爪先から頭のてっぺんまで、“真っ白スピルバーグ”な作品なのだ。まあ、“純白”の代名詞オードリー・ヘップバーンが出ている時点で、そうならざるを得ないですが。
封切り当時もさして評判にならなかった『オールウェイズ』だが、今改めてこの作品を見返してみると、屈託の無いほどのイノセンスが逆に微笑ましい。
テクニック的にも、ホリー・ハンターが寝泊まりしている部屋に、ジョン・グッドマンが電話をかけにいくシーンなんか、ちょっとスゴイと思う。
カメラはグッドマンの動きを追いかけて左にパンするのだが、大きな窓に映る旅客機をとらえるとそのまま回り込むように垂直移動し、旅客機がそのまま遠ざかって行くまでを追いながら、再びジョン・グッドマンをカメラにおさめるのだ。
正確に言えば、パノラミック撮影とティルティングの合わせ技。こういう遊び心のある演出は、今のスピルバーグにはあまり見受けられない。
この後、スピルバーグは長年の夢だった『フック』(1991年)を撮影する訳だが、ディズニーへのオマージュを捧げることによって、彼は己に宿る「白スピルバーグ」的な部分とハッキリ訣別する決心がついたんではないか。
その助走として、『オールウェイズ』は撮られるべき作品だった。少なくとも僕は、『ゴースト/ニューヨークの幻』よりはこっちをダンゼン支持します。
《補足》
本編のヒロインを演じるホリー・ハンターの夫は、スピルバーグを暗黒面に導くヤヌス・カミンスキーその人である(後に離婚してしまいましたが)。
- 原題/Always
- 製作年/1989年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/123分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/スティーヴン・スピルバーグ、フランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ
- 原作/ダルトン・トランボ
- 脚本/ジェリー・ベルソン
- 撮影/ミカエル・サロモン
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- 美術/ジェームズ・ビッセル
- 衣装/エレン・マイロニック
- リチャード・ドレイファス
- ホリー・ハンター
- ジョン・グッドマン
- ブラッド・ジョンソン
- オードリー・ヘプバーン
- ロバーツ・ブロッサム
- キース・デヴィッド
- デイル・ダイ
- マージ・ヘルゲンバーガー
- ブライアン・ヘイリー
最近のコメント