『オールウェイズ』──白と黒のスピルバーグ、その境界線
『オールウェイズ』(1989年)は、1943年の『A Guy Named Joe』のリメイク作品。森林火災のパイロットが事故で命を落とし、霊となって現世を見守るファンタジー。恋人を残して天に召された男が、若き後輩と彼女を導く物語で、オードリー・ヘップバーン演じる天使との邂逅を通して、愛と死、再生が描かれる。
白と黒のスピルバーグ──映画作家の二重構造
スティーヴン・スピルバーグは、その内面に「白スピルバーグ」と「黒スピルバーグ」という二重の顔を宿している。だが少なくとも1980年代の終わりまでは、彼は“白魔術のヒットメーカー”として信じられてきた。
幼少期からディズニー映画に親しみ、夢とロマンを映像化する能力に長けていたスピルバーグは、『未知との遭遇』(1977年)、『E.T.』(1982年)、『インディ・ジョーンズ』シリーズなどを通じて、世界中の子どもたちに“光の映画”を届けた。
しかし、その裏側には常に“影”が潜んでいた。『ジョーズ』(1975年)でロバート・ショーがサメに丸呑みされるシーン、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)でナチ将校の顔が溶け落ちる瞬間──それらは明らかに残酷趣味の発露である。だが当時の観客は、その暴力的快楽を“エンターテインメント”として受け入れ、監督の暗黒性を真正面から見ようとはしなかった。
“黒スピルバーグ”が本格的に表出するのは、撮影監督ヤヌス・カミンスキーを起用した1990年代以降である。彼のカメラは“光”ではなく“影”を支配し、スピルバーグ映画に抑圧された残虐性を可視化した。
まるでジェダイが暗黒面に堕ちるように、スピルバーグもまた〈白から黒〉へと転化していったのである。
『オールウェイズ』──白の終着点としての寓話
『オールウェイズ』(1989年)は、まさに“白スピルバーグ”が“黒スピルバーグ”へと転じる直前の、境界的作品である。
1943年のスペンサー・トレイシー主演作『A Guy Named Joe』のリメイクで、事故で命を落とした森林火災パイロットが、ゴーストとして現世に留まり、若き後輩と元恋人を見守る──というロマンティックなファンタジー。
飛行機というモチーフ(『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』や『ターミナル』にも通底する)は、スピルバーグにとって象徴的な装置だ。すなわち、〈天〉と〈地〉、〈生〉と〈死〉、〈現世〉と〈彼岸〉を媒介する“移動体”としての象徴である。
しかし本作の「白」は、もはや〈希望の光〉ではない。撮影監督ミカエル・サロモンによる暖色の照明、過剰なまでのセンチメンタリズムと叙情性は、むしろ“白の過剰”がもたらす眩暈を感じさせる。
純白のイメージは透明な死の比喩として機能し、オードリー・ヘップバーンが演じる天使の存在とともに、〈死の優しさ〉に包まれた静謐な世界を形成する。
その意味で『オールウェイズ』は、スピルバーグにとっての“自己浄化の儀式”だった。彼がディズニー的ロマンティシズムと決別し、より冷徹な現実へと踏み出すための、最後の祈りのような作品である。
光の過剰と技法の遊戯
この映画の構造上の魅力は、カメラワークと光の演出に集約される。特筆すべきは、ジョン・グッドマンが電話をかけるシーンだ。
カメラは彼の動きを追いながら左にパンし、大きな窓に映り込む旅客機を捉える。そこから滑らかに垂直移動し、飛行機が遠ざかるまでを追うワンショット構成。パノラミック撮影とティルティングを組み合わせた流麗な動きは、まさに“カメラの舞踏”だ。
このような技法的遊戯は、のちのスピルバーグ作品にはほとんど見られない。当時の彼には、映像を構築することそのものへの純粋な喜びがあった。だが同時に、この過剰な美的意識が、彼の“白の時代”の終焉を告げる兆候でもあった。
美はつねに過剰の果てに崩壊する──『オールウェイズ』は、その危うい境界線に立つフィルムである。
“黒スピルバーグ”への導入──『フック』と自己解体の意志
『オールウェイズ』の後、スピルバーグは長年の夢だった『フック』(1991年)を撮る。ディズニー神話の本流を正面から継承したこの映画は、同時に〈白スピルバーグの葬送曲〉でもあった。ピーターパンの物語を通して、“永遠の少年”であろうとした自分自身を手放す儀式だった。
『フック』によって、彼は自らの“白の映画作家”としてのアイデンティティを解体し、現実と暴力の問題を扱う“黒スピルバーグ”の時代へと進む準備を整えたのである。
その意味で『オールウェイズ』は、“光の彼岸”を描いたスピルバーグ最後のファンタジーであり、『シンドラーのリスト』(1993年)や『プライベート・ライアン』(1998年)へと至る闇の序章であった。
『未知との遭遇』、『E.T.』、『ジュラシック・パーク』との文体的断絶
スピルバーグの作家史を貫く主題は、〈人間と超越的存在の接触〉。『未知との遭遇』では、天啓のような光が人間の信仰を照らし、『E.T.』ではその光が純粋な心の交流を象徴した。
いずれも〈啓示としての光〉を描いていたが、『オールウェイズ』ではその“光”が〈死を包み隠す白布〉へと変質する。つまり、希望の象徴だった光は、ここで“喪失の記号”へと転倒したのだ。
『ジュラシック・パーク』(1993年)において、光はもはや宗教的な輝きではなく、科学文明の人工照明として現れる。恐竜という“神の再創造”を照らす光は、啓示ではなく不安をもたらす。スピルバーグの映像言語は、〈光の神話〉から〈光の暴力〉へと転化した。
『オールウェイズ』はその臨界点に位置する。白の時代の終焉、すなわちスピルバーグにおける“光の死”を告げた作品なのだ。
白の彼方にある闇
『オールウェイズ』は、スピルバーグが自らの“純白の映画世界”を意識的に閉じた作品である。彼のフィルモグラフィーを縦断して見れば、この映画は〈白から黒へ〉という決定的な境界線を示している。
オードリー・ヘップバーンの天使的な存在が象徴するのは、もはや希望ではなく“去りゆく光”そのもの。 スピルバーグはこの作品で、ファンタジーの内部に潜む“死の静けさ”を見つめ、同時に〈白の終焉〉を受け入れた。
以後、彼の映画は戦争、暴力、倫理、そして神の沈黙をめぐる闇の旅へと向かう。『オールウェイズ』はその夜明け前の白光──“最後の光”であり、“最初の闇”であった。
- 原題/Always
- 製作年/1989年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/123分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/スティーヴン・スピルバーグ、フランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ
- 原作/ダルトン・トランボ
- 脚本/ジェリー・ベルソン
- 撮影/ミカエル・サロモン
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- 美術/ジェームズ・ビッセル
- 衣装/エレン・マイロニック
- リチャード・ドレイファス
- ホリー・ハンター
- ジョン・グッドマン
- ブラッド・ジョンソン
- オードリー・ヘプバーン
- ロバーツ・ブロッサム
- キース・デヴィッド
- デイル・ダイ
- マージ・ヘルゲンバーガー
- ブライアン・ヘイリー
