キューブリックの亡霊に惑わされず、己を貫き通したスピルバーグの男気
何だか巷ではえらく評価が低くて、「クライマックスで泣きそうになってしまった僕って一体何だろう」とか本気で考え込んでしまう自分だったりする昨今なんだが、『A.I.』は映画としてそんなにヒドイ出来ではないと思うぞ。
ね?そうだよね?…と思わず周囲の反応を確かめてしまいたくなる。多分みんな、この映画の企画者だったスタンリー・キューブリックの幻影に惑わされているんじゃないのか!?
科学技術への盲目的な信仰とか、近代文明のシステムとしての欠陥とか、バカでも分かるようなテーマを掘り下げてくれなくても僕は別に構わない。「未来版ピノキオ物語」と揶揄されても全然オッケー。肝心なのは映画としてのエモーションだ。
スピルバーグの豊かなイマジネーションは、警鐘的テーマを内包する物語を突き抜けて「愛」のドラマに変質させてしまう。 愛情をインプットすることで、 主人に永遠の愛と忠誠を誓うロボット。
だが主人がそのロボットを放棄した時、ロボットはその愛をどこに向ければいいのか?ウォルト・ディズニーが半世紀前に『ピノキオ』で実践したプロットは、映画というフォーマットでリサイクルされた。
結局地球上に人類がいなくなっても、ロボットは愛を求め彷徨い続けるという、トンデモな展開にも関わらず、スピルバーグは最終的に“感動”で着地させてしまおうと試みる。
キューブリックであれば、シニカルな視座で閉じられるであろう物語を、ほとんど力技で涙腺を決壊させんとするのだ。企画の発案者であったキューブリックの亡霊に惑わされず、己を貫き通したスピルバーグの男気を感じる。
しかしながら、僕はどうも主役のアンドロイドを演じるハーレイ・ジョエル・オスメントというガキが生理的にキライで、いつもお目々がウルウルしている表情をみるとハリ倒したくなってしまうのである。
『シックス・センス』(1999年)もそうだったが、情感に訴えるウェットな芝居が昔の安達由実を観ているかのようで、確かに演技は巧いんだけど、小手先でやってる感が否めないのだ。オトナになったら扱い難い役者になるだろーな、コイツ。
それにしても『鉄腕アトム』的ストーリーといい、アニメチックなキャラの立て方といい、この映画って実に手塚治虫テイストではないか。
そういやキューブリックがその昔、『2001年宇宙の旅』(1968年)で美術監督に手塚治虫をオファーしたものの、手塚が自身のプロダクションのゴタゴタで手が離せず断った、というのは有名な話。
ベーシックな資質は全く異なる二人だが、スティーヴン・スピルバーグという強力な接着剤によって、二人が死んでからそのコラボレーションが実現した、という考え方は行き過ぎかしらん。
- 原題/Artificial Intelligence: AI
- 製作年/2001年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/143分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 脚本/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/キャスリーン・ケネディ、ボニー・カーティス、スティーヴン・スピルバーグ
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- 製作総指揮/ジャン・ハーラン、ウォルター・エフ・パークス
- 撮影/ヤヌス・カミンスキー
- 原作/ブライアン・オールディス、イーアン・ワトソン
- ハーレイ・ジョエル・オスメント
- ジュード・ロウ
- ウィリアム・ハート
- フランシス・オーコナー
- サム・ロバーズ
- ジェイク・トーマス
- ブレンダン・グリーソン
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