フィリップ・ド・ブロカが放つ、奇妙奇天烈なファンタジック・カーニバル
『リオの男』(1964年)などで知られるフィリップ・ド・ブロカが1966年に発表した、彼の代表作にして映画史に燦然と輝く伝説のカルトムービー。
フランスで公開された時はさほど話題にもならかなかったが、ベトナム戦争に疲弊して厭戦気分だったアメリカでは若者を中心に支持を集め、何と5年間という超ロングランを記録したという。
しかし『まぼろしの市街戦』(1966年)は、反戦映画でも風刺映画でもフレンチ・コメディでもない。この映画にカテゴライズは不可能だ。あえて言うなら本作は、第一次世界大戦末期に、フランスの片田舎にある小さな街で繰り広げられる、“奇妙奇天烈なファンタジック・カーニバル”。
かのロサンゼルス・タイムス紙も、
戦争が非現実にみえるユートピア。まさにヒッピー天国だ
と評しているくらいだ。
ストーリーはこんな感じ。イギリス軍によって敗走を余儀なくされたドイツ軍が、イギリスに一泡吹かせるべく、時限爆弾を仕掛ける。レジスタンスからの報告によって情報を知ったイギリス軍は、プランビック二等兵(アラン・ベイツ)に時限装置の解除を命令。
しかし、単なる伝書鳩飼育係でしかないプランビックに、この任務はキビしすぎた。ドイツ軍に出くわした彼は命からがら精神病院に逃げ込むが、何故か患者たちから“ハートのキング”として王様に祭り上げられてしまう。
やがて精神病院から抜け出した患者たちは、ある者は貴族に、ある者は貴婦人に、ある者は僧正に、そしてある者は娼婦へと己のオブセッションを現実化し、ム-ラン・ルージュのごとき演劇空間を創り上げる。
そこはドイツ軍もフランス軍も侵犯できない、世界で唯一のユートピアだ。かくして物語はサーカスのような祝祭的気分に包まれ、飲めや歌えや踊れやの大騒ぎとなる。
しかし、患者たちは決して狂人ではない。彼らは戦争という非日常的状況に一線を画すべく、ユートピアという別の非日常的状況を創り上げて正気を保とうとしている。
『フォレスト・ガンプ』(1994年)のように、「少々オツムは弱かろうが、無垢な人間が最終的には正しい」という寓話的構造ではない。極めて理知的な判断によって、自覚的に非現実的な虚構を現前化させるプロセスを描いているのだ。
鉢合わせしたイギリス軍とドイツ軍が、白兵戦で全滅してしまう様子をみて、ヒナゲシの少女は「変な人たちね~」とつぶやく。これは純真無垢な一言というよりも、痛烈な批評として受け止めるべき言葉なんではないか。
人間の威厳や尊厳を傷つける戦争行為に対抗するには、飲んで歌って踊って、そしていっぱいいっぱい愛し合うことしかない。そう考えると、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが平和活動のパフォーマンスとして「ベッド・イン」したのは、自然な流れだったのかも。どなた様か、小生と一緒にベッド・インしていただけませんか?
最後にトリビアを一つ。最初に登場する、ヒトラーのような口ひげを生やした「アドルフ」という名前の兵士を演じているのは、フィリップ・ド・ブロカ本人である。
- 原題/Le Roi de Coeur
- 製作年/1966年
- 製作国/フランス
- 上映時間/102分
- 監督/フィリップ・ド・ブロカ
- 製作/フィリップ・ド・ブロカ
- 脚本/ダニエル・ブーランジェ、フィリップ・ド・ブロカ
- 撮影/ピエール・ロム
- 音楽/ジョルジュ・ドルリュー
- 美術/フランソワ・ド・ラモット
- アラン・ベイツ
- ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド
- ジャン・クロード・ブリアリ
- フランソワーズ・クリストフ
- ジュリアン・ギオマール
- ピエール・ブラッスール
- ミシェル・セロー
- ミシュリーヌ・プレール
- アドルフォ・チェリ
- ダニエル・ブーランジェ
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