『ハチミツとクローバー』──恋愛至上主義が描く、美大という“楽園”の虚構
『ハチミツとクローバー』(2006年)は、羽海野チカの同名人気漫画を原作とした青春群像劇。浜田山美術大学を舞台に、竹本(櫻井翔)、はぐみ(蒼井優)、森田(伊勢谷友介)、真山(加瀬亮)、山田(関めぐみ)ら美大生たちが、それぞれの片想いと創作の苦悩の中で揺れ動く姿を描く。監督はCM界出身の高田雅博。スピッツの主題歌とともに、光に満ちた“恋愛と芸術の楽園”を繊細に映し出す。
感情移入できない主人公像
とにかく周囲のマンガ読みが、並々ならぬテンションで僕に一読を勧めてくるので、とりあえず羽海野チカの原作は読んでいた。
「登場人物がみんな片思い」という甘酸っぱさ全開のプロット、夏目房之介も激賞した緻密な構成力、魅力にあふれたキャラクターたち。こりゃハマる人はハマるなーと思いつつ、しかしながら自分自身はあまりノレなかったクチである。
その理由は、竹本くんのキャラ設定にあり。個人的な話で恐縮ですが、舞台となる浜田山美術大学のモデルは僕の母校でもある(中退ですが)。美大なんてトコロは、己の芸術的才能に真正面から向き合わざるを得ない試練の場であり、ライバルたちとテクニックを切磋琢磨する格闘場。
はぐみという掛け値無しの天才アーティストに対し、何の嫉妬心も持たず、まるで一般オーディエンスのような態度で「はぐちゃんってスゴいねー」と賞賛できてしまう竹本くんに、僕はどーしても感情移入できなかったのだ。
恋愛至上主義と芸術至上主義の狭間で
この映画版においても、竹本くんのボンクラぶりは変わらない。嵐の櫻井翔はビックリするぐらいにフラットな演技で、美大生っぽくない美大生を演じてみせる。
その屈託のない恋愛至上主義的感性が僕をイラつかせるのだが、映画を観終わってやっと気がついた。芸術至上主義に振り切ってしまえば、サリエリがモーツァルトの音楽的才能に嫉妬する『アマデウス』(1984年)の焼き直しになってしまうことを。
『ハチミツとクローバー』が指向するのは、「登場人物がみんな片思い」状態にすることによって、いつまでもピュアな恋愛感情が担保される、ひとつの“楽園”なんである。
この作品で劇場長編映画デビューを果たした高田雅博は、もともと国内外の広告賞を総ナメにしてきた有名CMディレクター。アヴァン&ポップな作風で、業界の注目を集めてきた才人である。
しかし『ハチミツとクローバー』では、あえてハデハデしい映像ギミックを封印。一陣の春風を感じさせるような、スピッツの主題歌がよく似合う「光溢れる世界」を創造してみせる。どこまでも瑞々しく美しい、寓話的世界を。
美大に通う端正な容姿の少年・少女たちの、ポートレイト風素描。『ハチミツとクローバー』は現代のお伽噺である。そのスタイリッシュな佇まいは、あくまで虚構性の上に成立しているのだ。
- 製作年/2006年
- 製作国/日本
- 上映時間/123分
- 監督/高田雅博
- プロデューサー/小川真司、今村景子、多田真穂
- 企画/豊島雅郎
- 原作/羽海野チカ
- 脚本/河原雅彦、高田雅博
- 撮影/長谷川圭二
- 美術/中村桃子
- 音楽/菅野よう子
- 照明/山崎公彦
- 録音/井家眞紀夫
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