2026/3/27

『ハチミツとクローバー』(2006)徹底解説|恋愛至上主義が描く、美大という楽園の虚構

『ハチミツとクローバー』(2006年/高田雅博)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
5 OKAY
概要

『ハチミツとクローバー』(2006年)は、羽海野チカの人気漫画をCMディレクター出身の高田雅博監督が実写化した青春ドラマ。櫻井翔演じる平凡な美大生・竹本とはぐみ(蒼井優)ら、才能と片想いに揺れる若者たちの日常を、徹底して「光」を強調した映像美で活写する。現実の美大が抱える泥臭い嫉妬や愛憎劇をあえて排除し、純度の高い「現代のお伽噺」として構築された世界観の中で、交差することのない恋とモラトリアムの行方を描き出した作品である。

目次

感情移入を完全拒絶する主人公・竹本くんのフラットさ

とにかく周囲のマンガ読みたちが、口を揃えて並々ならぬテンションで僕に一読を勧めてくるものだから、とりあえず羽海野チカの原作は読んでいた。

登場人物がみんな片思いという甘酸っぱさ全開のプロット、マンガコラムニストの夏目房之介も激賞した緻密な構成力、そして魅力にあふれたキャラクターたち。なるほど、こりゃハマる人はズブズブにハマるなーと思いつつ、しかしながら自分自身はぶっちゃけ、あまりノレなかったクチである。

その最大の理由は、主人公・竹本くんのキャラ設定にある。個人的な話で恐縮だが、物語の舞台となる「浜田山美術大学」のモデルは、僕の母校である武蔵野美術大学だ(中退だけど)。

美大なんてトコロは、オシャレでフワフワしたキャンパスライフとは裏腹に、己の芸術的才能の限界に真正面から向き合わざるを得ない残酷な試練の場であり、ライバルたちとテクニックを切磋琢磨する血みどろの格闘場なのである。

それなのに、はぐみ(蒼井優)という掛け値無しの天才アーティストを目の前にして、何の嫉妬心もドロドロしたコンプレックスも抱かず、まるで一般のオーディエンスのような態度で「はぐちゃんってスゴいねー」と無邪気に賞賛できてしまう竹本くん(櫻井翔)に、僕はどうしても、どうしても感情移入できなかったのだ。

恋愛至上主義と芸術至上主義の狭間で回避された『アマデウス』

この実写映画版『ハチミツとクローバー』(2006年)においても、竹本くんのそのボンクラぶりは全く変わらない。嵐の櫻井翔は、ビックリするぐらいにフラットで無害な演技によって、「美大生っぽくない究極の普通美大生」を完璧に演じてみせている。

その屈託のない恋愛至上主義的な感性が、美大のヒリヒリした現実を知る僕をどうしてもイラつかせるのだが……映画を観終わって、ようやくハッと気がついた。

もしここで、竹本くんが芸術至上主義に振り切って、天才はぐみに対してアーティストとしての嫉妬の炎を燃やしてしまったら、それは単に凡人サリエリが天才モーツァルトの音楽的才能に狂い嫉妬する、『アマデウス』(1984年)の安直な焼き直しになってしまうということに。

『ハチミツとクローバー』という作品が強烈に指向しているのは、そうした芸術家特有のドロドロした愛憎劇ではない。「登場人物がみんな片思い」という絶妙な寸止めの状態をキープし続けることによって、いつまでもピュアな恋愛感情とモラトリアムが担保される、ひとつの永遠の楽園を作ることなのだ。

高田雅博が描いた、光溢れるお伽噺

本作で劇場長編映画デビューを果たした高田雅博監督は、もともと国内外の数々の広告賞を総ナメにしてきた超有名なCMディレクター。アヴァンギャルドでポップな映像作風で、長年業界の注目を集めてきた稀代の才人だ。

しかし、彼はこの『ハチミツとクローバー』の実写化にあたって、あえて自分の持ち味であるハデハデしい映像ギミックを完全に封印してみせた。

奇をてらったカット割りやCGに頼るのではなく、一陣の春風を感じさせるような、ひたすらに「光溢れる美しい世界」をスクリーン上に創造。スピッツが歌う主題歌『魔法のコトバ』が、これ以上ないほどピタリとハマる、あの圧倒的な多幸感。

『ハチミツとクローバー』は、現実の美大の泥臭さを意図的に漂白した、極めて純度の高い現代のお伽噺だ。そのスタイリッシュで優しい佇まいは、あくまで徹底した虚構性の上に成立している。

嫉妬も才能の限界も、すべては柔らかな光の中に溶けていく。これこそが、高田雅博が提示した最高の青春ファンタジーなのだ。

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