やたらアラが多い、星新一的ショートショート風な寓話SF
マット・デイモンは、密かに嫉妬し続けていたに違いない!
1982年に没後も、あまたの作品が次々にハリウッドで映画化されているフィリップ・K・ディック。リドリー・スコット監督作『ブレードランナー』(1982年)、 ポール・バーホーベン監督作『トータル・リコール』 (1990年)、スティーヴン・スピルバーグ監督作『マイノリティ・リポート』(2002年)、リチャード・リンクレイター監督作『スキャナー・ダークリー』(2006年)…。
“ディック原作モノ”はどれも独創性にあふれ、盟友ベン・アフレックも『ペイチェック 消された記憶』(2003/ジョン・ウー)に出演。「畜生!何でベンにはオファーが来たのに俺には何もないんだ?俺様もディック原作の映画に出たーい!!」と、マット・デイモンは思っていたのに違いないんである(根拠なし)。
という訳で、フィリップ・K・ディックの短編小説『調整班』を原案に、『ボーン・アルティメイタム』(2007年)etc.を手がけた脚本家出身のジョージ・ノルフィを監督に迎えた『アジャストメント』(2011年)は、待ちに待ったマット・デイモン主演の“ディック原作モノ”映画。しかし、この作品にディック的主題、すなわち眩暈にも似た「現実が崩壊していく強烈な感覚」は皆無だ。
そもそも内容が、未熟な人類をより良い方向に“調整”するために、運命を自在に操作できる「運命調整局」が、上院議員候補デヴィッド・ノリス(マット・デイモン)と、バレエ・ダンサーのエリース(エミリー・ブラント)の仲を切り裂こうとするお話。
そんな障害にも負けず、二人は真実の愛を貫き通そうとする訳で、構造的にはハーレクインばりの純愛ラブストーリーなのである。
しかし人間よりも遥かに高次な存在であるはずの「運命調整局」エージェントが、『スチュワーデス物語』の堀ちえみ並にドジすぎるので、図らずもドタバタ・コメディー風味。いやホント、「運命調整局」の無能ぶりには呆れるばかり。
そもそも、二度と出会うはずのない二人が再会できたのは、エージェントが公園でうたた寝してしまったから、という理由からしてマヌケすぎる。
っていうか、ホントにデヴィッドの将来を願って調整するなら、「クラブで下半身を露出したために上院議員の夢を閉ざされる」という大失態を調整したほうが早くないか!?
婚約していた恋人と別れてしまうほど、エリースもデヴィッドに惹かれていたにも関わらず、彼女が決して彼とコンタクトをとろうとしないのもヘンすぎ。
有名政治家であるデヴィッドと接触するのは、決して難しくないはずなのに!監督のジョージ・ノルフィは脚本家出身のはずなんだが、「運命調整局」ばりにシナリオにアラが多すぎ。
しかしある一点において、僕はこの映画を評価するポイントがあるんだが、それは運命の女エリースを演じるエミリー・ブラントが、文字通り「どんな艱難辛苦が待ち受けていようと、このオンナのためなら俺頑張れる!!」と思わせるほどの吸引力がある、ということだ。
自由奔放かつミステリアス、バレエを踊るときの美しくしなやかなボディラインは、マット・デイモンではなくてもゾッコンになってしまうことだろう。役所に結婚の届け出をするだけなのに、やたら胸の谷間を強調したドレスを着てたりして、ムダにエロいとこもグーである。
言ってしまえば『アジャストメント』は、星新一的なショートショート風の寓話だ。看過しがたい欠陥を抱えるこの映画を許せるかどうかは、観客がどれだけ「ま、寓話だから仕方ないか」と思えるかどうかにかかっている。
- 原題/The Adjustment Bureau
- 製作年/2011年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/106分
- 監督/ジョージ・ノルフィ
- 製作/マイケル・ハケット、ジョージ・ノルフィ、ビル・カラッロ、クリス・ムーア
- 製作総指揮/イサ・ディック・ハケット、ジョナサン・ゴードン
- 原作/フィリップ・K・ディック
- 脚本/ジョージ・ノルフィ
- 撮影/ジョン・トール
- 視覚効果監修/マーク・ラッセル
- プロダクションデザイン/ケヴィン・トンプソン
- 編集/ジェイ・ラビノウィッツ
- 音楽/トーマス・ニューマン
- マット・デイモン
- エミリー・ブラント
- アンソニー・マッキー
- ジョン・スラッテリー
- マイケル・ケリー
- テレンス・スタンプ
- ローレンス・レリッツ
- スティーヴ・ソーレソン
- フローレンス・カストリナー
- フィリス・マクブライド
- ナタリー・カーター
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