『紅の豚』は、宮崎駿の思想・信条が最も色濃く描かれた一篇だ。
アドリア海で飛行艇を操り、世俗にとらわれず自由人を全うするポルコ・ロッソは、宮崎駿の理想像、いや、宮崎駿その人といってもいいかもしれない。
そもそもポルコ・ロッソはどーしてブタなのか?それは、宮崎駿があまりにも自己を投影したキャラクターを創造してしまったが為に、照れ隠しとしてブタにしてしまったというのは勘ぐりすぎだろうか。となれば『紅の豚』は、私小説ならぬ私アニメなんではないか。
飛べないブタはただのブタだ
はポルコ・ロッソのセリフだが、それは「アニメをつくれない宮崎駿はただのくたびれたオヤジだ」という、あまりにも率直な自己弁明のように聞こえてしまう。
押井守がどっかで書いていたが、ポルコ・ロッソが帽子を脱いだら宮崎駿の顔になって、「実はボクでした、ブヒブヒ」と言ったら相当笑えただろうに。アニメ史上最高のセルフ・パロディーになったことは間違いなし!
「国民債券を購入して民族に貢献されてはいかがですか」という銀行員の勧誘に対し、ポルコ・ロッソが「ブタに国も法律もねえよ」と一刀両断するセリフには、常にコスモポリタンでありたいとする、安保世代の夢が込められている。
ソビエトが崩壊し、ユーゴスラビアが崩壊し、社会主義が崩壊した世界状況の中で、宮崎駿は自らに潜むマルキシズムにケリをつけるためにこの映画に着手した。
ファシズム批判、エコロジー思想、そして徹底したフェミニズム。ポルコ・ロッソが隠れ家にしているアドリア海の離れ小島は、宮崎駿にとっての理想郷だ。ポルコ・ロッソが飛行艇を乗り回すのは、自由への査証を得るがため。
飛行艇は戦争の道具にはならず(何てったって彼の職業は賞金稼なのだ!)、メンテナンスは全て女性たちによって委ねられている。
男のダンディズムを発揮するにあたって、これほどうってつけの時代設定はないだろう。宮崎駿は自分自身が思う存分“飛翔”するために、このような世界観を構築したのだ。
…しかし。おそらく本人は楽しめる作品を作ったんだろうけど、何だか「カッコよさ」の押し付けのような気がして、観客不在の映画に見えてしょうがない。宮崎駿のイデオロギーが充満した『紅の豚』は、アニメの本来の意義を失ってしまった。
ポルコ・ロッソの華麗な空中飛行も、僕の中では低空飛行のままだ。
- 製作年/1992年
- 製作国/日本
- 上映時間/91分
- 監督/宮崎駿
- 原作/宮崎駿
- 脚本/宮崎駿
- 製作/徳間康快、俊光松男、佐々木芳雄
- プロデューサー/鈴木敏夫
- 企画/山下辰巳、尾形英夫
- 作画監督/賀川愛、河口俊夫
- 撮影/奥井敦
- 音楽/久石譲
- 美術/久村佳津
- 編集/瀬山武司
- 録音/浅梨なおこ
- 森山周一郎
- 加藤登紀子
- 岡村明美
- 大塚明夫
- 関弘子
- 桂三枝
- 上條恒彦
- 阪修
- 田中信夫
- 野本礼三
- 島香裕
最近のコメント