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激突!/スティーヴン・スピルバーグ

『激突!』──スピルバーグが刻んだ追跡と逃走の原点

『激突!』(原題:Duel/1971年)は、スティーヴン・スピルバーグがテレビ用に制作したサスペンス映画。セールスマンのデヴィッド・マン(デニス・ウィーヴァー)は、砂漠のハイウェイで追い越したトラックから執拗な攻撃を受ける。相手の正体や動機は語られず、逃走と追跡が繰り返されるのみ。脚本はリチャード・マシスン、製作はジョージ・エクスタイン。無名時代のスピルバーグが、映像と音のリズムだけで緊張を構築した作品であり、後の『ジョーズ』(1975年)へと通じる原点となった。

ヒッチコックの遺伝子──ディテールが恐怖を構築する

映画史の起点をリュミエール兄弟のシネマトグラフにまで巻き戻すならば、映画とは「運動を記録する芸術」である。

無声映画期に量産された短編喜劇群──走り、転倒し、追いかけ、逃げる──それらの根底には人間と人間、人間と馬、あるいは列車や自動車などの“運動体”を競わせる映像的欲望があった。

グリフィスが物語性を導入する以前から、映画はすでに「動き」と「衝突」を快楽の装置として完成させていた。やがて映画は文学や演劇と並ぶ総合芸術として成熟していくが、映画の純度はむしろその逆──動きの原初へと回帰する瞬間にこそ宿る。

スピルバーグの『激突!』は、その意味で“映画的純度”の結晶である。物語を削ぎ落とし、運動だけを残す。その行為は、映画の起源を掘り当てる考古学的試みでもある。

スピルバーグの手つきを理解するには、アルフレッド・ヒッチコックの影響を無視できない。ヒッチコックは『サイコ』(1960年)を語る際、「主題なんてどうでもいい。演技なんてどうでもいい。重要なのは、映画を構成するディテールが観客を悲鳴に導くという事実だ」と断言した。

俳優中心の演劇的価値観を拒絶し、映像操作によって感情を設計する。『激突!』はまさにその継承である。人物の背景や心理を極限まで排除し、観客が“なぜ追われるのか”を考える隙を与えない。

代わりに、カットの連鎖と音響の圧力で意識を支配する。巨大トラックの重量感、タイヤの摩擦音、車体に跳ねる光。これらの要素が論理を越えて恐怖を生成する。

『鳥』(1963年)が「理由なき脅威」を可視化したように、『激突!』もまた説明を拒む恐怖の構築物である。観客は物語を理解するのではなく、映像のリズムに従属するしかない。そこに“スリルの純度”が生まれる。

不条理のリズム──ピュア・ムービーの系譜

『激突!』の物語は驚くほど単純である。セールスマンがトラックを追い越し、そこから延々と逃走が続く。それだけのことだ。だが映画は、その単純さゆえに深淵を覗かせる。

トラックの動機は最後まで語られない。無意味な暴力、無名の脅威。観客は理由を探すことを諦め、ただ“逃げる/追う”の運動に巻き込まれる。ここには文学的解釈を拒む潔さがある。

舞台劇のような対話もなく、心理も説明されない。映像と音だけで構成された“運動の抽象詩”だ。音を消しても伝わる緊張感、画面構成と編集リズムだけで成り立つ構造。

スピルバーグは、無声映画以来の“映像だけで語る映画”を現代に蘇らせた。『激突!』は脚本でも台詞でもなく、純粋な視覚操作によって観客の身体を支配する。まさに“ピュア・ムービー”と呼ぶにふさわしい。

本作が特異なのは、その出自がテレビ映画である点だ。1970年代初頭、ハリウッドはテレビの台頭によって観客を失いつつあった。しかし皮肉にも、そのテレビを出発点とした若い演出家たちが、のちに劇場映画を刷新することになる。

シドニー・ポラック、ジョン・ミリアス、そしてスティーヴン・スピルバーグ。彼らはテレビという制約の中で映像のテンポと構成力を磨いた。『激突!』の完成度は、その“制約の美学”の産物である。低予算ながら、映像は劇場映画以上に研ぎ澄まされていた。

こうしてテレビ映画が逆に劇場公開へと昇格するという逆転現象が起きる。『激突!』はメディアの上下関係を転倒させた事件であり、70年代ニュー・ハリウッドの胎動を告げる鐘だった。

『激突!』の成功のあと、スピルバーグは『続・激突!カージャック』(1974年)で劇場映画デビューを果たす。ここでも“追跡と逃走”のモチーフが反復される。

やがて『ジョーズ』(1975年)においてその主題は極限まで洗練される。トラックがサメへと置き換わり、恐怖の構造はそのまま維持される。サメはトラック同様、理由なき暴力の象徴であり、見えない恐怖のメタファーである。

スピルバーグの恐怖演出は常に“見えない運動体”を通して構築されている。『激突!』のカメラが地を這い、『ジョーズ』のカメラが水面下を這う。

見えないものが迫る恐怖。これが彼の美学の核心だ。観客は物語ではなく感覚としてのスリルを体験する。『激突!』は、その後のスピルバーグ作品すべての原点として、彼の映像的思考のプロトタイプを示している。

体感としての映画──スリルの設計術

『激突!』を観るとは、理屈ではなく感覚で“追われる”ことだ。観客は主人公の焦燥と同期し、ハンドルを握る手の汗まで再現する。理由はない。説明もない。だがその“わけのなさ”が映画を純化する。スピルバーグは観客の思考を排除し、反射神経だけを刺激する。

これは物語を体験する映画ではなく、神経を操作される映画である。トラックが現れるたび、心拍が上がり、無意識に呼吸が浅くなる。観客の身体が映像の一部になる瞬間、映画は真の“運動の芸術”へと回帰する。

『激突!』は、リュミエール兄弟がカメラの前を通り過ぎた列車の衝撃を、70年代のフィルムに再現した作品であり、スピルバーグという映画人が“映画とは何か”を原点から再定義した一篇なのだ。

DATA
  • 原題/Duel
  • 製作年/1972年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/90分
STAFF
  • 監督/スティーヴン・スピルバーグ
  • 製作/ジョージ・エクスタイン
  • 原作・脚本/リチャード・マシスン
  • 撮影/ジャック・マータ
  • 音楽/ビリー・ゴールデンバーグ
  • 編集/フランク・モリス
CAST
  • デニス・ウィーバー
  • ジャクリーヌ・スコット
  • エディ・ファイアーストーン
  • ルー・フリッゼル
  • ルシル・ベンソン
  • キャリー・ロフティン