2026/3/29

『オー・ブラザー!』(2000)徹底解説|ホメロス「オデュッセイア」を下敷きにした珍道中ロードムービー

『オー・ブラザー!』(2000年/コーエン兄弟)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
7 GOOD
概要

『オー・ブラザー!』は、ジョエル・コーエン監督が放った、1930年代のアメリカ南部を舞台とするコメディ・アドベンチャー。ミシシッピ州の刑務所から脱獄した詐欺師エヴェレットが、仲間のピートとデルマーと共に、水没予定の谷に隠したという120万ドルの宝を探すための旅に出る。ロジャー・ディーキンスの撮影によるセピア調の風景とT・ボーン・バーネットのプロデュースによる音楽が響く中、3人は銀行強盗や盲目の予言者、クー・クラックス・クランの集会などと遭遇しながら、目的地を目指す。サウンドトラックは、全米ビルボードチャートで第1位を獲得し、第44回グラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞した。

目次

構想3000年の超絶パロディ

「構想なんと3000年!」というのが、公開当時の本作のキャッチコピー。

一体何のこっちゃと首を傾げていたのだが、蓋を開けてみれば、欧米人にとっては一般教養ド真ん中とも言える、古代ギリシャの詩人ホメロスの長編叙事詩「オデュッセイア」が原典になっていた。コーエン兄弟らしい、とんでもなく知的で悪ふざけに満ちた仕掛けが施されていたのである。

正直なところ、我々一般的な日本人には古代ギリシャ神話のディテールなんてサッパリ分からない。しかし、劇中で脱獄囚の三人組が遭遇する奇妙な出来事は、すべてこの古典への見事なオマージュなのだ。

線路を漕いで進む「盲目の予言者」、川辺で美しい歌声と色香で旅人を惑わす3人の遊び女(セイレーン)、魔法の酒の力で仲間を動物に姿を変えられてしまうエピソード(本編ではヒキガエルになっているが、原典では豚)、そしてジョン・グッドマン演じる凶暴な片目の聖書セールスマンとの対決は、完全に一つ目の巨人(サイクロプス)」のパロディだ。

極めつけに、ジョージ・クルーニー演じる主人公ユリシーズの妻の名前はペニーだが、これも原典で帰りを待つ貞淑な妻・ペネロペに由来している。

神話の壮大なエピソードを、1930年代のアメリカ南部ミシシッピ州の泥臭いドタバタ劇へと力技で変換してしまう、コーエン兄弟の恐るべき教養と腕力には感服するほかない。

マニアックなことを言うと、原題である『O Brother, Where Art Thou?』というタイトル自体が、スクリューボール・コメディの巨匠プレストン・スタージェス監督による傑作『サリヴァンの旅』(1941年)と繋がっている。

主人公の映画監督が「どうしても撮りたい!」と熱望していた、社会派映画の架空のタイトルをそのまま拝借している。つまり、スタージェスが夢見た幻の映画を、コーエン兄弟が半世紀の時を超えて具現化してみせたという粋なメタ構造なのだ。

旅の途中で彼らが拾う黒人ギタリストのトミーが、「十字路で悪魔に魂を売り渡した引き換えに、凄腕のギターテクニックを身につけた」と語る設定は、伝説的ブルースマンのロバート・ジョンソンの有名なエピソードに依拠している。

この映画は、ギリシャ神話、アメリカの映画史・音楽史的な豊潤な記憶がギチギチに詰め込まれた、オタク歓喜の玉手箱のような映画なのだ。

映画史を塗り替えたルーツ・ミュージックの魔法

もちろん、そんな高尚な予備知識など1ミリもなくとも、この映画は理屈抜きで十二分に面白い。徹頭徹尾、寓話的エンターテインメント感に満ちた物語は、ひたすらハッピーでひたすらおバカなのだから。

そのハッピーな空気を決定づけている最大の要因が、全編を通じて怒涛のように繰り出されるゴキゲンなアメリカン・ルーツ・ミュージックの数々である。

ブルーグラス、カントリー、ゴスペル、ブルースと、美しい音楽をプロデュースしたのは、音楽界の巨匠T・ボーン・バーネット。この映画のサウンドトラックは、全米チャートで1位を獲得した挙句、グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーまでかっさらうという、サントラの歴史を塗り替える社会現象を巻き起こす。

特に、劇中で主人公たちがズブ濡れボーイズ(The Soggy Bottom Boys)と名乗ってラジオ局でレコーディングするカントリー・ナンバー「I Am a Man of Constant Sorrow」なんて、一度聴いたら脳内を永遠にループする最高にサイコーな名曲じゃないですか。

マイクの前に立つジョージ・クルーニーを見て、「こんなに歌唱力があったのか!」と素直に感心してしまったのだが、後で調べてみると、どうやら実際に素晴らしい美声を録音したのは、ブルーグラス歌手のダン・ティミンスキーという人物の吹き替えらしい。

しかし、そんな裏事情はどうでもよくなるほど、ノリノリでステップを踏みながら熱唱(口パク)するクルーニーのドヤ顔は、このうえなく微笑ましい。

音楽の力はコメディシーンにとどまらない。白人至上主義団体KKKの恐ろしい夜の集会シーンですら、幾何学的なマスゲームと呪術的な歌声(ラルフ・スタンレーの『O Death』)を組み合わせることで、まるでバズビー・バークレーのミュージカル映画のような異常に美しいスペクタクルへと昇華されている。

この映画において、音楽は単なるBGMではなく、物語を力強く前進させ、神話を現実へと繋ぎ止める魔法として機能しているのだ。

理屈を吹き飛ばすおバカ喜劇

カンヌを制した『バートン・フィンク』(1991年)、カルト的な人気を誇る『ビッグ・リボウスキ』(1998年)、あるいは血みどろの『ファーゴ』(1996年)。

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟といえば、シニカルでアッパーで、極めてアクの強い演出が持ち味の映画作家だ。個人的には、あの人を食ったような冷笑的な毒が時折鼻について、苦手だったりもするのだが。

だがこの『オー・ブラザー!』に関しては、彼らのアクが、音楽の持つ圧倒的な陽気さと、主人公トリオ(ジョージ・クルーニー、ジョン・タトゥーロ、ティム・ブレイク・ネルソン)のポンコツぶりによって、程よく中和されている。

クルーニー演じるユリシーズは、ポマードで髪を整えることしか頭にない超絶ナルシストで、口から出まかせばかりの詐欺師。彼についていくピートは短気ですぐキレるし、デルマーに至っては人間の姿に戻ったカエルを大事に箱に入れて持ち歩くほどの純真すぎる大バカである。

この愛すべき三人のアホたちが、大恐慌時代のミシシッピを舞台に、銀行強盗のベビーフェイス・ネルソンと車で暴走したり、インチキな知事選に巻き込まれたりしながら、ひたすらドタバタと駆け抜けていく。

ラストの洪水のシーン(あからさまなデウス・エクス・マキナ!)も含めて、物語の辻褄やリアリズムなどこの映画の前では完全に無意味だ。この映画に関する絶対的に正しい鑑賞法はただ一つ。「細かい理屈は何だか訳分からなかったけど、最高にゴキゲンな音楽とアホな男たちのせいで、とりあえずめちゃくちゃハッピーな気持ちになる映画だった!」と笑い飛ばすことである。

コーエン兄弟 監督作品レビュー