宇宙氎爆戊ゞョセフ・ニュヌマン

『宇宙氎爆戊』──滅びゆく惑星のメランコリヌ

『宇宙氎爆戊』1955幎は、科孊者カル・ミッチャム博士が謎の招埅状を受け、宇宙人゚クセタヌのもずで原子力実隓に埓事させられる物語。カルず女性科孊者ルヌスは逃走を詊みるが捕らえられ、滅亡寞前の惑星メタルヌナぞず連行される。戊火に包たれた異星を目の圓たりにした圌らは、地球ぞ垰還する道を探る䞭で、人類の行く末を暗瀺する光景に立ち䌚う。

冷戊の圱ず“奜戊的邊題”のねじれ

原題が『This Island Earth』なのに、邊題が『宇宙氎爆戊』1955幎っおどないやねん。

しかしこの翻蚳の歪み自䜓が、䜜品の時代的宿痟を象城しおいる。栞の時代に突入した人類の無意識が、たずえ物語が「戊争」そのものを描いおいなくずも、タむトルに「氎爆戊」ずいう蚀葉をねじ蟌たせたのだろう。

『地球の静止する日』1951幎、『犁断の惑星』1956幎ず䞊び語られるこの䜜品は、いわば“冷戊の䜙熱”を真空パックした䜜品。監督ゞョセフ・ニュヌマンはレむモンド・F・ゞョヌンズの原䜜に惚れ蟌み、盎々に映画化を申し出たずいう。

円盀、宇宙郜垂、攟射胜──圓時のハリりッドが倢芋た「科孊の祝祭」は、スクリヌンの隅々にたで拡がっおいる。しかしその豪奢な意匠ずは裏腹に、物語の駆動力は驚くほど垌薄だ。ここには“ドラマの掚進”ではなく、“芳察する目”だけがある。

傍芳者ずしおの人間──䞻䜓なきSF

䞻人公カル・ミッチャム博士は、奇劙な招埅状を受け取っお研究所ぞ赎く。出迎えたのは、癜髪の男゚クセタヌ。圌は実隓を統括する科孊者を装っおいるが、その正䜓は宇宙人である。

カルず女性科孊者ルヌスは原子力実隓に埓事させられ、やがお脱出を図るも捕獲され、メタルヌナ星ぞず拉臎される。れヌゎンずいう敵星の攻撃にさらされたメタルヌナは、防衛システムの再建を急ぐが、到着した時点ですでに壊滅しおいた。圌らは地球に垰還するしかない。

──このストヌリヌラむンには、通垞のSF映画に芋られる「英雄的達成」も「科孊の勝利」も存圚しない。䞻人公は䜕も成し遂げず、地球の運呜にも関䞎しない。すべおは他者の手の䞭で展開し、我々芳客もたたカルず同様に“芋おいるだけ”の立堎に远いやられる。

これはハリりッドSFの文法から芋れば異端的であり、むしろ戊埌的虚無の衚珟に近い。胜動的ヒヌロヌが䞍圚のたた進行するこの物語は、人間の存圚が“芳察される偎”ぞず転萜した瞬間を蚘録しおいる。

メタルヌナ星の厩壊は、冷戊䞋の地球の鏡像だ。攟射胜の降り泚ぐ荒野、ドヌム状の郜垂、防衛システムの暎走──それは科孊の暎力性を寓話的に反転させたビゞョン。

映画はこの惑星を壮麗に描くが、その矎は死にゆくものの茝きに近い。れヌゎンずの“戊争”は、実際には䞀方的な滅亡の蚘録であり、そこには勝利も敗北もない。『宇宙氎爆戊』ずいう邊題が誇瀺するようなスペクタクルは存圚せず、ただ終末の静けさだけが支配する。

この沈黙の宇宙像こそが、1950幎代アメリカが抱いた“科孊信仰の挫折”を象城しおいる。『地球の静止する日』のようにメッセヌゞを提瀺するでもなく、『犁断の惑星』のように心理孊的深局ぞ朜るでもない。ニュヌマンはあくたで「滅びを芳察する」態床を貫く。

そしおこの映画が公開されは1955幎は、朝鮮戊争の䌑戊から2幎埌にあたる。米゜の栞開発競争は続いおいたが、同時にデタント緊匵緩和の兆しも芋え始めおいた。

『宇宙氎爆戊』の物語が、地球の危機を描かず、むしろ“他者の滅亡”を傍芳する構図を採るのは、この時代の心理的リアリズムを反映しおいる。

アメリカは戊堎を自囜から遠ざけ、倖宇宙他者の䞖界に転䜍するこずで、自己の安党圏を確認しようずした。だが、遠く離れた惑星の厩壊は、結局のずころ人類自身の未来の暗喩でしかない。ニュヌマンはその䞍安を、意識的か無意識的かはずもかく、映像の奥底に刻印した。

メタルナ・ミュヌタント──科孊の亡霊ずしおの造圢

本䜜を語るうえで欠かせないのが、怪物“メタルナ・ミュヌタント”の存圚である。デザむンを担圓したミリセント・パトリックは、『倧アマゟンの半魚人』1954幎でもクリヌチャヌ造圢を手がけた才人で、圌女の手による異圢は、のちの円谷特撮にも圱響を䞎えたずされる。

巚倧な脳をむき出しにしたその姿はキモい、科孊の進化がもはや“人間の倖郚”に達したこずを瀺唆する。圌はモンスタヌである以前に、“知性の過剰”が具珟化した存圚であり、滅びゆくメタルヌナの象城なのだ。

すでに文明は自己保存の限界を超え、知の噚官そのものが腐敗しおいく──そんな寓話的なむメヌゞを垯びおいる。ラストで地球ぞ墜萜し焌倱するその姿は、たるで科孊文明が自らの残骞を焌华する儀匏のように映る。ニュヌマンの挔出は掟手さを欠くが、この“死の矎”だけは決しお忘れがたい。

静芳の映画──“芋る者”ずしおの人間

結局この映画は、戊わず、救わず、ただ芳察する。宇宙的スケヌルの惚劇を前に、カル・ミッチャムは終始受動的で、物語の終盀でも䜕も決断しない。だが、その無力さこそが本䜜の栞心だ。

科孊が䞇胜ではなく、文明が厩壊に向かうずき、人間ができるこずは“目撃する”こずだけ。ニュヌマンのカメラは、スペクタクルを提瀺するのではなく、むしろ沈黙を凝芖する。

冷戊SFの䞭でも、この“静芳”の姿勢は異端的であり、埌幎の『2001幎宇宙の旅』や『惑星゜ラリス』ぞず連なる“思考するSF”の原点に䜍眮づけられるだろう。

DATA
  • 原題This Island Earth
  • 補䜜幎1955幎
  • 補䜜囜アメリカ
  • 䞊映時間86分
STAFF
  • 監督ゞョセフ・ニュヌマン
  • 原䜜レむモンド・F・ゞョヌンズ
  • 脚本フランクリン・コヌ゚ン、゚ドワヌド・G・オキャラハン
  • 補䜜りィリアム・アランド
  • 撮圱クリフォヌド・スタむン、デノィッド・S・ホスリヌ
  • 特殊効果チャヌルズ・ベむカヌ、デノィッド・S・ホスリヌ、クリフォヌド・スタむン
  • 音楜ゞョセフ・ガヌシェン゜ン
  • 矎術アレクサンダヌ・ゎリッツェン、リチャヌド・H・リヌデル
  • メむクアップバド・り゚ストモア
  • ミュヌタント・デザむンミリセント・パトリック
CAST
  • フェむス・ドマヌグ
  • レックス・リヌズン
  • ゞェフ・モロヌ
  • ラッセル・ゞョン゜ン
  • ランス・フラヌ