内に閉じ込めていた記憶を呼び起こし、蒼き時代を激しく喚起させる映画
【古典物理学においてエーテルとは光を伝播する媒質であり、この宇宙を満たしているものと考えられたものである。】
【しかし、『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)においては、エーテルは精神的な意味あいとして語られる。それは自分と他人とを別つ心の壁(エヴァンゲリオン風に言えばATフィールドか?)を溶解するものなのだ。】
【幼かった頃、僕らは単純に信じていた。この世の全ての人間は分かり合える存在であり、世界は愛に溢れたエーテルに満ちていると。】
【しかし、現実はそうではない。理不尽な暴力や虐待は日常茶飯事だし、「力」が絶対的な権力を誇る中学時代となればなおさらだ。】
【これは「いじめ」という現代的なテーマに関する、岩井俊二の真摯なテクストである。『Love Letter』(1995年)では甘酸っぱいスクールデイズを叙情的に描いた彼だが、『リリイ・シュシュのすべて』はそんな甘美なものではない。これは、「現在」を生きる少年少女たちのサバイバル・ストーリーなのである。】
【この作品が圧倒的にリアルなのは、いじめる側といじめられる側への視座が、どちらもフラットに描かれている点である。】
【親友同士だった蓮見と星野の二人の関係は、西表島への旅行を契機に激変する。”死”を間近に見た星野は劇的な内的変化を遂げ、友達であったはずの蓮見さえ徹底的ないじめの対象としてしまう。】
【星野は蓮見に対し、野外でのマスターベーションを強要し、売春行為を繰り返す女子の監視役を強要し、同性から目のカタキにされていた女子をレイプする片棒をかつがせるのである(しかも蓮見が想いを寄せるコであるのだ!)。】
【しかしおそらく彼らは、相反する存在ではない。】
【蓮見の苦しみを星野は知っている。彼らは“リリイ・シュシュ”という稀代の歌姫に未来への希望を抱き、夢を語り合った同士だ。では、何が二人を別け隔ててしまったのか。】
【それは、二人の世界に対する認識の差異である。】
【蓮見は、世界がエーテルで満ちていることをまだ信じている。この世界を諦めていないからこそ、彼は逃避する。自分のフィールドである郊外都市…美しい田園が広がる風景のその向こうに、光溢れる世界が広がっていることを信じている。】
【しかし沖縄旅行で“覚醒”した星野は、世界が閉ざされていることを本能的に察知してしまう。その苛立ち、鬱屈とした哀しみが「いじめ」という行動に突き動かすのである。】
【彼らの世界に対する立ち位置が、いじめる側といじめられる側に隔てる最大の要因なのだ。】
【インターネットというバーチャルな空間で、エーテルの存在を夢見ることができたフィリアこと蓮見は、青猫の正体が星野であったことを知った瞬間に、エーテルそのものが霧散する感覚を覚えたに違いない。…この世界は愛で溢れてはいなかった。すべては幻だった。蓮見はその現実を受け入れるために、生きるために、星野の背中にナイフを突き刺す。善悪の判断や道徳的な倫理観に立ち返る前に、彼はこの日常をサバイブしなければならないのだ。】
【鬱屈とした、青い時代特有の痛み。痛い。突き刺さるように痛い。】
【大人は最後まで少年・少女たちの痛みに気がつかず、呼吸の仕方を忘れた子供たちは、生死の狭間で揺れ動く。】
【内に閉じ込めていた記憶を呼び起こし、蒼き時代を激しく喚起させる映画。あまりにも美しい田園風景のなか展開される、あまりにも陰惨な物語。】
【しかし、このリアルな手触りは本物である。現在をあまりにも的確に捕えた傑作である。】
【この映画を観終わった後、蓮見と星野がリリイ・シュシュに憧れるリリホリックになったように、我々もまた岩井俊二という稀有な才能にただただ圧倒されるイワイホリックとなるだろう。】
投稿者:竹島ルイ
- 製作年/2001年
- 製作国/日本
- 上映時間/146分
- 監督/岩井俊二
- 脚本/岩井俊二
- 撮影/篠田昇
- 音楽/小林武史
- 録音/滝澤修
- ラインプロデューサー/橋本直樹
- アソシエイトプロデューサー/前田浩子
- 市原隼人
- 忍成修吾
- 蒼井優
- 伊藤歩
- 市川実和子
- 大沢たかお
- 稲森いずみ
- 杉本哲太
- 勝地涼
- 五十畑迅人
- 郭智博
- 田中丈資
- 土倉有貴
最近のコメント