A級ミステリーの風情を漂わせつつ、その正体は陳腐なB級キテレツ映画
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
『ミシシッピー・バーニング』(1988年)、『評決のとき』(1996年)系の、黒人差別問題を扱った重厚な社会派ドラマと思いきや、中盤になって『羊たちの沈黙』(1991年)のようなサイコ・スリラーに変貌し、終盤になると突然陳腐なアクションに変貌するという、かなりキテレツな映画。
ショーン・コネリー、ローレンス・フィッシュバーン、エド・ハリス、ケイト・キャプショーなどの豪華出演陣で、A級ミステリーの風情を漂わせているが、実はB級の香りがプンプンする。
死刑反対論者の法学部教授が、少女誘拐殺人の濡れ衣を着せられた、死刑囚ボビーを救うべく奮闘し、真犯人はマッド・シリアル・キラーのブレア・サリバンであることを立証。
これでメデタシメデタシとなるはずだったが、さらに物語は二転して、真犯人はホントにボビーだったという、ミステリーものとしては割と定石な内容。
要は黒人差別問題が、観客を間違った視点にミスリードするトリックとして仕掛けられているのだ。うーん、でも黒人差別自体がデリケートな問題だけに、観ていてあまりスッキリしない。
だって、実際に警察はボビーを拷問した訳でショ?そのあたりが宙ぶらりんのままお話が終わっちゃうのは、いかがなものかと思います。
ボビーの狙いは、出世欲のために彼を必要以上に拘留したかつての弁護人、ケイト・キャプショーを殺害することだった訳だが、自分を拷問した警察に復讐を果たそうとするのがフツーの行動原理なんではないか。
何てったって、ナニを切断されてしまっている訳だし(だからこそ殺された少女の解剖結果で精液が確認されなかったのだが、挿入の跡があったというのはどーゆーことだ!?)。このボビーくん、チンチンは切られちゃうわ、最期はワニに食べられちゃうわで、ふんだりけったりの人生である。
結局、法の番人として正義を標榜するショーン・コネリーが、ラストでは家族を救うことだけに終始して、モラルもへったくれもなし。ボビーの「これが正義か?」という言葉に対して、何も言い返せないハゲ頭の親父の姿がそこにある。
ミステリーとして底が割れている感があるが、社会派ドラマとしてもかなり厳しいものがあります。ショーン・コネリーとケイト・キャプショーがえらく歳の離れた夫婦役だったので、これは絶対何かの伏線だと思っていたんだが、どうもコネリー爺が若い女好きということだけだったらしい。
ちなみに、どうしても孫にしかみえない娘役を演じているのは、今をときめくスカーレット・ヨハンソン。うわー、全然気が付かなかったよ!!
- 原題/Just Cause
- 製作年/1995年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/102分
- 監督/アーネ・グリムシャー
- 製作/リー・リッチ、アーネ・グリムシャー、スティーヴ・ペリー
- 製作総指揮/ショーン・コネリー
- 原作/ジョン・カッツェンバック
- 脚本/ジェブ・スチュアート、ピーター・ストーン
- 撮影/ラヨシュ・コルタイ
- 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード
- ショーン・コネリー
- ローレンス・フィッシュバーン
- ケイト・キャプショー
- ブレア・アンダーウッド
- ルビー・ディー
- エド・ハリス
- ネッド・ビーティ
- ケビン・マッカーシー
- クリス・サランドン
- クリストファー・マーレイ
- スカーレット・ヨハンソン
- ダニエル・J・トラヴァンティ
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