『斬る』(1968年/岡本喜八)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『斬る』(1968年)は、岡本喜八監督が山本周五郎原作をもとに描いた異色時代劇。藩の不正を正そうとする志士たちと、彼らを助ける流浪の浪人(仲代達矢)、そして侍に憧れる百姓・半次郎(高橋悦史)の運命を描く。血で血を洗う剣戟劇ではなく、滑稽さと哀しみが交錯する群像劇として構成され、岡本作品らしい軽やかさとリズム感に満ちている。宿場町を舞台に繰り広げられる人間模様の中で、“斬ること”の虚しさが静かに浮かび上がる。
タイトルに裏切られる幸福
タイトルがズバリ『斬る』だもんで、筋書きなんぞ二の次とばかりに、斬って斬って斬りまくるスプラッタ時代劇と思っていたら、全然違った。
いかにも岡本喜八作品らしい、ウェルメイドなプログラム・ピクチャーで、全体に飄々とした雰囲気がパッキングされている。血を血で洗う大殺戮を期待していた僕には肩透かしでした。
っていうかこの映画、基本プロットはほとんど黒澤明の『椿三十郎』(1962年)の同工異曲。これってやっぱ原作が同じ山本周五郎だからか?藩の悪政を正さんと、家老暗殺を決行する忠義の志士たち、それを手助けする凄腕の使い手という構造は、まんま『椿三十郎』における三船敏郎-加山雄三ラインに符号する。
筆頭家老の東野英治郎が幽閉されてしまう下りも、『椿三十郎』で城代家老・伊藤雄之助が軟禁されるシチュエーションと激似だ。
だが、喜八が本当に“斬っている”のは物語ではない。彼が斬りつけるのは、時代劇そのもの。黒澤が武士道の理想を描いたとすれば、岡本はその記号を反転させ、侍を戯画化し、軽やかに解体してみせる。
『斬る』というタイトルの下で、この映画は武士道を斬り捨てているのである。
百姓の視点で描く〈反・時代劇〉
これでは単なる『椿三十郎』のクローン映画になってしまう本作に、強烈なスパイスを効かせているのが、侍に憧れる百姓・半次郎を演じる高橋悦史である!エツジ・タカハシである!エツジ・ワイルド・タカハシである!
女郎屋に行っても「土の匂いのするオンナをくれ」と言い放つなど、ガサツで単細胞だが気は優しい無骨キャラをヴィヴィッドに演じており、そのダイナミズムたるや、大きな鼻孔から鼻息が聞こえてきそうなほど。
とらえどころのない茫洋としたヤクザを演じる仲代達矢が、高橋悦史と好対照なコントラストを形成し、作品にユーモラスで軽やかな雰囲気を与えているのもグッド。
人気のない宿場町で空っ風に立ち向かいながら食い物を求めてさまよう悦史、茶屋があると聞いて一目散に走り出す悦史、茶屋の婆さんが自殺しているのを見て途方に暮れる悦史と、ファースト・シーンから悦史尽くしで、ファン悶絶必至。
この冒頭のリズム感は、まさに岡本喜八の〈編集によるアクション〉の典型だ。黒澤の長回しが“重力”を描いたのに対し、岡本はショットの切り返しで“呼吸”を描く。
つまり『斬る』は、時代劇の中でジャズをやっているような映画なのだ。足音、息遣い、間合いのズレ。高橋悦史の身体そのものが、岡本のカット割りと完全にシンクロしている。
岡本が選んだのは、英雄ではなく庶民。黒澤の三十郎が中間者=理想の剣客であるなら、岡本の半次郎はただの腹の減った男だ。だがその凡庸さこそが、戦後日本のリアリズム。
岡本は〈英雄神話の終わり〉をユーモアで描くことで、時代劇を庶民の映画へと引きずり下ろしたのだ。
笑いと暴力のあいだに宿るリズム
そんな導入部を、岡本喜八はリズミカルなカッティングとシャープな映像で描き出し、マカロニ・ウェスタンにおける定番シーン(砂塵吹き荒れるゴーストタウンに、腕利きのガンマンが現れるみたいな)のような、クールネスをたたえている。人気のない町で、つんざくような泣き声をあげるカラスや、せわしく動き回る烏骨鶏のカットを時折挿入しているのも巧い。
この笑いと暴力の間の呼吸こそ、岡本演出の真骨頂。カットの切り返しでテンションを上げ、直後に沈黙を落とす。笑った次の瞬間に血が流れ、斬り合いの直後に茶をすする。
生と死、ユーモアと暴力がリズムの中で共存している。岡本の映画は、観客の身体が思わず呼吸を合わせてしまうような、肉体的なモンタージュなのだ。
西部劇を知り尽くした喜八は、〈構図で斬る〉監督でもある。空を切るカメラの角度、逆光のシルエット、風の中の静止。銃を抜く代わりに刀を構える。その一挙手一投足が、セルジオ・レオーネ的な間の変奏。つまり『斬る』はチャンバラではなく、リボルバーを持たない西部劇なのだ。
確かに、局面が次々に変化しすぎて物語が直線的に盛り上がらなかったり、クライマックスの大チャンバラシーンがあまりに呆気なさすぎるのは、アクション・ムービーとしてはやや物足りない。
しかし、ストイックな剣豪を演じる岸田森、人を喰ったような和尚を演じる今福正雄、冷徹無比な悪役代官を演じる神山繁など、魅力的なキャラクターたちがそれを補完している。
侍に嫌気がさした高橋悦史が、女郎たちと連れたって町を去っていくエンディングも、多幸感に満ちて味わい深し。戦うことをやめ、斬ることをやめる。それは敗北ではなく、解放だ。彼は“斬る”のではなく、“離れる”ことを選ぶ。そこに岡本喜八らしい人間賛歌がある。
岡本のユーモアは、絶望の先に咲く花のようだ。人間を信じていないが、人間を見捨ててもいない。だから彼の映画は笑いながら終わる。『斬る』というタイトルが、最終的に斬らない勇気を意味している。この反転こそが、岡本喜八の知性であり、時代劇を未来へ導いたモダニズムなのだ。
なお昭和37年に公開された同タイトルの三隅研次作品があるが、全くの別物なので念のため。
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