『マラソンマン』(1976)「Is it safe?」が刻む恐怖と不信のアメリカ

『マラソンマン』(1976)
映画考察・解説・レビュー

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『マラソンマン』(原題:Marathon Man/1976年)は、ジョン・シュレシンジャー監督が元ナチスの歯科医と若き大学院生ベイブの対峙を軸に、信頼の崩壊と恐怖の連鎖を描いたサスペンスである。ニューヨークで平穏な日々を送っていたベイブは、兄ドクの死を機に謎の男たちに追われ、国家の闇へ巻き込まれていく。狂気を宿した歯科医ゼルが放つ「Is it safe?」という台詞は、暴力の前触れであると同時に、70年代アメリカが抱えた不安と不信の象徴でもある。逃走、尋問、疑念が折り重なる中、善悪の境界は曖昧となり、日常は音もなく破壊されていく。

ウィリアム・ゴールドマンという“物語装置”

『マラソンマン』(1976年)は、脚本家ウィリアム・ゴールドマンの“言葉の刃”がもっとも鋭利に研ぎ澄まされた作品だろう。

彼は『明日に向って撃て!』(1969年)と『大統領の陰謀』(1976年)でアカデミー脚本賞を受賞したが、その出発点は小説家だった。彼自身の筆による1974年の原作小説を、彼自身が脚色するという極めて純粋な自己翻訳の構造。作家が自分の内部をもう一度映画という言語で書き換える──それが『マラソンマン』の核心にある。

監督は『真夜中のカーボーイ』(1969年)のジョン・シュレシンジャー。ロンドン的抒情とアメリカ的暴力を併せ持つ異色の映像作家だ。彼のレンズは、ニューヨークの光と影を記録するのではなく、そこに巣食う“恐怖の哲学”を抽出していく。

走ること=生きること──トラウマの代謝装置

主人公ベイブ(ダスティン・ホフマン)は、ニューヨークの大学で学ぶ若きマラソンランナー。だが彼の走りはスポーツではない。それは心の傷を代謝するための儀式だ。

政治的混乱と道徳の崩壊に覆われた70年代アメリカにおいて、走ることは祈りであり、逃避であり、存在証明そのもの。ベトナム戦争の後遺症、反体制運動の燃えカス、そして都市の不安が混濁する空気の中で、彼は“走ること”によって自分の正気を保とうとする。

だが、その足跡は次第に過去の亡霊へと導かれていく。兄(ロイ・シャイダー)の死、そしてナチスの残党による陰謀。現代社会の表層に潜む“歴史の腐臭”が、ベイブの無垢な日常を侵食していく。

「Is it safe?」──恐怖の言語化

ローレンス・オリヴィエ演じる元ナチス歯科医クリスチャン・ゼルは、映画史における“純粋悪”の完成形だ。彼は権力でも理念でもなく、“痛みそのもの”を信仰する。金と歯を同一視し、人間の身体を商品として扱うその姿は、戦後の倫理崩壊を象徴しているかのよう。

彼が放つ「Is it safe?」という言葉は、拷問のフレーズであると同時に、現代社会のアイロニカルな問いでもある。安全とは何か。誰がそれを保証するのか。ゼルの冷徹な声音が響くたび、観客はスクリーン越しに“自分の口腔”を晒される。

痛みは他者のものではなく、自分の身体に直結している。この緊迫した感覚の連鎖が、『マラソンマン』を単なるスリラーから“倫理的ホラー”へと押し上げている。

サー・ローレンス・オリヴィエの圧倒的存在は、この映画における最大の美学的装置だ。『ブラジルから来た少年』(1978年)でユダヤ人を演じた彼が、本作ではアウシュヴィッツの歯科医を演じる──その反転自体が、歴史の皮肉を体現している。

オリヴィエの芝居は、悪を誇張しない。むしろ抑制された気品の中に残酷さを潜ませる。彼はナイフではなくメスのように相手を切り裂く。

「Is it safe?」というわずか三語の台詞に、観客はなぜここまで怯えるのか。それは声の質感と沈黙の呼吸が、“痛覚のメタファー”として機能しているからだ。彼の悪は絶対でありながら、どこか魅惑的だ。

悪が“エレガント”であるという倒錯。その背徳的な快感を理解した瞬間、観客もまた共犯者となる。

権力の残響──70年代アメリカのアナキズム

シュレシンジャーの演出は、抑揚を排した硬質なリズムに支えられている。過去のトラウマも、政治的背景も説明しない。代わりに、カメラは登場人物たちの無言の表情と街の雑音を丹念に記録する。

サウンドデザインの精緻さは特筆すべきで、地下鉄の轟音や群衆のざわめきが、まるで“恐怖の地鳴り”のように全体を包む。ベトナム戦争後のアメリカに蔓延していた不信と疲弊──それがフィルムの粒子にまで染み込んでいる。

『ダーティーハリー』(1971年)や『フレンチ・コネクション』(1971年)と同様、本作もまた“法の不在”を描いているが、その視点はより内省的である。暴力の根源は国家ではなく、個人の中にある。ベイブが走り続けるのは、逃げるためではなく、自分自身の恐怖を追い抜くためだ。

同時にジョン・シュレシンジャーは、感情を煽ることすらも拒絶する。彼の恐怖描写は、ほとんど臨床的だ。血も悲鳴も最小限にとどめ、観客の想像力を駆動させる。

典型的なのが、ロイ・シャイダーが東洋系の暗殺者に狙われるシークエンス。カーテン越しに東洋人刺客の顔がうっすらと浮かび上がる──その一瞬の“間”が恐怖を支配する。直接的な暴力よりも、訪れつつある死の予感。

シュレシンジャーは、暴力をスペクタクルとしてではなく“不可避な事象”として処理する。その無機質さが、逆に現実感を高める。

痛みの遺産──現代へと続く“安全”の不安

『マラソンマン』が公開された1976年は、アメリカにおける信頼の崩壊の時代だった。ウォーターゲート事件、ベトナム撤退、経済不況──国家と個人の間にあった“信”が崩れ去った瞬間である。

その時代に、「Is it safe?」という問いほど皮肉なものはない。安全は幻想であり、恐怖こそが現実だ。ベイブが歯の痛みを通して味わう恐怖は、まさに社会全体の神経の疼きである。

痛みを回避する社会は、同時に“痛みを感じる能力”を失う。だからこそ、走り続けなければならない。走ることによって、まだ自分が“生きている”と確認するために。

DATA
  • 原題/Marathon Man
  • 製作年/1976年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/125分
  • ジャンル/サスペンス
STAFF
  • 監督/ジョン・シュレシンジャー
  • 脚本/ウィリアム・ゴールドマン
  • 製作/ロバート・エヴァンス、シドニー・ベッカーマン
  • 原作/ウィリアム・ゴールドマン
  • 撮影/コンラッド・L・ホール
  • 音楽/マイケル・スモール
  • 編集/ジム・クラーク
CAST
  • ダスティン・ホフマン
  • ローレンス・オリヴィエ
  • ロイ・シャイダー
  • ウィリアム・ディヴェイン
  • マルト・ケラー
  • フリッツ・ウィーヴァー
  • リチャード・ブライト
  • マーク・ローレンス
  • アレン・ジョセフ
FILMOGRAPHY