デカルト合理主義哲学の実践か?単なる暴走か?全てを反転させるシリーズ第2弾
映画だろうが、小説だろうが、コミックだろうが、まあ媒体は何でも構わないのだが、個人的にSFというジャンルで最も重要な要素は“反転”だと考えている。
アルバート・アインシュタインが、「時間は絶対的なものではなく、相対的なものなのじゃ」という相対性理論を発表した時、ニュートンの古典科学に慣れ親しんだ当時の人々は、「え?マジで?」と一般的な価値観・常識がこっぱみじんになってしまったことだろう。
サイエンスとは、“昨日までの常識が、今日は非常識になる”世界。たかだか400年前には、すべての惑星は地球を中心に回っているという、地動説が信じられてきたのだ。
白と思っていた世界が黒に反転する、その衝撃。このコペルニクス的転回こそSFの醍醐味。第1作『マトリックス』(1999年)は、現実と思っていた世界がバーチャルだった、というトリッキーな反転が存在した。
しかし、『マトリックス リローデッド』(2003年)の反転はその比ではない。というよりも、前作でウォシャウスキー兄弟が提示した世界観を、根本から覆してしまうのである。
とにかく『マトリックス リローデッド』で衝撃的なのは、人類をマトリックスから解放すべく現れた救世主すら、実はマトリックスのシステムに回収される一部にすぎない、という事実である。っていうか、これじゃ反転というよりも混乱だァ、ゴルァァァァァァァァァ!!!
つまり、どーゆーことか。何だかアーキテクトの説明がもってまわったような言い回しなので、理解するのに骨が折れるが、要約すると以下のようになる。
- 最初のマトリックスは理論的には完璧だったものの長続きせず、不確定要素(人間)をプログラムに導入することで安定をはかっていた。
- しかし、そのようなシステムではアノマリー(変則的な動きをする突然変異)が発生し、マトリックスの存続に危険を及ぼしてしまう。
- そこでAIは、培養している人間から女16人と男7人をピックアップして目覚めさせ、ザイオンを建設させる。
- 預言者の導きによって、アノマリー(救世主)がソースへ辿り着くように仕向ける。
- 待ち受けていたアーキテクトはアノマリーに「選択」をさせて、ザイオンを救う選択をすると、マトリックスはリローデッドされる。
6人目となる救世主・ネオに示された選択は、「トリニティーを助けに行く(人類滅亡!)」と「ザイオンを救う(人類滅亡を回避!)」である。個人的な恋愛感情を持たず、人類愛に満ち満ちた過去の前任者たちは、救世主としての役割を忠実に遂行するために「ザイオンを救う」を選択してきた。
ところがネオは、トリニティーを救うという、極めて個人的な欲求に従ってしまう。映画の序盤で描かれたネオとトリニティーの退屈極まりないラブシーン(同時進行でザイオンでの決起集会の様子も描かれるが、ありゃほとんど乱交パーティーだ)は、「カノジョとの愛に生きる男」ネオを描くための伏線であったのだ。
マトリックスというバーチャル空間で、自らが提示した世界観を惜しげもなくブチ壊していくウォシャウスキー兄弟。消滅したはずのエージェント・スミスが100人に増殖するなんて、ほとんどコントだ。
これは、いっさいを疑いの坩堝へ投げ込んだ哲学者・デカルトの合理主義哲学を忠実に実践しているのか、単なる暴走なのか?
最終作『マトリックス レボリューションズ』(2003年)は、そのツケを払う作品になるハズだ。
- 原題/The Matrix Reloaded
- 製作年/2003年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/138分
- 監督/アンディー&ラリー・ウォシャウスキー
- 脚本/アンディー&ラリー・ウォシャウスキー
- 製作/ジョエル・シルヴァー
- 製作総指揮/ブルース・バーマン、グラント・ヒル、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
- 撮影/ビル・ポープ
- 音楽/ドン・デービス
- 美術/オーウェン・ペイターソン
- 編集/ザック・スタンバーグ
- 衣裳/ザキム・バレット
- キアヌ・リーブス
- ローレンス・フィッシュバーン
- キャリー・アン・モス
- モニカ・ベルッチ
- ヒューゴ・ウィーヴィング
- マット・マッコーム
- ジェイダ・ピンケット=スミス
- ハロルド・ペリノー
- ハリー・J・レニックス
- ノーナ・M・ゲイ
- クレイトン・ワトソン
- グロリア・フォスター
- ヘルムート・バカイティス
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