ゼロ年代アクション・ムービーのニュー・スタンダード
監督のダグ・リーマンは、この作品を『オズの魔法使い』(1939年)だと語っている。
「大龍巻に巻き込まれたドロシーが、オズの国から故郷のカンサスに戻る物語」を描いた児童小説を、「記憶をなくしたスパイが、己のアイデンティティーを回復していく物語」と重ね合わせたということか。
であるなら、その舞台は異郷でなくてはいけない。ハリウッド映画が「故郷へ戻る道程」を描くとき、それはニューヨークやL.A.であってはならない。マット・デイモンの孤独感、疎外感、閉塞感を表出する舞台として、ヨーロッパを選択したのは賢明な判断だった。
極寒のチューリッヒ、鉛色の雲が空を覆うパリ。全体的にホワイトを基調とした町並みのなかで、マット・デイモンは赤いバッグを抱えて徘徊する。『ボーン・アイデンティティー』において、“赤”はエグザイル(放浪者)を表象する記号だ。
パリ市警を向こうに回して壮絶なカー・チェイスを展開するのも、赤いミニクーパー。色を失った世界(記憶を失った世界)で、それでも彼はアイデンティティーを誇示せんとばかりに鮮やかな“赤”を画面に散布していく。
本作のヒロインが、かつて『ラン・ローラ・ラン』(1998年)で赤毛を振り乱して疾走したフランカ・ポテンテというのは、単なる偶然であろうか(偶然だろう)。
おそらく、70年代のスパイ・サスペンス映画との現代的なスパイ・アクションの決定的な違いは、地理的な距離の伸縮にある。トニー・スコットの快作『エネミー・オブ・アメリカ』(1998年)が見せつけたのは、全世界盗聴システム「エシュロン」の存在だった。
北半球のてっぺんから南半球の真下まで、世界のありとあらゆる場所は盗聴、監視可能なスポットとなり、スモール・ワールド・ネットワークが現実のものとなった。
それはすなわち、航空学の発達ということを差し引いても、30年前よりも地理的な距離感が縮まったことを意味する。『ボーン・アイデンティティー』のリアリティーは、マット・デイモンの孤独感によって体現され、その孤独感はエシュロンという超近代的な情報システムによって保証されるのだ。この感性は実に現代的である。
自らもカメラを担いで撮影を務めるダグ・リーマンの演出は、躍動的でエモーショナルだ。手持ちカメラとステディカムを組み合わせた、荒々しくラフなカットの連続。我々はそこに、現代的なスパイ・アクションの雛形を見る。
今後製作されるスパイ・アクション・ムービーは全て、『ボーン・アイデンティティー』をベンチマークせざるを得ないだろう。この映画には、デファクト・スタンダードとしての魅力をそれだけ備えている。
- 原題/The Bourne Identity
- 製作年/2002年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/119分
- 監督/ダグ・リーマン
- 製作/ダグ・リーマン、パトリック・クロウリー、リチャード・N・グラッドスタイン
- 製作総指揮/フランク・マーシャル、ロバート・ラドラム
- 原作/ロバート・ラドラム
- 脚本/トニー・ギルロイ、ウィリアム・ブレイク・ハーロン
- 撮影/オリヴァー・ウッド
- 音楽/ジョン・パウエル
- 美術/ダン・ウェイル
- 編集/サー・クライン
- 衣装/ピエール・イヴ・ゲロー
- マット・デイモン
- フランカ・ポテンテ
- クリス・クーパー
- ブライアン・コックス
- アドウェール・アキノエ・アグバエ
- クライヴ・オーウェン
- ジュリア・スタイルズ
- ガブリエル・マン
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