『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年/フィル・アルデン・ロビンソン)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『フィールド・オブ・ドリームス』(原題:Field of Dreams/1989年)は、W・P・キンセラの小説を原作に、ケビン・コスナーが主演を務めた感動の名作。主人公のレイが周囲の反対を押し切り完成させた球場には、歴史から消された伝説の選手シューレス・ジョーたちが姿を現す。物語は単なるスポーツの枠を超え、挫折した大人たちが二度目のチャンスを得るための精神的な旅路として描かれる。ジェームズ・アール・ジョーンズやバート・ランカスターら名優たちが脇を固め、静謐な田園風景と美しい音楽が、観る者をノスタルジックな奇跡へと誘う。ラストシーンで交わされる短い対話は、今なお映画史に残る屈指の名場面として語り継がれている。
- 第64回キネマ旬報(外国映画):第2位
- 第14回日本アカデミー賞:最優秀外国作品賞
- 第33回ブルーリボン賞:外国作品賞
ペンキで描かれた、緑色の美しき嘘
僕はある日、天啓のように降りてきた「If you build it, she will come(それを作れば彼女がやってくる)」という声を信じ、「なるほど、イケてるホームページを作れば、イケてない俺でも彼女ができるというシステムか!」と勝手に超解釈。
持てるWeb知識と情熱の全てを注ぎ込んで、この「POP MASTER」という城(サイト)を築き上げたわけだが、悲しいかな、現状その成果は微塵も報われていない。神様というのは、時として我々のような迷える羊に、あまりにも残酷なプレイを強いるものだ。
しかし、だ。『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)の主人公、レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)は違う。彼は「If you build it, he will come(それを作れば彼がやってくる)」という謎の声を耳にするや否や、生活の生命線であるトウモロコシ畑を破壊し、野球場を建設するという暴挙に出た。
実は撮影が行われた1988年の夏、ロケ地となったアイオワ州は歴史的な大干ばつに見舞われていた。「夢のトウモロコシ畑」を美しく描く映画なのに、現実のトウモロコシは日照りで枯れ果て、グラウンドの芝生は茶色く死にかけていたのだという。
だが、狂気に取り憑かれたスタッフたちは近隣の小川をせき止め、新たな水路を掘って強引に水をひき、それでも緑色が戻らない芝生には、なんと緑色のペンキを直接散布して塗装したのである。
想像してみてほしい。うだるような暑さの中、枯れた大地に黙々とペンキを塗って「天国」を捏造する裏方たちの姿を。これは劇中でレイが周囲から完全に狂人扱いされながらも球場を作り続ける姿と、見事なまでにシンクロしている。
映画とは、現実という乾ききった荒野に、ペンキと情熱で「夢」を強引に上書きする詐術だ。その作り物の美しさこそが、観客を現実から引き剥がし、魔法を信じ込ませる正体なのだ。
ちなみに主演のレイ役には、当初トム・ハンクスやロビン・ウィリアムズといった名前も挙がっていたらしい。最終的に演じたケビン・コスナーは、直前に『さよならゲーム』(1988年)という野球映画に出たばかりで「また野球モノかよ!」と難色を示していた。
しかし脚本の素晴らしい完成度に震え、即決したという。結果としてこのキャスティングは完璧だった。もし強烈な個性を持つロビン・ウィリアムズが演じていたら、最初からちょっとヤバい人に見えてしまったかもしれない。
コスナーが持つ、古き良きゲイリー・クーパー的な「普通の善良なアメリカ人」のオーラがあったからこそ、ただの農夫が何かに憑かれたように常軌を逸していくプロセスに、僕たちは恐怖し、同時に深く共感できたのだ。
サリンジャーの亡霊と、60年代の挫折への決着
この奇跡のような映画を批評的に読み解く上で絶対に避けて通れないのが、名優ジェームズ・アール・ジョーンズが演じた黒人作家テレンス・マンの存在だ。
原作となったW・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』で、主人公が誘拐まがいの旅に連れ出すのは、『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)で世界中に衝撃を与えたJ・D・サリンジャー本人だった。
原作ではサリンジャーの実名をそのまま使用していたが、現実の彼は自分のプライバシーを侵されることに対して極めて敏感で、攻撃的な人物。映画化の話を聞きつけるや否や「自分の名前を使ったら絶対に訴えてやる!」と強硬姿勢を見せたため、製作陣は泣く泣く設定を変更し、テレンス・マンという架空のキャラクターを生み出したという経緯がある。
だが、結果的にこの変更こそが怪我の功名となり、映画のテーマを文学オタクの内輪ネタから、より普遍的で強固なものへと昇華させることになった。
威厳に満ちた深い声を持つ黒人俳優ジョーンズをキャスティングしたことで、このキャラクターに公民権運動や1960年代の社会変革という歴史の重みが、ガツンと付与されたからだ。
レイがテレンス・マンを野球場へと連れ出すあの旅は、ベトナム戦争や政治の腐敗に深く絶望し、社会から完全にドロップアウトしてしまった60年代の良心をもう一度叩き起こし、ロナルド・レーガン政権下で保守化が進む80年代のアメリカへと連れ戻すための、切実な巡礼。
レイ自身も、かつては父親が愛した野球を「古臭い体制側のスポーツ」として全否定し、家を飛び出したバリバリの60年代的リベラルな若者だった。
彼がマンに会いに行く表向きの動機は「声」に従っただけだが、その深層心理には、かつて自分が信じ、そして大人になる過程で捨て去ってしまった理想を再確認したいという強烈な願いがある。
映画の終盤、マンがグラウンドを見つめながら放つ「昔から変わらないのは野球だけだ。アメリカは驀進してきた。壊しては造り、また壊しながらだ。だが野球は時をこえて残った」という名演説がある。
激動の歴史、革命の挫折、悲惨な戦争。それらすべてを経て傷ついたアメリカ人たちが、結局帰るべき場所は野球という古き良き伝統的コミュニティにしかなかったという、ある種のほろ苦い敗北宣言であり、同時に血塗られた歴史との静かな和解の握手なのだ。
ベビーブーマー世代が自分たちの青春の敗北を素直に認め、本当の意味で大人になるための通過儀礼。それが『フィールド・オブ・ドリームス』の隠された正体である。
言葉を超えたキャッチボールと、集団幻覚の救済
そして物語は、映画史に燦然と輝くあの至高のラストシーンへと静かに収束していく。絶縁状態のまま永遠の別れを迎えてしまった父親ジョン・キンセラと息子レイが、時空の歪みを超えてグラウンドでキャッチボールを交わす。
ここで僕がどうしても触れておきたいのが、脇役として登場する老医師ムーンライト・グラハムの存在である。名優バート・ランカスターの映画における遺作ともなったこの役は、若い頃にメジャーリーグでのたった一度のプレイ経験を持ちながらも夢を諦め、田舎町の医師として地道に生きることを選んだ人物だ。
彼は物語の終盤、レイの幼い娘がホットドッグを喉に詰まらせて倒れた際、夢の世界であるフィールドの境界線から一歩だけ外へと踏み出す。すると彼の姿は、若き日の野球青年から、白髪の老医師という現実の姿へと一瞬で変貌し、見事に娘の命を救ってみせるのだ。
このシーンが僕たちに突きつけてくるのは、甘い「夢からの覚醒」の尊さだ。あの不思議なグラウンドという夢の世界に留まり続ければ、彼は永遠の若さと野球への情熱を保つことができた。しかし、それでは目の前で失われようとしている現実の命を救うことはできない。
グラハムは自らの究極の夢を犠牲にして、医師としての現実の責任を立派に果たしたのだ。この痛みを伴う大人の選択が直前に描かれているからこそ、ラストにおけるレイと父親の再会が、単なる現実逃避のファンタジーではなく、深い赦しを持った現実への帰還として強く胸に響く。
レイにとっての父親は、かつて厳格に野球を強要してくる窮屈な存在だった。若き日のレイは「父さんのヒーローのシューレス・ジョーは、八百長をやった犯罪者じゃないか!」と酷い言葉を投げつけて家を出たきりだった。
しかし今、すっかり大人になった彼は、目の前に立つ若き日の父親に向かって「キャッチボールしないか?」と静かに問いかける。キャッチボールというのは、不器用な男たちが言葉を一切介さずに心と心を交換できる、唯一の神聖な儀礼だ。
白いボールがグラウンドを行き来するたびに、そこには口に出せなかった感情がたっぷりと乗せられている。これはアメリカという国が、分断された世代間の深い溝を埋めるためにどうしても必要とした、美しくも切ない集団的な禊なのだ。
そしてカメラが空高く引いていくと、野球場に向かって延々と続く車のヘッドライトの列が暗闇の中に浮かび上がる。この鳥肌が立つようなエンディングシーンは、当時まだCGなどない時代に、実際にアイオワ州の住民たちが3000台もの自家用車を連ねて集結し、作り出した本物の光の河。
撮影監督が地元のラジオ局を通じて住民たちに指示を出し、合図とともに一斉にライトを点灯させてあの幻想的な風景をフィルムに焼き付けたというエピソードは、何度聞いても震えるほど感動的だ。
「それを作れば、彼らがやってくる」という言葉は、決して映画の中だけの絵空事ではなかった。一本の映画という虚構を作るために、現実の共同体が動き、自らの手で光を灯した。フィクションが現実を侵食し、スクリーンと観客の境界線が見事に消滅した奇跡の瞬間である。
『フィールド・オブ・ドリームス』は、失われた父権の回復であり、60年代の亡霊との手打ち式であり、そして何より、ペンキで塗られた嘘の芝生と3000台の車のライトによって作られた集団幻覚こそが、人の魂を救うのだという、映画芸術への強烈な肯定そのものだ。
参考文献・出典
- 監督/フィル・アルデン・ロビンソン
- 脚本/フィル・アルデン・ロビンソン
- 製作/ローレンス・ゴードン、チャールズ・ゴードン
- 製作総指揮/ブライアン・フランキッシュ
- 原作/W・P・キンセラ
- 撮影/ジョン・リンドレイ
- 音楽/ジェームズ・ホーナー
- 編集/イアン・イェーツ
- 美術/デニス・ガスナー
- 衣装/リンダ・バス
- フィールド・オブ・ドリームス(1989年/アメリカ)
- スニーカーズ(1992年/アメリカ)
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