満を持して、クリント・イーストウッドの初監督作となった『恐怖のメロディ』は、荒野を舞台に繰り広げられるガンファイトでも、マグナム片手に法の番人として正義の鉄槌を喰らわす物語でもなく、意外にも『危険な情事』のごとき女性ストーカーもの。
明らかにヒッチコックを意識したショッカー風サスペンスで、イブリン(ジェシカ・ウォルター)が出刃包丁を片手に襲いかかるシーンなんぞ、まんま『サイコ』だったりする。
処女作にはよく監督の資質が最も分かりやすい形で表れると言うが、確かに初っ端からオープンカーを運転するデイブ(クリント・イーストウッド)を鳥瞰で捉えたショットは、空撮ショット好きな彼の好みがモロ出ているし、イブリンの家で一杯やろうかという際に、氷を削るのを代わろうかといってあからさまに彼女との距離を詰めるあたり、お馴染みのレディキラーぶりが炸裂。
何と言っても、イーストウッドの愛するジャズ音楽が全体を流れるモチーフになっていることが、彼らしい。
人気DJデイブの番組に、いつも若い女の声で「私のためにミスティをかけて」というリクエストが来ることが物語の発端になっているのだが、その『ミスティ』はエロル・ガーナーが1954年に作曲したジャズ・スタンダード・ナンバーだ。
Look at me
I’m as helpless as a kitten up a tree
and I feel like I’m clinging to a cloud
I can’t understand
I get misty just holding your hand私を見て 私は木の上の子猫のように無力なの
まるで雲に包まれているような気分
あなたの手をとるだけで霧がかかったようになるのは
何故かしら?
真っすぐな愛を歌ったこのラヴ・ソングがサイコパス女のフェイバリット・ソングと分かるやいなや、途端に『ミスティ』はタイトル通り『恐怖のメロディ』と化す!
彼女の登場シーンが主に太陽の沈んだ夜であることも非常に示唆的だ。それは、純粋無垢の象徴であるデイブの本カノ、トビー(ドナ・ミルズ)の登場シーンが基本的に陽が昇っている時間であることと、鮮やかな対照を成す。
何てったって、デイブ&トビーはロバータ・フラック の名曲 『The First Time Ever I Saw Your Face(愛は面影の中に)』に乗せて、森から太陽の光が漏れるなか、滝の流れる湖水で全裸で抱き合っちゃったりするのだ!
ほとんど『青い珊瑚礁』のごとき愛の交歓シーンは、正直照れくさくて正視に耐えられないほどだが、これまたイヴリンとのセックス・シーンが常に暗闇のベッドのなか(まあ大体そういうもんですが)であることとの、明白なコントラストとなるんである。
とにかく僕が驚いたのは、今でこそ巨匠扱いされているものの、80年代くらいまではヘタウマ監督として見なされている向きもあったイーストウッドの演出術の確かさ。
トビーの危険を察知して慌てて車を走らせるデイブの顔のアップと、イヴリンが憑かれたかのように彼の肖像画を切り裂く姿を素早い切り返しで見せるあたり、サスペンスの持続として優秀。
デイブがトビーにやり直そうと懇願するシーンを、室内ではなく屋外の入り江で撮ることによって、画面が単調にならないように気を配っているのも、感心しきり。
とまあ、よく出来たサスペンス映画だなあと思いながら鑑賞していたんだが、観終わってハタと気づいた。これって実は“サイコパス女に襲われる人気DJの恐怖劇”ではなく、愛を頑に信じない男と、愛を妄信的に信じる女の悲劇なんではないか、と。
確かにイヴリンはどこの誰かも判然としない、「社会性の剥奪された女」として登場する記号的存在ではあるが、それ故に愛への執着っぷりは原理主義的ですらある。
トビーが描いたデイブの肖像画を見てイヴリンは一言、「彼の眼はもっと冷たい」と評する。それは愛の不毛を突っ走ってきた、クリント・イーストウッド自身の実像を捉えた言葉ではなかったか?
彼にとって愛の原理主義者なんぞ、単なるサイコパスにしか過ぎないのだ。そう考えてみると、『恐怖のメロディ』はイーストウッドの強烈な愛への拒絶が、サイコスリラーという形で昇華した作品のようにも見えてくる。
ちなみに馴染みのバーテン役で出演しているのは、イーストウッドの師匠であるドン・シーゲル。このシーンは撮影初日に行われたようで、イーストウッド曰く「自分より緊張している人間に初日の撮影現場にいて欲しかった」と、初監督作品ならではのプレッシャーがあったことを吐露している。
天下無敵のイーストウッド先生も、やっぱり人の子なんですね。
- 原題/Play Misty for Me
- 製作年/1971年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/108分
- 監督/クリント・イーストウッド
- 製作/ロバート・デイリー
- 共同製作/ジェニングス・ラング
- 原作/ジョー・ヘイムズ
- 脚本/ディーン・リーズナー、ジョー・ヘイムズ
- 撮影/ブルース・サーティース
- 音楽/ディー・バートン
- クリント・イーストウッド
- ジェシカ・ウォルター
- ドナ・ミルズ
- ジョン・ラーチ
- ドン・シーゲル
- ジャック・ギン
- アイリーン・ハーヴェイ
- ジェームズ・マクイーチン
- クラリス・テイラー
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