HOME > MOVIE> 『死霊のはらわた』(1981)徹底解説|サム・ライミが発明した恐怖の視点

『死霊のはらわた』(1981)徹底解説|サム・ライミが発明した恐怖の視点

『死霊のはらわた』(1981)
映画考察・解説・レビュー

7 GOOD

『死霊のはらわた』(原題:The Evil Dead/1981年)は、サム・ライミ監督が弱冠20代で完成させ、スティーヴン・キングの絶賛により世界的なカルト人気を博したホラー映画の金字塔。テネシー州の森の奥にある不気味な廃屋を訪れたアッシュ(ブルース・キャンベル)ら5人の若者は、地下室で「死者の書」とテープレコーダーを発見する。録音された呪文によって森の悪霊が解き放たれ、憑依された仲間たちが次々と醜悪な怪物に変貌。血と悲鳴が飛び交う中、アッシュは狂気の一夜を生き延びるために戦う。

伝説前夜:ミシガンの悪ガキと『三ばか大将』

全てはミシガン州の片田舎から始まった。サム・ライミ少年が父親から8ミリカメラを買い与えられた瞬間、映画史の歯車が狂い始めたのだ。

彼と、高校時代からの悪友ブルース・キャンベル、ロバート・タパートたちが崇拝していたのは、高尚な芸術映画ではなく、テレビで再放送されていた『三ばか大将』だったという。

目潰し、ハンマーでの殴打、パイ投げ。彼らにとって暴力とは笑いと同義語だったのだ。ライミの演出に宿る、痛々しいのに何故か笑えてしまう独特のグルーヴ感は、この子供時代の英才教育(という名のテレビ漬け)によって培われた。

さらにライミは、アルフレッド・ヒッチコックのサスペンスや、スパイダーマンなどのアメコミにも熱中した。「どうすれば観客を驚かせられるか」「どうすれば紙の上のコマ割りのようなダイナミックな構図を映像にできるか」。少年時代の彼は、カメラを片手に裏庭で友人を追い回しながら、その技術を独学で叩き込んでいく。

「長編映画を撮って一発当てたい」と野望を抱くものの、コメディは文化や言語の壁があり、万人にウケるとは限らない。そこで彼らが目をつけたのが、恐怖だった。悲鳴は世界共通だ。

彼らはドライブインシアターに通い詰め、ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)や『悪魔のいけにえ』(1974年)を研究。その知見を活かして、1978年にわずか1600ドルの予算で短編『Within the Woods』を撮影する。

悪魔のいけにえ
トビー・フーパー

この作品を携えて、ライミたちは慣れないスーツを着込み、地元の弁護士や歯医者を駆け回った。なんとか集めたなけなしのドル札を握りしめ、テネシー州の山奥にこもり、作りあげた一本が、伝説的ホラー『死霊のはらわた』(1981年)である。

予算はわずか35万ドル。今のハリウッドならケータリング代で消えるような金額だ。だが、この映画に映っているのは、数億ドルのCGでは決して再現できない本物の痛み、そして狂気だ。

貧困が生んだ発明王サム・ライミ

本作を伝説たらしめている最大の要因、それはサム・ライミの発明家としての才能である。当時彼は金もなく、プロ仕様の機材など夢のまた夢。滑らかな移動撮影を行うためのステディカムなど借りられるはずもない。

そこでライミはホームセンターで2×4の木材を買ってきて、その真ん中にカメラをガムテープで縛り付ける。そして、その木材の両端を二人で持ち、森の中を全力疾走した。これが、後に伝説となるシェイキー・カムの誕生である。

カメラは地面スレスレを這いずり、木の根を飛び越え、小屋の窓を突き破って室内へ突入する。その荒々しい手ブレ、不規則な動き、そして異常なスピード感。形を持たない死霊そのものの視点(POV)を、観客に疑似体験させるための革命的な演出だ。

まるで、カメラそのものが殺意を持って襲ってくるという恐怖。この発明により、『死霊のはらわた』は単なる低予算ゾンビ映画から、観客の三半規管を直接攻撃するアトラクション・ムービーへと進化したのである。

ライミの天才性は、編集と音響にも現れている。不穏な風の音、時計のチクタク音、そして突然の轟音。静と動のコントラストを極端に強調することで、観客の心臓を物理的に縮み上がらせる。

小屋の地下室への扉がバタンバタンと勝手に開閉するシーンのリズム感ったら!ミシガン州立大学の落ちこぼれ学生だった彼らが、既存の映画文法を無視して「どうすれば一番ビビるか」だけを追求した結果、皮肉にも映画の教科書に載るような新しい文法を生み出してしまったのだから、痛快だ。

顔面世界遺産、ブルース・キャンベル

この映画を語る上で絶対に外せないのが、主演ブルース・キャンベルの存在だ。彼は演技をしているのではなく、耐久実験に参加している。

撮影が行われたテネシー州のキャビンは、セットではなく本物の廃屋だった。以前の住人が死んだという噂付きのその小屋には、電気も水道もなく、冬の寒さが容赦なく吹き込んだ。

暖房設備がないため、ラスト近くで彼が汗だくに見えるのは、実はスタッフが霧吹きで水をかけた直後であり、実際は凍死寸前で震えていたという。白い息が出ないように氷を口に含んでいたという逸話もあるほどだ。

何より彼を苦しめたのは、特殊メイクと血糊だ。当時の血糊は、コーンシロップに食紅とコーヒー用クリームを混ぜたお手製のもので、乾くとベタベタになり、やがて飴細工のようにカチカチに固まる。

撮影が終わってもシャワーなどないため、ブルースは固まったシロップを剥がす際に体毛ごと皮膚を持っていかれる激痛に耐えなければならなかった。

さらに、死霊に取り憑かれた恋人や友人たちが襲いかかってくるシーンでは、本気で殴られ、投げ飛ばされ、棚に激突する(ライミ監督は、親友ブルースをいじめることに、サディスティックな喜びを見出していたとしか思えない)。

だが、この過酷すぎる環境が、アッシュというキャラクターに魂を吹き込んだ。彼の恐怖に引きつった顔、絶望的な叫び、そして疲労困憊した虚ろな目は、演技プランから出たものではなく、極限状態の人間のリアルな反応なのだ。

中盤以降の「独り芝居」の凄まじさはどうだ。仲間が全員死に(あるいは死霊化し)、たった一人で狂気と対峙するアッシュ。鏡に映った自分に触れようとした瞬間、水面のように波打つシーンの精神的崩壊感。

あそこでブルース・キャンベルが見せる、恐怖と狂気が入り混じった表情の歪みこそ、後に『死霊のはらわたII』で開花するコメディ・ホラーの萌芽であり、彼をB級映画の王へと押し上げた決定的瞬間だったのである。

スティーヴン・キングのお墨付き

完成した映画は、当初、誰からも相手にされなかった。あまりにも暴力的で、あまりにも残酷で、そしてあまりにも汚かったからだ。

しかし、運命の女神(あるいは悪魔)は彼らに微笑む。1982年のカンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットで、ホラー小説の帝王スティーヴン・キングが偶然この映画を観たのだ。

彼は劇場の席から転げ落ちんばかりに興奮し、自身の寄稿する雑誌で「『死霊のはらわた』は、今年もっとも猛烈にオリジナルなホラー映画だ!」と大絶賛。

この一言が全てを変えた。キングのお墨付きを得た本作は、イギリスで配給が決まり、瞬く間に世界中のホラーファンの元へ届くことになったのである。

シャイニング
スティーヴン・キング

その過激さは同時に激しい論争も巻き起こした。イギリスでは不快なビデオの筆頭として槍玉に挙げられ、検閲の対象に。ドイツなどでは長年にわたり上映禁止処分を受けた。

特に、森の木々が女性を襲うシーン(この描写の是非は今も議論されるが、ライミ自身も後にやりすぎだったと認めている)や、鉛筆を足首に突き刺すシーン、シャベルでの首切断シーンなどのゴア描写は、当時の倫理基準を遥かに超えていた。だが皮肉なことに、発禁のレッテルは「見ちゃいけないものを見たい」という若者の欲望に火をつけた。

ラストシーン、クレイアニメーションでドロドロに溶け落ちていく死霊たちの姿は、現代のCGに見慣れた目には滑稽に映るかもしれない。だが、そこには手作りだけが持つ圧倒的な熱量がある。

トム・サリバン(特殊効果担当)が粘土と絵の具で作り上げた腐敗の宴は、この映画が目指したものがリアリティではなく、悪夢のようなシュルレアリスムであったことを証明している。

だからこそ、メイクされようが、ドラマ化されようが、1981年のオリジナル版が放つ不潔で凶暴なオーラは、絶対に誰にも真似できないのだろう。

映画に必要なのは金ではなく、アイデアと、根性と、大量の血糊であることを、サム・ライミはこの一本で証明したのである。

DATA
  • 原題/The Evil Dead
  • 製作年/1981年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/85分
  • ジャンル/ホラー
STAFF
  • 監督/サム・ライミ
  • 脚本/サム・ライミ
  • 製作/ロバート・タパート
  • 製作総指揮/ロバート・タパート、ブルース・キャンベル、サム・ライミ
  • 撮影/ティム・ファイロ
  • 音楽/ジョセフ・ロドゥカ
  • 編集/エドナ・ルース・ポール、ジョエル・コーエン
  • SFX/トム・サリヴァン
CAST
  • ブルース・キャンベル
  • エレン・サンドワイズ
  • ハル・デルリッチ
  • ベッツィ・ベイカー
  • サラ・ヨーク
FILMOGRAPHY
SERIES