【ネタバレ】『グリーン・ナイト』(2021)
映画考察・解説・レビュー
『グリーン・ナイト』(2021年)は、「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」の鬼才デビッド・ロウリー監督が、J・R・R・トールキンが現代英語訳したことでも知られる14世紀の叙事詩「サー・ガウェインと緑の騎士」を映像化したダークファンタジー。アーサー王(ショーン・ハリス)の甥でありながら怠惰に暮らす青年ガウェイン(デブ・パテル)が、クリスマスの宴に現れた不気味な緑の騎士(ラルフ・アイネソン)との恐ろしい「首切りゲーム」の約束を果たすため、己の弱さと向き合う奇妙で美しい試練の旅路へと出発する。
デヴィッド・ロウリーが仕掛ける非英雄譚の罠
「アーサー王伝説」や「円卓の騎士」と聞いて、我々映画オタクが思い浮かべるのは、選ばれし勇者が聖剣を振りかざし、邪悪なモンスターをバッサバッサとなぎ倒す、血湧き肉躍るヒロイック・ファンタジーの世界だ。
しかし、気鋭のスタジオA24と組んだデヴィッド・ロウリー監督が放つ『グリーン・ナイト』(2021年)は、そんな牧歌的なハリウッド的カタルシスを鼻で笑うかのように、根底からジャンルを解体してみせた。
原作は、アーサー王伝説の外伝「サー・ガウェインと緑の騎士」。主人公のガウェイン(デヴ・パテル)は、アーサー王(ショーン・ハリス)の甥であるという血筋だけで円卓の末席に座っているものの、武勲もなければ騎士としての覚悟もない、酒と女に溺れるただのボンクラ青年だ。
クリスマスの宴に突如乱入してきた、不気味な緑の騎士から持ちかけられた「首切りゲーム」に、虚栄心からあっさりと乗ってしまったが最後。1年後、逃げ出したくなるような恐怖と情けなさを抱えながら、約束を果たすための絶望的な旅へと出発するのだ。
デヴィッド・ロウリーは、この古典的な成長神話を徹底的に底意地悪く、そしてシニカルに翻案する。ガウェインの旅路に待ち受けるのは、華々しい冒険などではない。盗賊に身包みを剥がされ、寒さに震え、誘惑に負けそうになるという、あまりにも情けなく泥臭い物語の連続である。
インタビューによれば、監督はあえて厳密な時代考証を窓から投げ捨て、歴史ファンタジーではなく純粋な幻想世界としてアイルランドの古城などでロケを敢行したという。
これは英雄神話への強烈なアンチテーゼであり、既存のファンタジー映画に対する完璧なカウンターとして機能する、中世の非英雄譚なのだ。
観客の三半規管をバグらせる時間の魔法
そして、この映画を単なるダーク・ファンタジーから圧倒的な映像芸術へと昇華させているのが、デヴィッド・ロウリー特有の、観客の三半規管と時間感覚を激しく揺さぶる、大胆な時間のジャンプと編集である。
その作家性が最も変態的に爆発しているのが、旅の序盤、ガウェインが戦場跡でスカベンジャー(盗賊)の少年に騙され、森の中で縛り上げられて横たわっているシーン。
身動きが取れず、誰も助けに来ない絶望の森。ここでカメラは、地面に縛り付けられたガウェインを軸にして、ゆっくりと右へとパン(旋回)していく。すると、映像の中で一気に時間が経過し、なんとそこには完全に白骨化したガウェインの死体が無惨な姿で現れるのだ。
「えっ、ここで主人公が野垂れ死んでゲームオーバー!?」と息を呑んだ次の瞬間、カメラはそこから再び左へとゆっくり旋回を開始し、時間がズルズルと巻き戻り、元の縛られた状態のガウェインへと戻ってくるのである。
主人公が最悪の未来(あり得たかもしれない死)を幻視し、そこから這い上がるというこの一連のシークエンス。セリフによる説明を一切排し、カメラの旋回だけで生と死、そして悠久の時間を表現し切ってしまうこの凄まじい演出力!大胆な時間の飛ばし方に、僕は劇場で思わず快哉を叫びたくなってしまった。
『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(2017年)で、固定カメラのまま数十年、数百年の時間をシームレスにジャンプさせてみせた時間の魔法が、中世の森でも遺憾なく発揮されている。
英雄という虚構を脱ぎ捨てた先に残るカタルシス
ロウリー監督は「最後には必ず自然が勝つ(Nature always wins in the end)」と明言している。緑の騎士は単なるモンスターではなく、人間がどれほど文明を築き、環境を破壊しようとも、最終的にはすべてを飲み込んで再生する、大自然の圧倒的な力そのものの象徴なのだ。
気候変動への不安が蔓延する現代において、ガウェインが対峙する恐怖は、まさに人間がコントロールできない自然界の摂理への畏怖に他ならない。
さらに興味深いのは、旅の途中で遭遇する全裸の毛がない巨人たちの存在だ。監督は、アーサー王伝説に付き纏うマッチョイズムを解体するために、あえてこの巨人たちをジェンダーレスで女性的なフォルムにデザインしたと語っている。
ヒロイックな有害な男らしさの神話が崩壊しつつある現代において、過去の遺物である巨大な存在たちは、どこか遠い場所へと去っていく。その背中を見送るガウェインの視線には、古い価値観からの脱却という深いメタファーが込められているのだろう。
全編を通して、ガウェインの旅は常に選択と幻想の連続だ。クライマックスにおける緑の騎士との再会シーンでも、ロウリー監督は時間の跳躍による思考実験を最大限に利用し、ガウェインが首を差し出さずに逃亡した場合の卑怯者としての生涯を、セリフなき怒涛のモンタージュで一気に見せつける。
それは、『最後の誘惑』(1988年)でキリストが見た幻影や、『ラ・ラ・ランド』(2016年)のラストで描かれた「もしも別の選択をしていたら」というif世界線と同質の、映画的カタルシスの極み。
すべてを悟ったガウェインが、最後に己の首を緑の騎士の前に差し出し、震えながらも笑みを浮かべるあの瞬間にこそ、虚栄心で塗り固められた騎士の英雄像という虚構が完全に解体され、一人の弱き人間が誕生したことの証明となるのだ。
『グリーン・ナイト』は、ハリウッドが押し付けるマッチョなヒロイズムを冷ややかに拒絶し、人間の弱さと卑小さを圧倒的な映像美で描き切っている。
A24という気鋭のスタジオと、デヴィッド・ロウリーという時間と空間を操る魔術師がタッグを組んだからこそ生まれた、最高に美しくて、最高に底意地の悪いダークファンタジーなのだ。
- 監督/デヴィッド・ロウリー
- 脚本/デヴィッド・ロウリー
- 製作/トビー・ハルブルックス、ジェームズ・M・ジョンストン、デビッド・ロウリー、ティム・ヘディントン、テリーサ・スティール・ペイジ
- 製作総指揮/エドモンド・サンプソン、トーマス・デカイ、アーロン・L・ギルバート、ジェイソン・クロス、マクダラ・ケレハー、オーウェン・イーガン
- 原作/J・R・R・トールキン
- 撮影/アンドリュー・D・パレルモ
- 音楽/ダニエル・ハートマン
- 編集/デヴィッド・ロウリー
- 美術/ジェイド・ヒーリー
- 衣装/マウゴシャ・トゥルジャンスカ
- グリーン・ナイト(2021年/アメリカ、カナダ、アイルランド)
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