Jポップのフィールドで密かに息づく、UAの凶暴なまでの野生
UAは、狂おしいほどにオンナである。頭のてっぺんから足のつま先まで、オンナである。虚飾はない。ありのままの、“ナマ”のオンナがそこにいる。生理というオンナ特有の飛び道具を携えて、UAは唄いつづける。
学生時代にジャニス・ジョップリンやアレサ・フランクリンなどの影響を受け、ソウルボーカリストになることを決意した彼女の、威風堂々たるデビューアルバムが『11』(1996年)。
大沢伸一(モンド・グロッソ)、朝本浩文、青柳拓次(LITTLE CREATURES)、竹村延和、coba。小洒落系クリエーターが端正に磨き上げた11のトラックは、しかし端正とは程遠い“野生”が全てを凌駕してしまった。
ソウルやR&Bなどのブラックミュージックから、ドラムンベースやダブまで、UAが歌う曲は全てUAでしか表現し得ない。アーバンで軽めのトラックも、UAという「ろ過器」を通せば、驚くほど優しく、重く、凶暴に変質する。
歌い手は、その言霊にあらゆる感情を込めて歌わなくてはいけない。その意味で、彼女は現代では数少なくなった真の意味でのシンガーなのである。
オープニング・ナンバーにして代表曲のM-1『11』に耳をすませ。有象無象の和製R&Bとは一線を画す、バックビートを強調したグルーヴ。そして低音のうねりがオーディエンスを魅了するベースライン。
そこに、当時24歳とは思えないほど“酸いも甘いも噛み分けた”かのようなUAのヴォーカルが加わる。日本のR&Bシーンに置いて、確実にコレはエポックメーキングな事件だった。
UAの歌を聴くたび、僕はなぜかその肉体性に惹かれる。エロスとしてではなく、すべてを享受してくれるかのような、母性としての肉体。
UAってお世辞にもナイスボディとはいいがたいし、結構お腹なんかぽっちゃりしてる。それはセックスとしての肉体ではなく、羊膜腔を満たす淡黄色の羊水が、新たな生命を形作るためのマザーシップなのだ。
オンナとして「子供を産む」という自然なプロセスが、UAというフィルターを通してみると神々しく輝く。その不思議な神秘性が、彼女の歌には確かにある。
だってさ、映画初主演作となる『水の女』(2002年)でみせるUAのヌードに、何人の男が悶えられると思います?少なくとも僕は悶えられません。
最近知ったんだが、「UA」って、スワヒリ語で「花」と「殺す」という意味をもっているらしい。まさにBeauty & Violence。アンビバレントな光を放つ、唯一無二のディーヴァ。
彼女の凶暴なまでの野生は、Jポップのフィールドで密かに息づいている。『ドレミノテレビ』(2003年〜2006年)のうたのおねえさん、「ううあ」は“かりそめの姿”でしかない。
- アーティスト/UA
- 発売年/1996年
- レーベル/ビクターエンタテインメント
- リズム
- 大きな木に甘えて
- 落ちた星
- バラ色
- ゼリー
- ヒマワリ
- 雲がちぎれる時
- 情熱(キング・ワダダ・ダブ)
- 紅い花
- 水色
- ランデブー
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