国民的アイドルが打ち出した、グルーヴ第一主義的サウンド
『夜空ノムコウ』はなぜ、『夜空の向こう』でも『ヨゾラの向こう』でも『ヨゾラノムコウ』でもなく、『夜空ノムコウ』なんだろうか。『夜空の向こう』じゃ、坂本九の『見上げてごらん夜空の星を』みたいで、昭和的ムードが醸成されてしまうし、『ヨゾラの向こう』じゃ酔っ払いみたいである。
『ノムコウ」がカタカナ表記なのは、それが文字通りの意味でなく比喩としての「夜空の向こう」であることは自明だとして、直裁なメッセージを発することへの照れくささだとか、言葉としての抽象度を高めたい意図みたいなものを感じるんである。
まあそんな話はいいとして、SMAPだ。Sports Music Assemble People、SMAPだ。彼らは日本で最も消費率の高いアイドル集団であり、5人の個性とバックボーンすらもメディア化させてしまった、稀有な存在である。
『どんないいこと」などミディアムバラードの佳曲もあったが、初期のSMAPは『がんばりましょう』に代表されるような、ダンサンブルかつアッパー系サウンドが主流であった。
ジャニーズのジャニーズによるジャニーズのための音楽はメディアに大量流出され、10代の若者を中心にインプリンティングされる。その最も効率的な手法として、庄野賢一をメインコンポーザーに迎えたグルーヴ第一主義的サウンドが展開されたのである。
例えば、初期の代表曲『がんばりましょう』は直球なメッセージソングであり、カリスマ・SMAPによるティーンエイジャーへの福音という構図をまとっている。
それを可能としていたのは、ジャニーズという圧倒的存在に対する憧憬もあるが、何より木村拓哉という天性のスターを抱えていたことに起因する。そういう意味で、初期のSMAPはキムタク原理主義の時代であったといってもよろしかろう。
SMAPが音楽的に一大転機をむかえたのが、山崎まさよし作詞・作曲の『セロリ』だ。”遅れてきた男”草なぎ剛が初主演を務めたフジテレビ系ドラマ『いいひと。』(1997年)の主題歌であるこのナンバーは、ドラマ同様、今までSMAPの一人にしかすぎなかった草なぎが大きくフューチャリングされている。
この、あまりにも日常的な男女の物語に普遍性を持たせられるのは、スーパースターのキムタクではなく、ツヨポンしかいない。カリスマではなく、等身大としてのSMAP。
サビで歌われる「がんばってみるよ やれるだけ がんばってみてよ少しだけ」という歌詞には、かつてのジャニーズ的オレオレ度が希薄となり、最大公約数のティーンエイジャーに目線を下げたSMAPが垣間見える。
そしてSMAPの音楽性を決定づけたのが、もはや日本を代表するアンセム・ソングといっても多少言い過ぎなくらいの名曲、『夜空ノムコウ』だ。そこには、日常生活に転がっている屈折した感情、根拠のない苛立ち、淡い希望がある。
スガシカオによる叙情的な歌詞、川村結花によるメロウなサウンド。しかし今までのSMAPと一線を画すのは、精妙に設計されたコンピュータプログラミングによるアレンジである。
かの香織や渡辺満里奈といった、カルチャー系女子の楽曲をてがけてきたCHOKKAKUによる、ホーンアレンジを全面的に取り入れたクールなトラックは、明らかにそれまでの楽曲とは一線を画している。その変遷は、アイドルからポップ・アイコンへと転身を果たした、小泉今日子と比肩されるべきだろう。
この「夜空ノムコウ」を収録した12thアルバム『SMAP 012 VIVA AMIGOS』(1998年)は、ア・カペラを創出した世界的ヴォーカル・グループのマンハッタン・トランスファーがフューチャリングされているなど、既存のアイドル作品ではあり得ないほどの音楽性、グルーヴを備えている。
アルバム全体に散りばめられているジャズやフュージョンといった玄人受けするスタイルのサウンドを、SMAPという超国民的グループによって展開するという大胆な目論みも、周到なマーケティング戦略にのっとっているのだろうが、ここまでやってくれれば黙って拍手するしかない。
もはやV6やTOKIOでは到達しえない”オンリー・ワン”のフィールドに、彼らは足を踏み入れているのだ。
- アーティスト/SMAP
- 発売年/1998年
- レーベル/ビクターエンタテインメント
- Theme of 012
- Peace!
- Possession Possession
- Duo
- たいせつ(アルバム・ヴァージョン)
- ひと駅歩こう
- 夜空ノムコウ
- 言えばよかった
- リンゴジュース
- Trouble
- IT’S COOL
- 世界は僕の足の下
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