映画音楽という枠をはめることで、Bjorkの自由奔放サウンドが程よく中和された傑作サントラ
映画というメディアで、クリエイティヴの最終決定を下すのは映画監督であるからして、トーゼン映画音楽も本質的には映画監督の裁量に委ねられる。
坂本龍一も、ベルナルド・ベルトリッチとの仕事を通して、「映画音楽はとにかくフラストレーションのたまる作業だ」と語っている。音楽家にとって映画音楽という仕事は、制約が多いうえに自由度が低く、映画監督が描くイメージに自ら歩み寄ることが必要とされるのだろう。
僕にとってビョークは、規格外のアーティストだ。彼女は、豊富なイマジネーションとあらゆる音楽をジャンルレスに横断する自由なクリエイティビティーで、世界を震撼させてきた。
だが、感情を極限まで発露するかのようなパワー、凡人を容易に寄せ付けないメーターの振り切れ方に、正直トゥー・マッチな印象を持っていたのも事実。『Debut』(1993年)、『Post』(1995年)、『Homogenic』(1997年)と、彼女のアルバムは全部聴いているが、胃もたれ感を感じることもしばしばだった。
そんな彼女が、ラース・フォン・トリアーと組んで映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)でコラボレーションを果たすことになった訳だが、映画音楽という枠がひとつはめられることによって、自由奔放すぎる彼女のサウンドも規定され、その結果サウンドトラックの『Selmasongs』(2000年)は傑作中の傑作になった。
『The Sound of Music』の音楽も引用している『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、悲劇的な末路を辿る一人の女性の人生にスポットを当てたドラマ。彼女が現実を逃避して想像の世界に身を浸らせるとき、それは必ずミュージカル仕立てになる。よってサウンドトラックも、ビョークによるミュージカル・クリップ集という趣きなのだ。
壮大なインスト曲『Overture』で幕を開け、工場のインダストリアル・ノイズをそのままビートにしたM-2『Cvalda』、そしてRadioheadのトム・ヨークがヴォーカルで参加したM-3『 I’ve seen it all』へと流れ込んで行く展開は、万華鏡的不可思議さとダイナミズムに溢れ、リスナーの耳に驚きと喜びとをもたらせてくれる。
そしてエンドロールに流れるM-7『New world』は、『Homogenic』に続いてガイ・シグスワースがオーケストレーションのアレンジを担っており、その壮大なスケール感に何度聴いても心を掴まれてしまう。
ちなみにさっき僕のMacのiTunesで再生回数の最も多い曲を調べてみたら、この『New world』でした。現実逃避をしたくなると、セルマが想像した“新しい世界”に僕も足を踏み入れたくなるようです。
- アーティスト/Bjork
- 発売年/2000年
- レーベル/One Little Indian
- Overture
- Cvalda
- I’ve seen it all
- Scatterheart
- In the musicals
- 107 Steps
- New world
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