『Women in Music Pt. III』(2020年/ハイム)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『Women in Music Pt. III』(2020年)は、ハイム(HAIM)が発表した3作目のアルバムであり、ロスタム・バトマングリやアリエル・レヒトシェイドらをプロデューサーに迎えて制作された。70年代のソフト・ロックの意匠と現代的なR&Bのビートが柔らかく溶け合い、パーソナルな歌詞と開放的なグルーヴが自然に共存する。「The Steps」「Gasoline」「Summer Girl」などの楽曲が収録され、洗練されたアンサンブルの中にL.A.の乾いた空気や親密な温度が漂う。彼女たちが自身のアイデンティティや音楽的ルーツと深く向き合い、都市の光と影を往復するそのサウンドは、孤独を抱えたまま前へ進む人間の姿を描いている。
- 第63回グラミー賞:最優秀アルバム賞(ノミネート)、最優秀ロック・パフォーマンス賞(「The Steps」ノミネート)
- 2021年ブリット・アワード:最優秀インターナショナル・グループ賞
- 2020年Pitchfork:年間ベストアルバム第8位、Best New Music
- 2020年Rolling Stone:年間ベストアルバム第14位
- 2020年NME:年間ベストアルバム第8位
LAの記憶を宿す三姉妹の特異なグルーヴ
カリフォルニアの眩しすぎる陽光と、乾いた風が吹き抜けるサンフェルナンド・バレー。このロサンゼルスの原風景とも言える街から、とんでもない三姉妹が現れた! エスティ、ダニエル、アラナからなるハイム(HAIM)である。
彼女たちの音楽には、作られたバンド特有のギクシャクしたノイズが一切ない。幼い頃から家族バンドとして地元のイベントで楽器を鳴らしてきた彼女たちにとって、音楽を奏でることは、食卓で交わされる日常の会話であり、無意識の呼吸そのものなのだ。
デビュー前から「姉妹版フリートウッド・マック」などと持て囃されたが、彼女たちの真の恐ろしさは、そんなキャッチーなメロディや洒脱なルックスの奥底で脈打つ、血縁によってしか絶対に共有できない不可視のグルーヴにある。
そして、この三姉妹の特異なリズムに完全に魅了され、彼女たちの本質を世界で最も美しくフィルムに焼き付けたのが、あの天才映画監督ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)である!
「The Steps」や「Summer Girl」など、彼が手掛けた一連のミュージックビデオを観てほしい。PTAのカメラは、ただ彼女たちを綺麗に撮影しているのではない。三姉妹が刻む変則的なステップと、LAの街を吹き抜ける埃や光の粒子に、カメラのフレームそのものが完全に共振している。
PTAが通っていた小学校の美術教師が彼女たちの母親(ドナ・ハイム)だったという運命的な事実を知れば、このコラボレーションが極めて個人的で、血の通った儀式であることが理解できるはずだ。
この蜜月関係は、アラナが堂々の主演を務めた大傑作映画『リコリス・ピザ』(2021年)において圧倒的な頂点を迎える。PTAは彼女たちの中に、単なるミュージシャンを超えた「ロサンゼルスという街の真の顔」を見出したのだ。
ハイム三姉妹の身体は、過去と現在、虚構と現実が交差するLAの都市の記憶を宿し、軽やかにステップを踏み続ける、生きたメディアなのである。
サッド・バンガーの真髄
そんな彼女たちのキャリアにおいて、最大の転換点となったのが、3rdアルバム『Women In Music Pt.III』(2020年)だ。
前2作で提示してきた西海岸的な軽やかなポップ感覚をベースにしながらも、本作は彼女たちが直面した地獄のような「痛みの自画像」へと容赦なく踏み込んでいる。
エスティを蝕む1型糖尿病の悪化、ダニエルを襲ったパートナー(アリエル・レヒトシェイド)のガン闘病と深刻な鬱、そしてアラナが経験した最愛の親友(サミ・ケイン・クラフト)の突然の死。アルバムの制作背景には、普通のバンドなら一瞬で崩壊してしまいそうなほどの、あまりにも濃密でヘビーな絶望が横たわっている。
だが、驚くべきことにこのアルバムから鳴り響く音は、一切の沈鬱さを感じさせない。むしろ前作以上に軽快で、どこまでも風通しが良い。「Los Angeles」のレゲエ・リズムが都市への愛憎を明るく包み込み、「I Know Alone」では孤独の震えをバキバキのエレクトロ・ビートに乗せて歌い上げる。
彼女たちは、自分たちを押しつぶそうとする巨大な「悲しみ」を、前へ進むための莫大なエネルギーへと変換する装置として、ポップ・ミュージックのフォーマットを完璧に使いこなしているのである。これぞまさに音楽の錬金術ではないか!
「Gasoline」の跳ねるようなドラムと歪んだファズギター。ライブにおいて、ダニエル自身がドラムセットに座り、マイクに向かって歌いながらビートを叩き出すあの姿は、もはや悲しみを浄化するための神聖な儀式のようだ。
彼女たちは、声と肉体、旋律と鼓動の境界線を完全にドロドロに溶かし合わせながら、悲しみを「踊れるもの」へと変えてしまう。悲痛な痛みを抱えているのに、なぜか最高に高揚してしまう。
このサッド・バンガーという奇跡のパラドックスの中にこそ、ハイムが到達した究極の美学が隠されている。彼女たちが提示しているのは、安っぽい「癒し」などではない。「悲しみと共に、それでも生きていくための術」なのだ。
呪縛を超えた祈りのポップ・アーキテクチャ
アルバムのフィナーレを静かに、そして圧倒的な余韻と共に締めくくるのが、「Summer Girl」だ。
ルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け」のベースラインとサックスの響きを大胆に引用したこの楽曲には、LAの陽炎のようなトーンと、都市が抱える気怠い夢の断片が美しくパッケージングされている。
病に倒れたパートナーに向けて「私があなたのサマー・ガールになってあげる」と歌うダニエルの声は、個人的な祈りでありながら、同時にすべての人間の痛みに寄り添う普遍的な温かさを持つ。
『Women In Music Pt.III』という、一見すると挑発的にも思えるタイトル。しかしこれは、世間に対する安い皮肉でも、フェミニズムの教条的な宣言書でもない。
これは「女性アーティスト」という狭苦しい枠組みを実力で完全にぶち壊し、自らの存在を「音楽そのもの」として再定義するための、極めて力強い自己肯定の宣言なのだ。
音楽そのものが女性であり、女性そのものが音楽なのだという揺るぎない等式の上に立ち、自分たちの痛みや喜びを、世界を揺らす普遍的なエネルギーへと昇華させている。
エスティの低音が地を這い、アラナのギターが風のように漂い、ダニエルのボーカルが天井を突き破る。三姉妹という極めてミニマルな編成は、閉鎖的な血縁の呪縛などではなく、世界で最も強固で美しい「連帯」のカタチとして力強く鳴り響く。
孤独と喪失を抱え、傷だらけになりながらも、それでも絶対に前へ進もうとする全ての人間たちへ捧げられた、この美しき生の記録。ハイムが鳴らすポップな祈りは、確実に我々の魂を救済し、そして最高に踊らせてくれるのだ。
参考文献・出典
- アーティスト/ハイム
- 発売年/2020
- レーベル/コロムビア・レコード
- ジャンル/インディー・ロック、ロック
- プロデューサー/ロスタム・バトマングリ、アリエル・レヒトシェイド、ダニエル・ハイム
- 1. Los Angeles
- 2. The Steps
- 3. I Know Alone
- 4. Up from a Dream
- 5. Gasoline
- 6. 3 AM
- 7. Don't Wanna
- 8. Another Try
- 9. Leaning on You
- 10. I've Been Down
- 11. Man from the Magazine
- 12. All That Ever Mattered
- 13. FUBT
- 14. Gasoline (feat. テイラー・スウィフト)
- 15. 3 AM (feat. サンダーキャット)
- 16. Now I'm In It
- 17. Hallelujah
- 18. Summer Girl
- Women in Music Pt. III(2020年)
- Barbie The Album(2023年)
- I quit(2025年)
![Women In Music Pt. III/ハイム[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/1e13c412-8f29-46df-b378-9356bf68786017040548980317132622-MEDIUM-e1707298486772.jpg)