『ribbon』(1988年/渡辺美里)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『ribbon』(1988年)は、渡辺美里による4作目のオリジナル・アルバムである。「戦後最大のポップアルバム」という強気なキャッチコピーが掲げられた本作は、ミリオンセラーを記録し、オリコンチャートでも1位を獲得した。収録曲には、「恋したっていいじゃない」や夏を象徴する「センチメンタル カンガルー」といった代表曲が並ぶ。また、小室哲哉が作曲した「悲しいね」のリミックスや、大江千里による名曲「10 years」も収録されており、充実した構成となっている。
最強の青春サウンドトラック
1980年代後半、バブル景気という未曾有の熱狂に包まれていた日本において、音楽は街の空気を震わせる巨大メディアだった。カラオケ文化が爆発的に広がり、若者たちの生活には常にヒットチャートのサウンドトラックが流れていた。
そんな狂騒の時代、イケてない中学生活を送っていた僕にとっての最大のポップスターは、間違いなく渡辺美里である。彼女の存在は、当時の学校空間に存在していた目に見えない障壁を、いとも簡単に破壊していた。
スクールカーストを飛び越え、ジェンダーの壁を飛び越え、ツッパリもオタクも、スポーツマンも帰宅部も、誰もが彼女の歌を聴いていた。ひとつの教室の中で、音楽的嗜好や所属するグループの枠を超えて「全員が同じ歌を口ずさめる」という現象が起きていたのだ。
渡辺美里の楽曲は、単なる流行歌ではなく、少年少女たちの学園生活を鮮やかに彩る、青春そのもののサウンドトラック。部活動の帰り道、文化祭の準備、あるいは誰にも言えない失恋の夜。そこには常に彼女の伸びやかで力強い声が寄り添っていた。
改めて日本の音楽史を俯瞰して振り返ると、渡辺美里という存在がいかに巨大な、そして偉大なる「ガールズポップの先駆者」だったかがよくわかる。
アルバムのオリコンチャート1位を実に9作も連続して獲得し、’80年代から’90年代にかけての日本の音楽シーンを文字通り席巻した彼女の軌跡は、まさに金字塔と呼ぶにふさわしい。
デビューアルバム『eyes』(1985年)のクレジットを見れば、誰もが息を呑むはず。そこには、小室哲哉、木根尚登、岡村靖幸、大江千里、白井貴子といった、後に日本のポップミュージックを牽引することになる俊英たちがずらりと名を連ねていた。
もっとも1985年の時点で、TM NETWORKはまだブレイク前夜だったし、岡村靖幸に至ってはソロ・デビューすら果たしていない。彼らの才能をいち早く見抜き、十代の女性シンガーの楽曲制作に抜擢したプロデューサー陣の恐るべき慧眼こそが、後のJ-POPシーンの形を決定づける巨大な布石となった。
渡辺美里は、時代の才能たちが交差する、奇跡のような引力を持った特異点だったのだ。
戦後最大のポップアルバム
彼女がデビューからの圧倒的な勢いを保ったままリリースした4thアルバム、『ribbon』(1988年)。キャッチコピーには、「戦後最大のポップアルバム」という、途方もないスケールの言葉が刻まれていた。
一見すると、バブル期のレコード会社特有の大げさな煽り文句にも思えるかもしれない。しかし、実際にこのアルバムのパッケージを開け、スピーカーから流れる音の束に耳を傾けてみれば、その強烈な惹句が少しの誇張でもないことがわかるはず。
1988年という年は、日本のポップミュージックにおける成熟期だったように思う。TM NETWORKのコンセプト・アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』(1988年)や、岡村靖幸の和製プリンス的才能が開花した『DATE』(1988年)といった、音楽史に燦然と輝く名盤たちが次々と産み落とされていた。
しかし、渡辺美里の『ribbon』は、そうした同世代の男性アーティストたちが作り上げたコンセプチュアルな作品群とはまた異なる、圧倒的な大衆性を勝ち得ていた。
ポップスとしての親しみやすさと、ロックとしてのダイナミズム。商業的な要請に応えるキャッチーさと、クリエイターたちがしのぎを削るアーティスト性。このアルバムには、あらゆるバランスが奇跡的な次元で成立している。
小室哲哉のエッジの効いたシンセサイザーと、岡村靖幸のブラックミュージック的アプローチ、そして大江千里の叙情的なメロディ。それぞれのクリエイターが持つ強烈なエゴが、渡辺美里という巨大な器の中で見事に調和し、一つのアルバムとして結実している。
まさに「戦後最大のポップアルバム」と呼ぶにふさわしい、日本音楽史の奇跡的な交差点がここにあるのだ。
小室、岡村、大江の天才クリエイターたち
アルバムの幕開けを飾るM-1「センチメンタル カンガルー」は、作曲を佐橋佳幸が手がけた、疾走感に満ちたナンバーだ。華やかで分厚いホーン・セクションが鳴り響き、アルバム全体の祝祭的なムードを一気に最高潮へと引き上げる。
続くM-2「恋したっていいじゃない」は、のちにSPEEDを手がけることになる、伊秩弘将が作曲したファンク・チューン。特筆すべきは、岡村靖幸によるコーラスワークだ。彼特有の半拍突っ込むような粘っこいコーラスが楽曲に絡みつき、聴く者のBPM感をさらに煽り立てる。
M-3「さくらの花の咲くころに」は、センチメンタルなメロディメーカーとしての木根尚登の真骨頂と言える一曲。春の情景と別れの予感を切り取ったような、抒情性に満ちたメロディが涙腺を刺激する。
そして前半のハイライトとも言えるM-4「Believe」。クラシカルなピアノの旋律で静かに幕を開け、鬱屈した感情を抱えたBメロから、一気に視界が開けるように解放されるサビへの劇的な展開。
このカタルシスを生み出すコード進行の妙を聴くにつけ、小室哲哉という男のメロディメーカーとしての底知れぬ天才性に改めて平伏させられる。
アルバムの中盤を彩るM-5「シャララ」は、岡村靖幸によるナンバー。恋が始まる瞬間の高揚感と、少し不器用で青臭い青春の感情が、モータウン・ビートに乗せてストレートに描かれる軽快なポップ・チューンだ。
続くM-6「19才の秘かな欲望」も同じく岡村によるものだが、ここでは彼らしい変態的なファンクの色彩をあえて封印し、職人的に青春の一手前を切り取ったソングライティングの巧みさが光る。
M-7「彼女の彼」(1988年)は、再び佐橋佳幸の作曲。アコースティックギターの響きが印象的な、文学的で叙情的なナンバー。まるで岩井俊二監督の映画のサウンドトラックを想起させるような、繊細なガラス細工のような輝きに満ちている。
後半戦、M-8「ぼくでなくっちゃ」(1988年)は渡辺美里自身が作曲を手がけた異色作。打ち込みを多用したエレクトロニカ色の強いアレンジが施されており、エレポップ好きにはたまらない中毒性を持っている。
M-9「Tokyo Calling」(1988年)は伊秩弘将作曲による、公害や都市の孤独といった問題をテーマにした社会派ナンバー。坂本龍一の『NEO GEO』(1987年)あたりを想起させる無国籍なデジタル・アレンジを纏いながらも、決して難解にならずポップに昇華してみせるのが渡辺美里の力量だ。
M-10「悲しいね」(1988年)は再び小室哲哉の楽曲。マイナーコードのダウナーなAメロから始まり、サビで爆発的な高揚と切なさを同時に叩きつける小室らしいドラマティックな構成。ここで聴ける美里の声の強靭さが、楽曲の悲壮感をより一層際立たせている。
そしてアルバムのラストを飾るM-11「10 years」(1988年)は、大江千里が作曲。10年後の自分たちに思いを馳せる、大江らしいリリカルで温かいメロディが、聴き終えた後に柔らかな、しかし確かな余韻を胸の奥に残してくれる。
永遠に色褪せないJ-POPの金字塔
もちろん、渡辺美里の歌声も大きなポイントだ。単に音程が正確であるとか、声量が豊かであるといった技術的な次元を超越し、彼女の声には伸びやかで力強い生命力と、聴く者の魂を直接揺さぶるソウルフルな熱量が帯びている。
冷ややかなデジタル・シンセサイザーのアレンジの壁を、彼女の血の通った歌声は容易く突き抜ける。その声の圧倒的なフィジカルの強さこそが、彼女を同時代のアイドル歌手たちと決定的に分かつ要因だった。
ポップスの大衆性とロックの衝動、アイドル的な親しみやすさと音楽家としてのアーティスト性、そして大量消費社会の熱気と永遠に残る芸術性。
改めて本作を通して聴き直してみると、要所要所で鳴り響くラウドなエレキギターのディストーションや、タイトなリズムセクションの構成が、今の耳で聴いても意外なほどロック的であることに驚かされる。だけど、このアルバムはとてつもなくポップなのだ。とてつもなく。
『ribbon』は、それらすべての境界線を軽やかに、そして力強く跳び越えた稀有なアルバムだ。そこには、1980年代後半という日本全体が上を向いていた時代の青春像が、最も純粋な形で封じ込められている。
参考文献・出典
- 1. センチメンタル カンガルー
- 2. 恋したっていいじゃない
- 3. さくらの花の咲くころに
- 4. Believe
- 5. シャララ
- 6. 19才の秘かな欲望
- 7. 彼女の彼
- 8. ぼくでなくっちゃ
- 9. Tokyo Calling
- 10. 悲しいね
- 11. 10 years
- ribbon(1988年)
![ribbon/渡辺美里[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/jk-t-3-e1707305537272.jpg)