『WEEKEND SHUFFLE』(2006年/土岐麻子)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『WEEKEND SHUFFLE』(2006年)は、土岐麻子が発表したカバー・アルバム。シュガー・ベイブや山下達郎、アース・ウィンド・アンド・ファイアーといった邦洋のスタンダード・ナンバーが、彼女のクリスタル・ボイスによって瑞々しく彩られる。ジャズの素養を感じさせる軽妙なアンサンブルを背に、彼女の歌声は週末の黄昏時のような心地よい孤独と昂揚感を描き出す。Cymbals解散後のソロキャリアにおいて、彼女がシティ・ポップの新たなミューズとしての地位を決定づけた、鮮やかなマイルストーンといえる一作。
幻のバブルと「ウィークエンド」という魔法
不況やら物価高やらで、すっかり僕たち庶民の消費活動が冷え込んでしまった昨今ではあるが、1980年代のバブル期はとにかく国民総消費時代とでも呼ぶべき狂乱の季節だった。
週末ともなれば、ピカピカに磨かれた愛車で中央フリーウェイをかっ飛ばし、夜景の見える行きつけのバーで甘いカクテルに酔いしれ、船上パーティーでひとときのアバンチュールを楽しむ。
そんなトレンディドラマみたいな光景が、あちこちでリアルに繰り広げられていたのだ。まあ、70年代前半生まれの僕がようやくオトナの階段を登りきった頃には、見事なまでにバブルはすっかりハジけ飛んでいて、そんなオイしい経験なんて皆無なんだけどね。それでも「ウィークエンド」という言葉を聞いただけで、人々の心がウキウキと騒ぎだすような、底抜けに明るい時代が日本に確かに存在した。
1976年生まれの土岐麻子は、世代的には僕より少し年下でほぼ同世代と言っていい。彼女もまた、80年代の華やいだ空気感を子供ながらにブラウン管越しや街の空気から敏感に感じ取っていたに違いない。
祭りの中心にはいなかったけれど、祭りの熱気とパステルカラーの残り香を知っている世代。そんな彼女が、当時の空気感を絶妙な温度感でパッケージングしたのが、極上のカバー・アルバム『WEEKEND SHUFFLE』(2006年)だ。
ここには、僕たちがどこかに置き忘れてきた「週末のキラキラした魔法」が、ただのノスタルジーとしてではなく、極めて洗練された現代のサウンドとして鮮やかに蘇っている。
シティ・ポップの血脈を受け継ぐ極上の選曲
本作の素晴らしさは、何と言ってもその周到で愛に溢れたトラックリストにある。YMOの『君に胸キュン。』(1983年)、作詞・作曲を大瀧詠一が手がけたラッツ&スターの『夢で逢えたら』(1996年)、シュガー・ベイブの『DOWN TOWN』(1975年)、そして山下達郎の『土曜日の恋人』(1986年)。
まさに日本のポップス史、とりわけ昨今世界中で再評価の波が止まらないシティ・ポップの文脈における超重要曲が、惜しげもなくコンパイルされているのだ。
テクノポップの金字塔である『君に胸キュン。』を、彼女はあえて原曲のシンセサイザーの過剰さを削ぎ落とし、アコースティックで軽やかなボッサ・テイストへと大胆に変換してみせる。原曲が持っていたおじさんたちの「キュートな悪ふざけ」感は消え去り、そこには洗練された大人の休日の情景が立ち上がる。
また、『DOWN TOWN』や『土曜日の恋人』といったヤマタツ関連の楽曲は、オリジナルが持つ強靭なグルーヴと分厚いコーラスワークが印象的だが、土岐麻子バージョンはそれを軽やかにスルーしていく。
まるで重たいコートを脱ぎ捨てて、風通しの良いリネンシャツに着替えたような心地よさだ。ドライブ・ミュージックなどという言葉は、サブスク全盛の今となってはすっかり死語になってしまったかもしれない。
しかし、晴れた休日の午前中にカーステレオから流す音楽として、この『WEEKEND SHUFFLE』ほど“使える”ドライブ・ミュージックはそうそうお目にかかれない。
洋楽のジャズ&ボッサ的解体と再構築
さらに興味深いのは、本作が単なる「和モノ・シティ・ポップのカバー集」に留まっていない点だ。
邦楽の名曲たちの間に、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「September」(1978年)、マルーン5の「Sunday Morning」(2002年)、さらにはアメリカ大リーグの愛唱歌としてお馴染みの「Take Me Out To The Ball Game(私を野球に連れてって)」といった洋モノの楽曲がしれっと、しかし完璧な調和をもって忍び込んでいる。
ディスコの定番アンセムである「September」は、あのギラギラしたミラーボールの光を完全に消灯させ、代わりに昼下がりのカフェで流れるようなジャジーで柔らかなアレンジへと見事に解体・再構築されている。
2000年代のモダン・ポップスである「Sunday Morning」も、まるで何十年も前から歌い継がれてきたスタンダード・ナンバーのような落ち着きと風格を纏っている。
これらの洋楽カバーがアルバムの中でまったく浮いていないのは、彼女の歌声とバックの演奏陣が、和洋やジャンルの壁を軽々と飛び越える「土岐麻子というフィルター」として強固に機能しているから。
原曲のメロディの美しさを抽出することに特化し、余計なコブシや過剰なエモーションを排除したそのボーカル・スタイルは、どんな楽曲も等しく「良質なウィークエンドのBGM」へと染め上げてしまう力を持っている。
渋谷系からジャズへ
そもそも土岐麻子というシンガーは、Cymbalsのリード・ボーカルとして1990年代後半のミュージック・シーンに登場した。
そのため、ピチカート・ファイヴなどに連なる「ポスト渋谷系」の文脈で語られることが非常に多い存在だった。Cymbals時代の彼女は、パンキッシュな疾走感とブリティッシュ・ポップの意匠の中で、キュートなアイコンとしての役割を全うしていた。
しかし、彼女のベーシックな音楽的アイデンティティは、実はもっと深く芳醇な場所にある。彼女の父親が、日本を代表するジャズ・サックス奏者の土岐英史であることも大きく手伝って、彼女のルーツは極めて本格的なスタンダード・ジャズに根ざしているのだ。
実際、彼女はCymbals解散後のソロ活動初期において、『STANDARDS ~土岐麻子ジャズを歌う~』(2004年)、『STANDARDS on the sofa ~土岐麻子ジャズを歌う~』(2004年)、『STANDARDS gift ~土岐麻子ジャズを歌う~』(2005年)と、立て続けにジャズ・ボーカル・アルバムを3枚もリリースしている。
このジャズ・シンガーとしての確固たる助走期間があったからこそ、『WEEKEND SHUFFLE』における卓越したリズム感や、裏拍を心地よく捉えるスウィング感がごく自然に発揮されているのだ。
単なるカラオケ的なポップスカバーとは一線を画す、ミュージシャンシップに溢れた説得力の源泉はここにある。
計算し尽くされた都会の煌めき
録音当時、30歳という年齢を迎えて丸みと柔らかさを増した土岐麻子のボーカリゼーションは、まさに絶品の一言だ。
ただ優しいだけでなく、芯のある息遣いがマイクに乗る。その声が、バッキングの利いた軽妙なリズム・セクションや、父親・土岐英史らも参加する華やかなホーン・セクションと絶妙なバランスで絡み合っていく。その音像は、決してベタつかず、押し付けがましくもなく、それでいて確かな体温を持っている。
本作のサウンド・プロデュースの多くを手がけたのは、のちに彼女の盟友となるキーボーディストの川口大輔をはじめとする腕利きのミュージシャンたちだ。
彼らは、80年代のシティ・ポップが持っていた「都会の煌めき」と「清涼な空気感」を、現代的なジャズのフォーマットを使って見事に再定義してみせた。
『WEEKEND SHUFFLE』は、かつての華やかな時代への単なるノスタルジーで作られた安直な企画盤なんかじゃない。80年代のシティ・ポップの手触りや、週末という概念が持っていた魔法の正体を音楽的に分析し、現代の都市生活者のためのサウンドトラックとして再提示する、極めて用意周到な計算が施された傑作アルバムなのだ。
ここには、終わってしまったバブルを嘆く暗さはない。ただ、いつの時代も変わらない「次の週末を待ちわびる胸のときめき」だけが、エバーグリーンな輝きを放ち続けている。
- 1. 君に胸キュン。
- 2. 夢で逢えたら
- 3. Down Town
- 4. Take Me Out To The Ballgame
- 5. 土曜日の恋人
- 6. 夏の思い出
- 7. September
- 8. Sunday Morning
- WEEKEND SHUFFLE(2006年)
- TOUCH(2009年)
![Weekend Shuffle/土岐麻子[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/293fa1a5ebea94dc5d73d6d7f95455b3818d2dc6_l-e1760868974920.jpg)