『TECHNODON』(1993年/YMO)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『TECHNODON』(1993年)は、YMOが再生を掲げて発表したアルバムであり、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人によるセルフ・プロデュースによって制作された。アルバムの核を成すのは、緻密に構成されたミニマルなリズム・ループと、深淵な奥行きを持つサウンド・デザイン。「BE A SUPERMAN」や「HI-TECH HIPPIES」に見られるように、言葉を記号化し、音のテクスチャの一部として扱う手法は、聴き手を純粋な音響体験へと誘う。一方で、エルヴィス・プレスリーのカバー「POCKETFUL OF RAINBOWS(カクトウギのテーマ)」では、彼ら特有の諧謔心と気品ある叙情性が顔を覗かせる。
- 1994年ミュージック・マガジン:年間ベスト・アルバム テクノ/ハウス/ヒップホップ[日本]部門 第2位
祝祭を拒絶した“再生”
YMOの“散開”からちょうど10年の月日が流れた1993年。巨大なマーケットの要請によって製作されたアルバム『TECHNODON』(1993年)を聴き返すたび、この作品が纏っている「尋常ではない暗さ」に戦慄を覚える。
本作には、『BE A SUPERMAN』(1993年)や『HI-TECH HIPPIES』(1993年)といった、当時のクラブシーンを意識したポップなハウス・ミュージックも収録されてはいる。
しかしアルバム全体を覆うトーンは、かつてドライでクールと評された『BGM』(1981年)や『TECHNODELIC』(1981年)よりもさらに輪をかけて重く、そして暗い。
東芝EMIが仕掛けた一大プロモーションによって世間が祭り上げた歴史的な“再生(リユニオン)”の熱狂に、自ら冷水を浴びせかけるほどに徹底して暗いのである。
商標権の都合により「YMO」という名称が使用できず、ロゴに×印を付けた“ノット・ワイエムオー(YMO)”名義としてリリースされたエピソードは有名だ。
しかし逆説的に言えば、YMOという強大なアイデンティティーを強制的に剥奪され、捨て去ることを余儀なくされたからこそ、このような深刻極まりない、ある種のアノニマス(匿名)なアルバムが完成したという事実は、音楽史において大いに注目に値する。
過去の亡霊へのレクイエム
のちのインタビューにおいて、細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人は、この再生劇を「ハメられた」と身も蓋もなく述懐している。
1992年、散開以来初めて3人が顔を揃え、“再生”が正式決定した瞬間から、彼らは決してこのプロジェクトに乗り気ではなかった。当然ながら、レコーディング・スタジオの空気も、かつての仲間が再会した和気藹々としたものには程遠かったという。
彼ら3人にとって、『TECHNODON』の制作はファンが望んだような偉大なる復活祭などではなく、巨大化しすぎたYMOという過去の亡霊を完全に葬り去るための、禊ぎだったのかもしれない。
アルバムの終盤、M-11に配置された『CHANCE』(1993年)の最後にほんの一瞬だけサンプリングされて奏でられる『ライディーン』(1979年)の幻のような旋律は、まさにYMOの完全なる死を告げる葬送のレクイエムである。
おそらく本作は、クリエイター側からの作られるべき必然性が存在しないまま作られたアルバムであり、純粋な音楽的モチベーションがまったく介在していない稀有な作品なのだ。
かつて、ジャン=リュック・ゴダール監督の映画タイトルを冠した『中国女』(1978年)や『MAD PIERROT』(1978年)といった初期のトラックは、いかにもゴダールらしい軽妙洒脱なエッセンスを内包した、ポップで刺激的なテクノポップだった。
しかし本作では、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画タイトル『ノスタルジア』(1983年)をそのまま冠したトラック『NOSTALGIA』(1993年)がコンパイルされている。
それはまるで光の届かない湖底へと静かに沈溺していくかのような、深く冷たいアンビエンスをたたえた作品だ(これは私見だが、このアルバム全体には、タルコフスキー作品の重要な主題だった“水”というモチーフが、サウンドの根底に冷ややかに通底しているような気がしてならない)。
空虚さが生み出した「音楽的な純化」
作られるべき理由がなく作られ、積極的な音楽的モチベーションが介在していないアルバムであるにもかかわらず、不思議なことにこの『TECHNODON』は、いまだに僕の愛聴盤として極めて重要な位置を占め続けている。
いや、むしろ逆に「このようなビジネス的な要請と、冷え切った関係性の下でしか、ここまで音楽的に純化された音楽は生まれ得なかったのではないか」とすら訝ってしまうほど。
過剰な感情の交感を放棄し、純粋な音響設計とテクノロジーの追究のみに没頭した結果、音楽の美しい骨格だけが恐ろしいほど純粋に抽出されたのである。
しかし、この見事なアルバムのなかに、ある種の底知れぬ空虚さがパッケージされていることもまた、事実として否定できない。
思い返してみれば、1993年の6月に東京ドームで2日間にわたって行われたYMO再生コンサートも、どこか奇妙な空間だった。熱狂し、感動の涙を流すファナティックな5万人のファンの熱気を静かに打ち消すかのように、ステージ上の3人が放つ空気は、徹頭徹尾、冷徹な空虚さに満ちあふれていた。
あの日、オーディエンスの一人としてあの巨大なドーム空間に居合わせた証人として、僕はその圧倒的な空虚さを、今でもはっきりと断言できる。
参考文献・出典
- 1. BE A SUPERMAN
- 2. NANGA DEF?
- 3. FLOATING AWAY
- 4. DOLPHINICITY
- 5. HI-TECH HIPPIES
- 6. I TRE MERLI
- 7. NOSTALGIA
- 8. SILENCE OF TIME
- 9. WATERFORD
- 10. O.K.
- 11. CHANCE
- 12. POCKETFUL OF RAINBOWS
- Yellow Magic Orchestra(1978年)
- TECHNODON(1993年)
![TECHNODON/YMO[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/61AtyeI1PML._SL1050_.jpg)