2026/5/3

『遠くは近い』(2011)徹底解説|ルビー・チューズデイに託した永遠の別れ

『遠くは近い』(2011年/yanokami)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー

10段階評価
7
GOOD

概要

『遠くは近い』(2011年)は、矢野顕子とレイ・ハラカミによるユニット、yanokamiが発表したアルバム。矢野の天真爛漫かつ深淵なヴォーカルと、ハラカミがたった一台のシーケンサーから生み出す「ハラカミ・サウンド」特有の揺らぎが、かつてない純度で響き合っう。「Don’t Speculate」に見られる軽妙なリズムや、荒井由実のカバー「瞳を閉じて」で見せる静謐な情景描写は、緻密なエディットを施しながらも、その場に二人が佇んでいるかのような生々しい体温を感じさせる。

目次

突然の喪失と、体温を宿した電子音楽

迫り来る「フジロックフェスティバル」の準備に追われ、どこか浮き足立っていた2011年7月27日。

僕はインターネットの海で、ある短いニュースソースを見つけてしまい、文字通り愕然とした。それはまるで、見知らぬ路地裏で突然、有り金をすべてすられてしまったかのような、理不尽で圧倒的な喪失感だった。

「レイ・ハラカミが脳出血のため亡くなった。享年40歳」

信じがたい訃報はまたたく間に駆け巡り、Twitter(現X)のタイムラインは彼の早すぎる死を悼む悲痛な言葉で埋め尽くされた。

mixiのコミュニティにも、彼を愛したファンからの追悼のメッセージが次々と書き込まれていった。直後に開催されたフジロックのステージでは、彼と親交の深かったミュージシャンたちが次々にマイクを通して想いを吐露し、その偉大な足跡を静かに称えた。

アルゼンチン音響派の歌姫フアナ・モリーナが、コンゴトロニクスとともに立ったステージ上で「この曲をハラカミさんに捧げます」とMCをしたときは少し驚いたが、記憶を辿れば、2006年に恵比寿LIQUIDROOMで開催された彼女の来日公演において、オープニングアクトを務めてフロアを温めたのは、他ならぬレイ・ハラカミだった。

大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、レイ・ハラカミがこの世界からいなくなってしまったことで、僕は「日本の現代音楽を聴く理由」の大きなひとつを決定的に失ってしまった、とすら思った。

彼が旧式の機材(ローランドの音源モジュールSC-88Pro)のみを駆使して職人的に紡ぎ出す電子音楽は、無機質なテクノとは対極にある、ワン・アンド・オンリーの異彩を放っていた。

その音の一粒一粒には、確かな人肌程度の体温が宿っていたのだ。もう二度と、僕たちは彼の新しい音の連なりに胸をときめかせることができない。それは残酷なまでに明快で、取り返しのつかない欠落だった。

奇跡のクリスマス・プレゼント

深い喪失感のなかで迎えた2011年の冬。12月14日に、ひとつの奇跡が僕たちの前に届けられた。

矢野顕子とレイ・ハラカミによる至高のポップ・ユニット「yanokami」名義での2枚目のアルバム『遠くは近い』(2011年)、そしてそのインストゥルメンタル・アルバムである『遠くは近い -reprise-』(2011年)のリリースである。

それはまさに、音楽の神様が少しだけ早く届けてくれた、かけがえのないクリスマス・プレゼントだった。これを僥倖と呼ばずして何と呼べばいいのだろう。

僕はレコードに針を落とすような敬虔な気持ちすら抱きながら、この『遠くは近い』という美しい作品を、何度も何度も繰り返し拝聴したのである。

まず、アルバムの幕開けを飾るイントロ・ナンバー「Don’t Speculate」から、完全に心を鷲掴みにされてしまった。シンプルでありながら骨太で力強いリフが、ハラカミ流の浮遊感あふれるシグネチャー・サウンドの上で伸びやかに展開されていく。

そこへ繊細なピアノが、まるで音と音の隙間を縫うように滑り込み、サビの前で絶妙なタイミングでハイハットが重なる。そして何より、矢野顕子のありったけの喜怒哀楽を詰め込んだ、どこまでも自由でキュートなボーカルが見事にスパークしているのだ。

思わずリズムに合わせて身体が上下に揺れてしまうほどの、見事なロック的ダイナミズム。前作であるファースト・アルバム『yanokami』(2007年)と比較しても、歌とトラックの融合がより高い次元へと昇華されており、「歌モノのポップス」としての充実度が桁違いなのである。

「Ruby Tuesday」が残す永遠の余韻

このアルバムの豊かな音楽性を象徴しているのが、全9曲中5曲を「カバー曲」が占めているという事実だ。

荒井由実の「曇り空」(M-2)と「瞳を閉じて」(M-8)、オフコースの「Yes-Yes-Yes」(M-4)、そして坂本龍一とデヴィッド・シルヴィアンによる名曲「Bamboo Music」(M-6)。

日本のポップス史を彩るこれらの名曲たちが、yanokamiという特異なフィルターを通すことで、原曲への深いリスペクトを保ちながらも、まったく新しい電子音響空間へと再構築されている。

そして、アルバムの最後(M-9)を静かに飾るのは、なんとザ・ローリング・ストーンズの「Ruby Tuesday」!

Goodbye, Ruby Tuesday
Who could hang a name on you
When you change with every new day
Still I’m gonna miss you

ミス・ルビー・チューズデイという気まぐれな女性への恋慕と、やがて訪れる別れを歌った「Ruby Tuesday」は、ストーンズが残した数あるヒットナンバーのなかでも、とりわけ豊かなロマンティシズムと感傷性をたたえたバラードとして、世界中で愛され続けている楽曲だ。

yanokamiは、その楽曲が本来持っている切ないスピリットはそのままに、ゆったりとしたテンポの、まるで白日夢のようなドリーミーなエレクトロ・ポップへと見事にリボーン(再生)させている。

それでも僕は、君を恋しく思うだろう(Still I’m gonna miss you)」

矢野顕子の優しい歌声に乗せてリフレインされるこのフレーズは、そのまま、遺された僕たちがレイ・ハラカミに対して抱き続ける、永遠の切実な想いそのものである。

彼の体温を宿した電子音が鳴り止むことはない。僕たちはいつまでもこの「Still I’m gonna miss you」の気持ちをそっと胸に抱いたまま、彼の残したこの美しいナンバーを聴き続けていくのだろう。

アルバム情報
プレイリスト
  1. 1. Don’t Speculate
  2. 2. 曇り空
  3. 3. See You Tomorrow
  4. 4. Yes Yes Yes
  5. 5. Don’t Speculate (rei_nuki U-zhaan_mori version)
  6. 6. Bamboo Music
  7. 7. yanokamintro
  8. 8. 瞳を閉じて
  9. 9. Ruby Tuesday
yanokami アルバムレビュー