『オープニング・ナイト』の考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました

『オープニング・ナイト』“老い”という実存的恐怖からの解放」という考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました。

ジョン・カサヴェテスを語ることは難しい。躍動的なカメラワークであったり、端正な構図であったり、キレの良いエディットであったり、多くの観客が信じている”映画なるもの”とは最も遠く離れている場所に、彼は鎮座している。

カメラのピンは甘く、構図は緩い。状況説明のためのエスタブリッシング・ショットも、ほぼ使われない。ショットの繋ぎも不恰好だ。カサヴェテスにとって、古典的な映画文法なんか二の次。その独特すぎる文体は、生々しく、ぶっきらぼうに、人生の意味を問いかけてくる。彼自身のインタビューを引用してみよう。

「今日、映画を作っている人たちは、フィーリングではなく、メカニックなこと、つまり技術的なことを気にしすぎている。(中略)ある監督に “今日は最高にゴージャスなショットが撮れた “と言われると、吐き気がするね。重要なのはそこではない。私たちは、テクニックやアングルにこだわる現状を超えなければならない。時間の無駄だ。映画は、ショットの連続以上のものだ。(中略)結局トリックばかりで、人間も人生も知らない映画を作ることになる。センスも、意味も、人間への理解もないのだから、俳優が映画にもたらすものは何も残らない」(*1)

自らも優れたアクターであるジョン・カサヴェテスは、何よりも“俳優が映画にもたらすもの”にこだわっている。だからこそ至近距離で俳優を捉え、荒々しくラフな手法で、より深く内面に分け入ろうとする。顔、顔、顔。クローズアップでスクリーンいっぱいに映し出される、顔。離婚の危機を迎えたある夫婦の36時間を描いた『フェイシズ』(68)から、その姿勢はまったく揺らいでいない。

ぜひご一読ください!

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