奥崎謙三のほとばしる暗黒面フォースに、ただ圧倒されるのみ
強烈な個性を持った被写体を、同じくらい強烈な個性を持った監督が執拗につきつめて撮りあげた、驚天動地のドキュメント。
撮られる人間は奥崎謙三、『ヤマザキ、天皇を撃て!』(1972年)を著した過激な左翼主義者。撮る人間は原一男、妥協を許さぬ魂のドキュメンタリー作家。
そんな二人のコラボレーションによる映画『ゆきゆきて、神軍』(1987年)には、ドス黒くも生々しい人間の本質が刻印されている。そして観るものに対し、「戦争」という悲劇をリアルな体感を持って突き付けるのだ。
太平洋戦争時、奥崎謙三はニューギニア戦線に派遣された。異常な状況の中で、彼はさらに異常な状況に直面する。「上官による部下射殺事件」と「人食事件」。激しい食糧難のために、上官が部下に濡れ衣の罪を着せて射殺し、彼の人体を食したというのだ。
野蛮で非人道的な行為だが、戦争時、生きるためにこのようなケースは少なからずあったらしい。サバイバルする為には、人は道徳や倫理観に構っていられないのか。
だが戦争が終わって永い年月が流れても、奥崎の事件に対する執着は変わらない。彼は次々とかつての上官や戦友のもとを訪れては、激しい口調で忌わしい記憶を封印しようとする相手をなじり、時には暴力をふるって追い詰めていく。
この場合、彼の方法論が正義だとか悪だとかの議論は、あまり意味がない。絶対的な信念と行動力で自らを肯定していく、奥崎謙三のほとばしる暗黒面フォースに、我々はただ圧倒されるのみ。
後に怪作『神様の愛い奴』(1998年)で、齢77にしてAV嬢とセックスシーンを披露してみせたこのゴッドおやじは、まさに「危険ですのでエサを与えないでください」状態なんである。
こんなパラノイア老人に対し、原一男は臆すことなく、これまた執拗なまでの執着心で対峙する。原一男の師匠筋に当たる今村昌平にも通じるような、人間の生の部分を暴き出さんとする、粘着質なカメラ。
原一男のフィルムにおいては、人間は一介の獣にしかすぎない。エゴやプライドを剥奪された人間の姿は、だがしかし醜くも溢れんばかりの生命力に満ちている。
奥崎というドキュメンタリーに格好の人間を描けば、どんなボンクラ人間が撮っても傑作になっただろうという主張は明らかな間違いだ。あまりにも倫理観・イデオロギーに立ち入った問題を描いているがために、ポテンシャルの低い人間ではカメラを回すこと自体にためらいが生じることだろう。
しかし、原一男にためらいはない(後年出版された、この作品の製作メモを読むと、少なからず対立や葛藤はあったようだが)。原一男自身、奥崎に負けないエネルギーを持った監督だったからこそ、撮影を続行できたのである。
奥崎という人間を鳥肌実のようなサブカル的見地からみるか、戦争という悲劇の伝道師たる「エホバの証人」として見るか、この映画の評価はそこにかかっている。
《補足》
奥崎謙三のヤバさの一端を知ってもらうために、その略歴の一部をご紹介。
1956年 不動産業者を傷害致死罪で懲役10年。
1966年 大阪刑務所を満期出所。
1969年 新年皇居参賀でとパチンコ玉 を撃つ。
1976年 天皇ポルノ写 真事件。
1980年 参院選全国区に出馬。
1983年 大竹市で旧軍隊時代の上官の長男に発砲。
1983年 殺人未遂容疑で、神戸市で逮捕。
1987年 殺人未遂で懲役12年の判決。
1998年 府中刑務所出所。
いやー、スゴイ経歴です…。
- 原題/Apocalypse Now
- 製作年/1987年
- 製作国/日本
- 上映時間/122分
- 監督/原一男
- 製作/小林佐智子
- 構成/鍋島惇
- 編集/鍋島惇
- 企画/今村昌平
- 撮影/原一男
- 選曲/山川繁
- 録音/栗林豊彦
- スクリプター/高村俊昭、平沢智、徳永靖子、三好雄之進、伊藤進一
- 助監督/安岡卓治、大宮浩一
- 奥崎謙三
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