これぞ厳然たるデ・パルマ・スタイル。いかがわしさ満載のクライム・サスペンス
脚本家にとって夢オチが禁じ手なのは、どんなに荒唐無稽なプロットもオールオッケーに強制置換させてしまう飛び道具だからであり、脚本家の創造力を著しく低下させる甘い罠だからだ。ってゆーか、まず何より観客が納得しない。
しかし『キャリー』(1976年)や『殺しのドレス』(1980年)といった過去の諸作で、臆面なく夢オチで物語を着地させてきたデ・パルマは、この『ファム・ファタール』(2002年)においても禁断の秘技を披露して、厳然たるデ・パルマ・スタイルを全うさせている。厚顔無恥とも思えるその流儀に、映像作家としての決意表明をみる思い。
神懸かり的なつまらなさだったSF映画、『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)の失敗を受け、デ・パルマの復活作として原点回帰を狙った『ファム・ファタール』は、宝石強盗に関与したある女性の、数奇な運命を描く、サスペンス映画。
『X-MEN』(2000年)のミスティーク役でお馴染みの、レベッカ・ローミン=ステイモスが主人公ロールを体当たりで演じ、オンナの武器を駆使して成り上がるビッチ・ガールを熱演している。
そう、デ・パルマのヒロインはいつだってビッチでなければならない。淑女よりも悪女、知的よりも痴的。イケすかないビッチ・ガールの存在が、デ・パルマの奏でる「どーしようもなくいかがわしいクライム・ストーリー」に香り付けする。ヒッチコックが、ウェルメイドかつソフィスティケートなミステリーを撮り続けて来たのに対し、デ・パルマ作品はまず低俗なB級ミステリーでなければならない。
一人二役、悪女、裏切り、セックス。使い古された道具立てを縦横無尽に活用して、デ・パルマは猥褻話を構築し、自己模倣と自己生産に繋げていく。身も蓋も無い言い方をすれば、「パクリ」ってことだ。
『ファム・ファタール』に至ってはそのパクリ精神は音楽にも及び、デ・パルマが“世界の教授”坂本龍一に「ボレロみたいな曲を作れ」とオーダーして、教授はホントに「ボレロ」のパクリみたいな曲をつくってしまった。
曲名もズバリ、『ボレリッシュ』である!オーダーするほうもオーダーするほうだが、作るほうも作るほうなり。結果として『ファム・ファタール』は、よりいかがわしさが強調された、愛すべきクライム・ストーリーに仕上がっているのだ。
でも、僕はデ・パルマを許す。そんな傲慢不遜なアチチュードすらも愛さずにはいられない。かつてヒッチコックは、「演技なんてどうでもいい。ストーリーなんてどうでもいい。映画でも最も重要なのは、映画そのものだ」と語ったそうな。
僕も激しく同意!デ・パルマは、映画だ。“物語”を逸脱して、カメラ、音楽、編集、演技、全てのファクターが映像的自立を勝ち得て、映画に奉仕する。『ファム・ファタール』の序盤の舞台が、カンヌ国際映画祭会場であることも極めて暗示的。
そのいかがわしさは、あまりにも映画的であることの証左なんである。
- 原題/Femme Fatale
- 製作年/2002年
- 製作国/フランス、アメリカ
- 上映時間/115分
- 監督/ブライアン・デ・パルマ
- 脚本/ブライアン・デ・パルマ
- 製作/タラク・ベン・アマール、マリナ・ゲフター
- 撮影/ティエリー・アルボガスト
- 音楽/坂本龍一
- 編集/ビル・パンコウ
- 衣装/オリヴィエ・ベリオ
- レベッカ・ローミン・ステイモス
- アントニオ・バンデラス
- ピーター・コヨーテ
- エリック・エブアニー
- エドュアルド・モントート
- リエ・ラスムッセン
- リ-・ラスムッセン
- ティエリー・フレモン
- グレッグ・ヘンリー
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