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ギャング・オブ・ニューヨーク/マーティン・スコセッシ

『ギャング・オブ・ニューヨーク』──なぜスコセッシはこの壮大な夢に敗れたのか?

『ギャング・オブ・ニューヨーク』(原題:Gangs of New York/2001年)は、マーティン・スコセッシが30年越しに構想した歴史スペクタクル。舞台は1860年代のニューヨーク、移民が入り乱れるファイブ・ポインツ地区。父を殺された青年アムステルダムが復讐を誓う一方で、暴力と支配が都市を形づくっていく。民主主義成立の裏に潜む国家の原罪が描かれる。

“傑作”を背負わされた映画──神話化された製作背景

『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001年)は、マーティン・スコセッシが半生をかけて構想した“夢の超大作”として誕生した。

70年代にアメリカン・ニューシネマの先鋭として頭角を現したスコセッシが、ハリウッドの巨大資本を背景に、自らのルーツであるニューヨークを歴史的スペクタクルとして再構築する。

その構想に30年、製作費に120億円。主演は当時絶頂期のレオナルド・ディカプリオ、ヒロインにキャメロン・ディアス、そして敵役ビル・ザ・ブッチャーを演じるのはダニエル・デイ=ルイス。

撮影の舞台となったのはローマ郊外チネチッタ撮影所──フェリーニやワイラーがかつて神話を築いた“映画の聖地”。盟友ジョージ・ルーカスが見学に訪れ、「この規模のセットは今ならCGで作れる」と呟いたという逸話は象徴的だ。

スコセッシはデジタル技術の時代に抗い、あえて往年のハリウッド的豪奢を選んだ。つまり本作は、“映画そのものへの信仰”をかけた祈りであり、同時にその信仰が時代と齟齬をきたしていく過程を描いた自己寓話でもある。

舞台は1860年代のニューヨーク、ファイブ・ポインツ地区。移民たちが血で土地を奪い合い、宗教的・民族的対立が渦巻く無秩序の街である。プロテスタント系イギリス人とカトリック系アイルランド人、支配者と被支配者、旧世界と新世界──その対立軸は後のアメリカ社会を形成する原型として描かれる。

ギャングによる地域支配から、選挙によるリーダー選出へと至る政治的変遷、そして南北戦争を背景とした人種暴動が織り重なる。スコセッシがこの混沌の中に見ていたのは、民主主義の成立という美談ではなく、暴力と搾取の果てにしか生まれ得ない“国家の原罪”だった。

ニューヨークという都市は、理想の実現ではなく、暴力の蓄積によって形づくられた“文明の墓場”として描かれる。スコセッシはその空間を宗教画のような荘厳さで撮りながら、同時に神を欠いた世界の虚無を露わにする。

だがその高邁な企図に反して、映画は次第に物語としての軸を見失っていく。

崩壊する語り──スペクタクルに呑まれる物語

オープニングの抗争シーンで、すでに不穏な兆候は表れている。カメラは狂おしいまでに動き回り、群衆の怒号と血煙が舞台装置のように交錯する。テンションは冒頭から極限まで引き上げられ、その緊張が167分間途切れない。

スコセッシ特有の疾走感は健在だが、ここではそれが物語を駆動するリズムではなく、単なる騒音として機能してしまう。彼の演出は“静”を欠き、緩急の呼吸を失っている。

大胆な省略による編集は、テンポの軽快さを生みながらも、ドラマの感情的厚みを削いでしまう。シーンのつながりは切り貼りのように散漫で、観客が人物の内面に同調する隙がない。

スコセッシのカメラは、人物を“生きる存在”としてではなく、“構図の一要素”として捉えている。結果として、映像は華麗であっても、物語は冷たい。彼が敬愛するジョン・フォードやコッポラの“血と時間の重み”が、ここには存在しない。

ディカプリオ演じるアムステルダム・ヴァロンは、父を殺した宿敵ビル・ザ・ブッチャーに復讐を誓いながら、やがてその男の庇護下に入っていく。

敵対と従属の間で揺れ動く心理は本来、スコセッシ映画の核心である“信仰と裏切り”のテーマを想起させるはずだった。だが本作では、その内的動機がほとんど描かれない。

モンクの一言で突然復讐心を取り戻す唐突な展開、終盤で暴動の渦に呑まれて復讐そのものが消滅してしまう構成は、個人の物語が歴史的スケールに溶解してしまうことを示しているとも読める。

しかし問題は、その溶解が意図的に設計されたものではなく、演出上の混乱として現れてしまっている点にある。スコセッシは、個人の激情と社会の構造を同時に描こうとしたが、その二つが互いに干渉し合い、結果としてどちらも十分に成立しない。

アムステルダムは“復讐者”としても“息子”としても中途半端に漂流し、観客は彼の存在に感情を託すことができない。

神話の終焉──崇高と失敗のあいだで

スコセッシの真価は、都市の片隅に生きる人間の孤独をミクロに描くときにこそ発揮される。『タクシードライバー』のトラヴィスや『アフター・アワーズ』のポールのように、彼のカメラは“孤立した魂”の軌跡を追うことで、暴力と信仰の構造を浮かび上がらせてきた。

しかし『ギャング・オブ・ニューヨーク』では、視点が都市全体に拡張されたことで、人物の呼吸が希薄化してしまう。スコセッシは歴史のスケールに飲み込まれ、ドラマの親密さを失う。

チネチッタの壮麗なセットは確かに圧巻だが、リアルな“ニューヨークの生”を体現してきた彼の映画作法とは正反対にある。ここで彼が描くのは、実在の都市ではなく“記号化された都市”であり、そこには血の匂いも湿度もない。スコセッシは、己の出自であるリアリズムを手放すことで、かえって映画的真実を見失ってしまったのだ。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』は失敗作として記憶されている。しかしその失敗は、単なる出来の悪さではなく、映画史的な“時代の断絶”を証明するものである。

70年代に形成された“作家主義の黄金期”が、21世紀のデジタル時代においても成立し得るのか──その問いに対し、スコセッシは壮大な挫折をもって答えた。

彼が描こうとしたのは、国家の誕生と同時に始まる暴力の系譜であり、映画そのものの“神話の終焉”でもあった。チネチッタの巨大なセットは、古き良き映画の亡霊のようにスクリーンに屹立し、そこにCGでは再現できない手触りと同時に、過剰な虚構性を宿す。

ラスト、荒廃した墓地に立ち並ぶ墓標が時代を跨いで映し出されるシークエンスは、ニューヨークという都市が永遠に再生と死を繰り返す存在であることを暗示する。

スコセッシは失敗した。しかしその失敗の中でこそ、映画が“信仰の対象”ではなく、“記録される絶望”へと変貌した瞬間が刻まれている。

DATA
  • 原題/Gangs of New York
  • 製作年/2002年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/167分
STAFF
  • 監督/マーティン・スコセッシ
  • 製作総指揮/ハーヴェイ・ワインスタイン、マイケル・ハウスマン
  • 製作/アルベルト・グリマルディ
  • 共同製作/グラハム・キング
  • 衣装/サンディ・パウエル
  • 編集/セルマ・スクーンメイカー
  • 原案/ジェイ・コックス
  • 脚本/ジェイ・コックス、スティーヴン・ザイリアン、ケネス・ロナーガン
  • 撮影/ミヒャエル・バルハウス
  • 美術/ダンテ・フェレッティ
  • 音楽/ハワード・ショア
CAST
  • レオナルド・ディカプリオ
  • キャメロン・ディアス
  • ダニエル・デイ・ルイス
  • リーアム・ニーソン
  • ヘンリー・トーマス
  • ブレンダン・グリーソン
  • ジム・ブロードベント
  • ジョン・C・ライリー
  • ゲイリー・ルイス