『10日間で男を上手にフル方法』──恋愛資本主義のマニュアル崩壊
『10日間で男を上手にフル方法』(原題:How to Lose a Guy in 10 Days/2003年)は、ドナルド・ペトリ監督によるロマンティック・コメディ。ファッション誌の記者アンディ(ケイト・ハドソン)は、“最悪の恋人行動で男に振られる方法”を検証する記事を書くため、広告代理店の営業マン・ベン(マシュー・マコノヒー)をターゲットに選ぶ。一方、ベンも「10日以内に女性を惚れさせる」という社内の賭けに挑んでいた。嘘と駆け引きの中で始まった恋が、いつしか本物に変わっていく過程を、軽快なテンポとユーモアで描く。
恋愛とキャリアが等価交換される世界
ファッション誌の女性ライターが“別れの逆ハウツー記事”を書くために、実験台となる独身男性を探す。一方、広告代理店のエリート営業マンは、10日以内に女性を落とせるかどうかを賭けに出る。
そんな二人が出会い、虚構の駆け引きの果てに、いつしか本物の恋に転化していく──これが『10日間で男を上手にフル方法』(2003年)のあらすじである。
だが本作の本質は、恋愛コメディの外皮をまとった“恋愛資本主義の寓話”にほかならない。記事も企画も恋愛も、すべてが取引の対象であるこの世界では、愛ですらパフォーマンスに変換される。恋愛がキャリアの踏み台として制度化された時代に、映画はその冷笑的な構造を軽やかに戯画化する。
ケイト・ハドソンの演技は、まるで感情のスイッチャーのようだ。彼女の表情は一秒ごとに切り替わり、笑顔、涙、怒り、誘惑が連続する。まるで“情動のスタッカート”がリズムを刻んでいるかのようである。
そのテンポこそがこの映画の生命線。彼女は恋愛映画のヒロインではなく、“恋愛の演出者”として機能している。男性を翻弄し、泣き叫び、わざと嫌われる──その一連の行動は、まるで恋愛マニュアルを破壊するための実験のようだ。
観客が彼女の行動を笑いながらも目を離せないのは、そこに“演技でありながら真実でもある”という二重構造があるからだ。彼女の表情の裏には、虚構の中でしか愛を表現できない現代人の不安が滲む。
ハドソンはこの作品で、ロマンティック・コメディの古いフォーマットを一度解体し、再び立ち上げてみせた。
マシュー・マコノヒーとドナルド・ペトリ──軽薄の美学
マシュー・マコノヒーは、ハリウッドが生んだ最後の“肉体派ロマンティスト”である。ここで彼が演じる広告マンは、ナイーヴなほど成功に憑りつかれた男。完璧な笑顔、筋肉質な身体、無駄に美しいスーツ姿──どれもが“商品としての男”を象徴している。
ケイト・ハドソンとの対峙によって、彼のナルシズムは茶化され、過剰なまでの自信が滑稽に見える瞬間がある。だが、その滑稽さこそが愛の入り口なのだ。マコノヒーの演技は、ポール・ニューマン的なクールさを模倣しながらも、同時にその虚構性を自ら暴いていく。
彼が「君一人で手一杯だ」と告白する場面は、恋愛映画というジャンルの自己言及にほかならない。愛の万能感ではなく、限界を認めることでしか得られない真実。そこにこの映画の“意外な正直さ”が宿る。
監督ドナルド・ペトリは、『ミスティック・ピザ』(1988年)でジュリア・ロバーツを見出した職人であり、『ラブリー・オールドメン』(1993年)などでハリウッド的快活さを体現してきた。
だが2000年代以降、彼のキャリアは停滞し、作品群は日本未公開のまま埋もれている。『10日間で男を上手にフル方法』は、そんなペトリの“職人としての晩年様式”を示す一作だ。物語の軽さを逆手にとり、リズムとテンポだけで映画を駆動させる。
ストーリー構築の堅牢さではなく、役者の化学反応と編集テンポによって笑いを作る。まるでテレビコマーシャルの延長のような編集感覚だが、それが逆に広告マンを主人公とする本作のメタ的主題と重なっている。
愛を“プレゼン”として見せるこの映画は、ペトリの衰えではなく、彼の冷静な時代感覚の表れでもある。
恋愛マニュアルの崩壊と“演技される愛”
映画の構造は単純。女は男を弄び、男は女を制しようとする。だが10日後には、どちらも“勝ち負け”のない場所に立たされる。恋愛の駆け引きとは、結局のところ“支配の演習”である。
誰かを手に入れるとは、同時に誰かに所有されることでもある。二人の関係は、支配のゲームから降りる瞬間にようやく始まる。ファッション誌と広告代理店──この映画が選んだ二つの職業は、どちらも“人の欲望を形にする”仕事だ。
だが、欲望を操る者たちが、最終的に欲望に支配されていく。トリックの末に残るのは、言葉も計算も効かない感情の断片だけだ。つまり、恋愛をマニュアル化した時点で、恋愛はすでに死んでいる。この映画は、その死体をコメディとして蘇生させる。
ケイト・ハドソンの過剰な演技、わざとらしい泣き笑い、ハイパーリアルな感情表現──それらは単にロマンティック・コメディの演出ではなく、ハリウッドそのものの姿に見えてくる。
観客の感情を操作するために、すべてを「演じ続ける」産業構造。恋愛が商品化されるように、俳優の感情もまた消費される。ハドソンの演技は、その産業的欲望のシミュレーションを全身で引き受けている。
彼女は“ハリウッドの顔”を演じながら、同時にその虚構性を暴露する鏡でもある。だからこそ彼女の過剰は、コメディでありながら痛ましい。笑いの中に微かな悲しみが漂うのは、そのせいだ。
軽薄さの中の誠実──“スカスカ”を肯定する映画
観終わったあと、何も残らない──それがこの映画の正直な印象だろう。だが、その“スカスカさ”こそが現代的である。恋愛も仕事も情報も、すべてが即時的で消費的な時代において、“何も残らない”ことはむしろ自然な帰結だ。
『10日間で男を上手にフル方法』は、その空虚を嘆くのではなく、軽やかに笑い飛ばす。愛もキャリアもコンテンツであり、人生とはその更新を繰り返す行為にすぎない。
だからこそ、この映画の明るさには奇妙な誠実さがある。軽薄であることを恥じず、軽薄であることを芸術にまで高めてみせる──それが、2000年代ロマンティック・コメディの美学なのだ。
- 原題/How to Lose a Guy in 10 Days
- 製作年/2003年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/116分
- 監督/ドナルド・ペトリ
- 製作/ロバート・エヴァンス、リンダ・オスト
- 製作総指揮/リチャード・ヴェイン
- 原作/ミシェル・アレクサンダー、ジャニー・ロング
- 脚本/クリスティン・バックリー、ブライアン・レーガン、バー・スティアーズ
- 撮影/ジョン・ベイリー
- 音楽/デヴィッド・ニューマン
- ケイト・ハドソン
- マシュー・マコノヒー
- キャスリン・ハーン
- アニー・パリッセ
- トーマス・レノン
- アダム・ゴールドバーグ
- マイケル・ミシェル
- シャローム・ハーロウ
- ビビ・ニューワース
