この一度聞いたら忘れられない珍妙なタイトルは、大島渚が特に何の意味もなく付けたんだそうだが、それにしても凄まじいタイトルである。
ゲバゲバとは、いわゆる「内ゲバ」とか「外ゲバ」とかで使われるドイツ語の「ゲバルト」から来ているのであって、大橋巨泉・前田武彦の『ゲバゲバ60分』とは関係ないので念のため。
「ゲバルト」とは対権力に対する武力行使である。この映画が製作された69年は「革命」が信じられていた時代であり、その手段としての暴力「ゲバルト」が肯定されていた時代だった(本当は肯定されてないけど)。
僕の世代はいわゆる安保とか学生紛争とかはまったく無縁の「しらけ世代」に属し、ニューアカデミズムの風に染まりまくっていたジェネレーションだったりするので、そういう時代背景とかにはあまり関心がない。
僕がこのビデオを借りた理由は「強烈なエロティシズムとバイオレンスが観たい」、単純にそれだけである。
何てったって、この作品の監督・若松孝ニは元ヤクザだし、そのプロフィールにも「数々のエロスと暴力と政治にかかわる衝撃的な作品を発表し、ピンクの巨匠と呼ばれる」とあるのだ。
いやが上にも期待は高まるじゃんか。60年代日本映画特有のアンダーグラウンド・テイスト、アバンギャルドでスタイリッシュな映像、ナイフのように切れ味鋭いシャープな世界観。僕はエログロ全開の鬼畜映画を期待していたのである。
鮮烈なブラック&ホワイトの世界。どこまでも広がる富士の裾野で、チンピラはボスの情婦たちとセックスしまくる。情婦を絞殺したチンピラは脱走し、裏切られた女は胸に銃弾を撃ち込められ、現実と仮想世界が交錯していく…。
うわあ、『処女ゲバゲバ』ってこんなに演劇的な映画だったのか。全てのセリフに比喩と意味が込められすぎていて、安部公房的な不条理世界では全然ない。
これじゃ単なるプロバガンダ映画っすよ。暴力は様式化されたどつきあいに過ぎず、セックスシーンで小生の○○○は全く勃たない。メッセージとしての強度は強いが、映画としての強度は弱いのだ。
そして時代に風化してしまったそのメッセージすら、「革命」なんぞハナから信じていない僕には全く届かないんである。
- 製作年/1969年
- 製作国/日本
- 上映時間/66分
- 監督/若松孝二
- 脚本/大和屋竺
- 撮影/伊東英男
- 音楽/迷宮世界
- 照明/磯貝一
- 谷川俊之
- 芦川絵里
- 林美樹
- 大和屋竺
- 木俣堯喬
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