2024/8/29

5/SAULT

『5』──謎の覆面ユニットSAULTが放つ、新ブラック・ミュージック宣言

『5』(2019年)は、英国を拠点とする音楽集団SAULTのデビューアルバムで、クレオ・ソルやプロデューサーInfloが主要メンバーとして関わる匿名ユニットによって制作された作品である。収録曲には「Up All Night」「Don’t Waste My Time」「Why Why Why Why Why」「Masterpiece」などが並び、ソウル、R&B、ファンクなど複数のジャンル要素を含む内容となっている。SAULTは顔や詳細な経歴を公にせず活動を続けている。

覆面集団SAULTという現象

SAULTという名前を見るたび、最初は“ソルト”と読むのか“ソー”と読むのか迷ったものだ。しかしWikipediaには“ソー”と記載されているため、ここではその呼称に従うことにする。

この不思議な読みの曖昧さこそが象徴するように、彼らは最初から姿を見せず、音楽だけを前面に押し出してきた匿名集団である。

Start A Universal Love Trend──頭文字を並べたこの言葉には、活動理念そのものが刻まれている。誰が歌っているか、どのような背景を持つかよりも、まず「愛を広げる普遍的な衝動」がある。そうした姿勢こそが、SAULTを現代的でありながら、どこか古い祈りのような存在へと押し上げている。

彼らの正体は長らく謎に包まれていたものの、プロデューサーのInfloや、光の粒子のような声を持つクレオ・ソルが中核メンバーであることは、様々なクレジットやメディア分析から見えてきている。

しかしその“ほぼ断定できる”程度の情報公開こそが重要だ。自分たちの名前を前に出さず、顔も出さず、ただ音だけが漂う。その匿名性が、かえって音楽をより純度の高いものへと押し上げている。SAULTとは一人のアーティストではなく、集合意識そのものなのだ。

そんな彼らのデビュー作『5』(2019年)は、単なる新ユニットのお披露目ではない。ブラック・ミュージックの歴史と未来の結節点が、一枚のアルバムとして突然現れた──そう表現したほうがしっくりくる。

ブラック・ミュージックの“横断”を再定義する

SAULTの音楽の難しさは、ひとつのジャンルに還元できないところにある。

ソウルでもあり、R&Bでもあり、ジャズでもあり、時にはファンクであり、ゴスペルであり、アフロビートであり、さらにはポストパンクの乾いた質感すら纏う。複数の音楽系譜が、互いを否定することなく共存し、密度と呼吸が絶妙に保たれている。

その多層的な世界を支えているのが、Infloによる徹底的に練り込まれたサウンドデザインである。重心の低いリズムが地面を踏みしめ、和声は繊細でありながら大胆に配置され、アンサンブルは必要最小限の音数で空間を支配する。

雑味はなくても厚みがある。簡潔なのに豊穣で、静けさと熱が同時に宿っている。この矛盾の共存こそがSAULTの強度を作り出している。

『5』を再生した瞬間から、その独自性は明らかだ。世界観に“入っていく”のではなく、向こうからこちらへ“入り込んでくる”。音の運動が他のどのアーティストとも異なるのだ。

アルバムの幕開けを飾る「Up All Night」は、跳ねるビートと鋭いベースラインが一気に体を支配する。ディスコやポストパンクのグルーヴを継承しながらも、古さを感じさせないのは、過去の引用に頼っていないからだ。

音が常に “今” の質感をまとっている。シンプルでありながら強烈──その音像がアルバム全体の方向性を一瞬で決定づける。

続く「Don’t Waste My Time」は、SAULT流のポップネスがもっとも分かりやすく表れたトラックだ。短く明快なセンテンスが反復し、その声がリズムと一体化しながら耳に残る。ポップとは何かを改めて定義してしまうほどの軽やかさがある。

M-4「Why Why Why Why Why」は、都市の夜に響くようなアーバンなミニマリズムが印象的だ。抑制されたビートの上を、同語反復のフレーズが幽霊のように浮遊し、空気の密度をじわじわ変えていく。必要な音だけが置かれ、余白が意味を持つ。

そしてアルバムの頂点のひとつが、M-7「Masterpiece」だ。クレオ・ソルの柔らかい声が、ブラック・プライドの精神と重なり合い、包み込むような光を放つ。

メロウでありながら強い芯を持ち、その柔らかさが逆説的に力を生んでいる。この曲が収録されているだけで、『5』というアルバムの輪郭は決定的に引き締まっている。

終盤に向かうにつれ、サウンドは徐々に解きほぐされ、より広い空間へと開かれていく。個の声と共同体の声が重なり、都市と身体、過去と未来がゆっくりと溶け合う。

聴き終えたあとに残るのは、内面的な静けさと、どこか遠くで灯る希望のような感触だ。

“匿名性”がつくり出す自由

SAULTがこれほどまで支持される理由のひとつは、匿名性が音楽表現に稀有な自由度を与えている点にある。

SNSが可視性を前提に文化を回していく時代において、彼らは顔も名前も詳細な背景も晒さない。これは単なる戦略的匿名ではなく、音楽がメッセージそのものとして存在するための“沈黙の枠組み”である。

さらに彼らのサウンドには、常に“共同体の気配”が宿っている。個人の叫びではなく、複数の声や歴史や感情が折り重なってひとつの音楽になっていく。その響きの奥には、ブラック・ミュージックの過去を引き受けながら、未来を編み直そうとする強い意思が漂っている。

『5』というアルバムは、聴く者に内省を促すだけでなく、世界の輪郭をもう一段階明るくする。音が灯す光が、聴き手の心の奥で呼吸を始めるのだ。

DATA
  • アーティスト/SAULT
  • 発売年/2019年
  • レーベル/Forever Living Originals
PLAY LIST
  1. Up All Night feat. クレオ・ソル
  2. Don’t Waste My Time
  3. Foot on Necks
  4. Why Why Why Why Why
  5. Pink Sands
  6. Let Me Go
  7. Masterpiece
  8. Add a Little Bit of Sault
  9. Something’s in the Air
  10. Think About It
  11. Wild Hundreds, Pt. 5
  12. We Are the Sun
  13. Wild Hundreds, Pt. 55
  14. B.A.B.E