『5』──謎の覆面ユニットSAULTが放つ、新ブラック・ミュージック宣言
『5』(2019年)は、英国を拠点とする音楽集団SAULTのデビューアルバムで、クレオ・ソルやプロデューサーInfloが主要メンバーとして関わる匿名ユニットによって制作された作品である。収録曲には「Up All Night」「Don’t Waste My Time」「Why Why Why Why Why」「Masterpiece」などが並び、ソウル、R&B、ファンクなど複数のジャンル要素を含む内容となっている。SAULTは顔や詳細な経歴を公にせず活動を続けている。
覆面集団SAULTという現象
SAULTという名前を見るたび、最初は“ソルト”と読むのか“ソー”と読むのか迷ったものだ。しかしWikipediaには“ソー”と記載されているため、ここではその呼称に従うことにする。
この不思議な読みの曖昧さこそが象徴するように、彼らは最初から姿を見せず、音楽だけを前面に押し出してきた匿名集団である。
Start A Universal Love Trend──頭文字を並べたこの言葉には、活動理念そのものが刻まれている。誰が歌っているか、どのような背景を持つかよりも、まず「愛を広げる普遍的な衝動」がある。そうした姿勢こそが、SAULTを現代的でありながら、どこか古い祈りのような存在へと押し上げている。
彼らの正体は長らく謎に包まれていたものの、プロデューサーのInfloや、光の粒子のような声を持つクレオ・ソルが中核メンバーであることは、様々なクレジットやメディア分析から見えてきている。
しかしその“ほぼ断定できる”程度の情報公開こそが重要だ。自分たちの名前を前に出さず、顔も出さず、ただ音だけが漂う。その匿名性が、かえって音楽をより純度の高いものへと押し上げている。SAULTとは一人のアーティストではなく、集合意識そのものなのだ。
そんな彼らのデビュー作『5』(2019年)は、単なる新ユニットのお披露目ではない。ブラック・ミュージックの歴史と未来の結節点が、一枚のアルバムとして突然現れた──そう表現したほうがしっくりくる。
ブラック・ミュージックの“横断”を再定義する
SAULTの音楽の難しさは、ひとつのジャンルに還元できないところにある。
ソウルでもあり、R&Bでもあり、ジャズでもあり、時にはファンクであり、ゴスペルであり、アフロビートであり、さらにはポストパンクの乾いた質感すら纏う。複数の音楽系譜が、互いを否定することなく共存し、密度と呼吸が絶妙に保たれている。
その多層的な世界を支えているのが、Infloによる徹底的に練り込まれたサウンドデザインである。重心の低いリズムが地面を踏みしめ、和声は繊細でありながら大胆に配置され、アンサンブルは必要最小限の音数で空間を支配する。
雑味はなくても厚みがある。簡潔なのに豊穣で、静けさと熱が同時に宿っている。この矛盾の共存こそがSAULTの強度を作り出している。
『5』を再生した瞬間から、その独自性は明らかだ。世界観に“入っていく”のではなく、向こうからこちらへ“入り込んでくる”。音の運動が他のどのアーティストとも異なるのだ。
アルバムの幕開けを飾る「Up All Night」は、跳ねるビートと鋭いベースラインが一気に体を支配する。ディスコやポストパンクのグルーヴを継承しながらも、古さを感じさせないのは、過去の引用に頼っていないからだ。
音が常に “今” の質感をまとっている。シンプルでありながら強烈──その音像がアルバム全体の方向性を一瞬で決定づける。
続く「Don’t Waste My Time」は、SAULT流のポップネスがもっとも分かりやすく表れたトラックだ。短く明快なセンテンスが反復し、その声がリズムと一体化しながら耳に残る。ポップとは何かを改めて定義してしまうほどの軽やかさがある。
M-4「Why Why Why Why Why」は、都市の夜に響くようなアーバンなミニマリズムが印象的だ。抑制されたビートの上を、同語反復のフレーズが幽霊のように浮遊し、空気の密度をじわじわ変えていく。必要な音だけが置かれ、余白が意味を持つ。
そしてアルバムの頂点のひとつが、M-7「Masterpiece」だ。クレオ・ソルの柔らかい声が、ブラック・プライドの精神と重なり合い、包み込むような光を放つ。
メロウでありながら強い芯を持ち、その柔らかさが逆説的に力を生んでいる。この曲が収録されているだけで、『5』というアルバムの輪郭は決定的に引き締まっている。
終盤に向かうにつれ、サウンドは徐々に解きほぐされ、より広い空間へと開かれていく。個の声と共同体の声が重なり、都市と身体、過去と未来がゆっくりと溶け合う。
聴き終えたあとに残るのは、内面的な静けさと、どこか遠くで灯る希望のような感触だ。
“匿名性”がつくり出す自由
SAULTがこれほどまで支持される理由のひとつは、匿名性が音楽表現に稀有な自由度を与えている点にある。
SNSが可視性を前提に文化を回していく時代において、彼らは顔も名前も詳細な背景も晒さない。これは単なる戦略的匿名ではなく、音楽がメッセージそのものとして存在するための“沈黙の枠組み”である。
さらに彼らのサウンドには、常に“共同体の気配”が宿っている。個人の叫びではなく、複数の声や歴史や感情が折り重なってひとつの音楽になっていく。その響きの奥には、ブラック・ミュージックの過去を引き受けながら、未来を編み直そうとする強い意思が漂っている。
『5』というアルバムは、聴く者に内省を促すだけでなく、世界の輪郭をもう一段階明るくする。音が灯す光が、聴き手の心の奥で呼吸を始めるのだ。
- アーティスト/SAULT
- 発売年/2019年
- レーベル/Forever Living Originals
- Up All Night feat. クレオ・ソル
- Don’t Waste My Time
- Foot on Necks
- Why Why Why Why Why
- Pink Sands
- Let Me Go
- Masterpiece
- Add a Little Bit of Sault
- Something’s in the Air
- Think About It
- Wild Hundreds, Pt. 5
- We Are the Sun
- Wild Hundreds, Pt. 55
- B.A.B.E
