知性と肉体を揺さぶる、制御とカオスの臨界点
LAのアンダーグラウンドからひっそりと放たれた『Music for Saxofone & Bass Guitar』(2018年)は、そのミニマルなタイトルが示す通り、サックスとベースというシンプルな編成を軸にした作品である。だがその響きは、決して小さくまとまることなく、現代ジャズの可能性を大きく拡張してみせた。
サム・ゲンデル(saxophone)は、もともとLAのシーンで活躍する異能の即興奏者であり、トラディショナルなジャズのフォーマットから軽やかに逸脱していく姿勢で注目を集めていた。
一方のサム・ウィルクス(bass)は、セッションベーシストとして数多くのアーティストを支えながら、ビートミュージックやヒップホップ以降の感性を柔軟に取り込んできた存在だ。この二人の邂逅によって生まれた本作は、ジャズでもファンクでもアンビエントでもありながら、そのいずれにも完全には回収されない独自の音楽性を放っている。
冒頭の「BOA」は、サックスのループとベースのグルーヴが絡み合い、トランス的な恍惚感を生む。ゲンデルのサックスはメロディ楽器であることを拒否し、むしろエフェクト処理によってテクスチャー的に用いられる。そのサウンドに、ウィルクスのベースが呼吸するようなリズムを与え、結果として「音響彫刻」のような立体感を生み出す。
続く「Kiefer No Melody」では、より即興性が前面に押し出される。タイトルにあるキーファーは同じくLAジャズ・シーンの俊英キーボーディストKieferのことを指していると思われるが、「No Melody」という逆説的な言葉通り、ここで聴かれるのは旋律ではなく、断片化された音の身振りである。旋律がないことで、かえって「間」や「残響」が際立ち、ジャズの即興性が新しい次元へと開かれていく。
本作のハイライトのひとつが「Greetings to Idris」。ここではアフリカン・リズムの残響を思わせるベースラインに、エフェクトをまとったサックスが霧のように漂う。タイトルの「Idris」とは、スピリチュアル・ジャズの名ドラマー、イドリス・ムハマドへのオマージュとも解釈できるだろう。ジャズ史へのリスペクトを滲ませつつ、それを完全に現在のビート・カルチャーへと翻訳している点が実に現代的だ。
終盤に収められた「Theem and Variations」では、より抽象度を高め、サックスがドローンのように鳴り響き、ベースが空間に点描を打ち込む。ここに至ると、もはやジャズの領域を超えてアンビエントやミニマル・ミュージックに近接している。エレクトロニックな処理を伴いながらも、二人が奏でるのはあくまで肉体を通じて生まれる「呼吸する音」なのだ。
『Music for Saxofone & Bass Guitar』は、ジャズの伝統を踏まえつつ、ポスト・インターネット世代の感性でそれを解体・再構築した作品である。シンプルな楽器編成から、これほど豊かなテクスチャーとグルーヴを紡ぎ出す二人の創造性には驚かされるばかりだ。
Flying LotusやKNOWERなどLAの音楽家たちが進めてきた「ジャンルの脱構築」とも共鳴しつつ、この作品は独自のミニマリズムによってシーンのなかでも異彩を放っている。
つまりこのアルバムは、タイトルが示す以上のものを内包している。たった二つの楽器が、ジャズを過去の形式から解放し、未来の響きへと開く――その証明として『Music for Saxofone & Bass Guitar』は2010年代ジャズの重要なマイルストーンのひとつに数えられるべきだろう。
- アーティスト/サム・ゲンデル、サム・ウィルクス
- 発売年/2018年
- レーベル/Leaving Records
- BOA
- THEEM AND VARIATIONS
- TRACK ONE
- GREETINGS TO IDRIS
- IRISH
- KIEFER NO MELODY
- YOU’LL NEVER GET TO HEAVEN
