『Shades of Blue』(2003年/マッドリブ)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『Shades of Blue』(2003年)は、ヒップホップ界屈指の異才、マッドリブ(Madlib)がジャズの名門ブルーノートの膨大なアーカイヴへと分け入り、その歴史を自身のビート美学によって再構築した野心作。本作は、単なるサンプリングの集積を超え、伝説的なジャズの魂とストリートの感性が時空を超えて共鳴する、極めて濃密な音響体験を提示している。収録された「Slim’s Return」や「Steppin’ Into Tomorrow」に見られるように、原曲の持つ芳醇なグルーヴを活かしつつ、マドリブ特有のざらついたドラムやサイケデリックなエフェクトを加えることで、ジャズの伝統に新たな生命を吹き込んでいる。
- 2004年ミュージック・マガジン:年間ベスト・アルバム テクノ/ハウス/ヒップホップ[海外]部門 第1位
- Pitchfork:The Top 50 Albums of 2003 第42位
- 米ビルボード誌:Top Contemporary Jazz Albums 第1位
サンプリングの冬と、過去を再構築するヒップホップの宿命
コーネリアスのインタビュー記事を読んでいたら、「今、著作権の問題っていうのは本当に厳しい」ということを語っていて、その煩雑な権利処理のためにリミックス作品集『CM3』(2009年)のリリースが大幅に遅れてしまったというエピソードが明かされていた。
確かに冷静に考えてみれば、サンプリングに対する法的な規制がまだそれほど厳格に機能していなかった1980年代から90年代前半に比べて、21世紀以降の音楽シーンは、サンプリングを主体とするビートメイカーたちにとって文字通りの「冬の時代」なのかもしれない。
当時は、ザ・KLFのように他人のヒット曲や歴史的名盤を無断で大胆にサンプリングし、訴訟沙汰スレスレ(あるいは完全にアウト)の挑発的なコラージュ作品を世に放つような輩も存在した。
無法地帯ゆえの豊かさとでも言うべきか、あの時代のヒップホップやクラブ・ミュージックには、無許可のサンプリングが生み出す特有のスリルと、闇鍋的な音のミクスチャーがもたらす異様な熱気が渦巻いていた。
しかし現代において、メジャーな流通に乗る作品でそれをやることは不可能に近い。クリアランスを法的に解決する有能なスペシャリストのチームを抱えていないと、サンプリング元のレーベルや権利者から即座に訴えられ、天文学的な賠償金を請求されるエラいことになってしまう。
過去の膨大なミュージック・アーカイヴの中から光るワンループを見つけ出し、自由なエディットを施すことでリスナーに全く新しいビートを提供するヒップホップというジャンルにおいて、これは表現の根幹を揺るがす死活問題である。
ヒップホップの精神とは、過去の音源を参照(リファランス)し、文脈をハッキングすることで現在をブロウアップさせることにあるのだから。
ブルーノートという巨大な遺産と、マッドリブに与えられた鍵
しかしながら、アメリカ西海岸のアンダーグラウンドなヒップホップ・シーンでカルト的な支持を集めてきたプロデューサー、マッドリブは、この息苦しい時代において思いがけない僥倖にありついた。
なんと、ジャズの歴史そのものと言っても過言ではない超名門レーベル、ブルーノート(Blue Note Records)の門外不出の音源ストックを、マスターテープのレベルからいくらでも自由に使ってよし、というアンビリーバボーなチャンスを得たのである。そうして生み出されたのが、彼のキャリアの中でも特異な輝きを放つ傑作アルバム『Shades of Blue』(2003年)だ。
ブルーノートの音源といえば、ア・トライブ・コールド・クエストをはじめとする無数のヒップホップ・アーティストたちが、長年にわたって(時には無断で)サンプリングソースとして重宝してきた、いわばビートメイカーたちにとっての聖杯である。
そのアーカイヴへのフリーパスを与えられるというのは、レコード屋の地下室で埃まみれのヴァイナルを掘り続けてきたビート・ジャンキーからすれば、まさに夢のような出来事だろう。
そもそもマッドリブは、ディジー・ガレスピーの系譜を継ぐ著名なジャズ・トランペッターであるジョン・ファディスを実の叔父に持ち、幼少時から極めて上質なジャズのヴァイブスに親しんで育ったという背景がある。
彼自身もイエスタデイズ・ニュー・クインテットという架空のジャズ・バンド名義で活動しているほどで、ブルーノート側が彼に白羽の矢を立てたのは、決して単なる話題作りのための奇を衒ったコラボレーションなどではなく、ジャズという音楽の血脈を正しく現代のビートへと翻訳できる、稀有な才能への絶対的な信頼があったからに違いない。
過剰なエディットを拒む“懐石料理”としてのビートメイク
僕自身は体系的なジャズの素養が深く備わっているわけではないので、このアルバムに収録された各楽曲の元ネタについて、ジャズ史的な観点から高尚な解説をすることはできない。
しかし、彼が生み出すファンキーで土臭いブレイクビーツの隙間に、ドナルド・バードやホレス・シルヴァーといった巨星たちの神々しい音源が、ほとんど未加工のままインサートされていくその独特の手つきの面白さは、直感的に理解できる。
現代のビートメイクにおいては、サンプリング元の原曲が判別できないほどに波形を細かく切り刻み(チョップ)、複雑に再構築して自己の作家性を誇示するアプローチも多い。権利問題の逃れ道としてそういった過剰なエディットが発達した側面もある。しかし、本作におけるマッドリブのアプローチは、その対極にある。
彼は素材を細切れに刻むような野暮なことはしない。まるで新鮮な魚をそのまま引いて皿に盛るような、素材本来の圧倒的な旨味を最大限に活かした“懐石料理”とでもいうべき素朴さでビートを組んでいるのだ。
ブルーノートという世界遺産級の巨大な音楽資産をコラージュするにあたって、一部のコアなヒップホップ・リスナーからは「マッドリブにしてはドープさが足りない」とか「サンプリングの処理がカジュアルすぎる」「作り込みが甘い」といった批判的な意見もチラホラと見受けられた。
確かに、彼の他のアンダーグラウンドな名義の作品群に比べると、本作のサウンドは驚くほど風通しが良く、聴きやすい。だが、僕のようなジャズのビギナー・リスナーにとっては、その小難しさの一切ないオープンなサウンドスケープが、途方もなく心地よく響くのだ。
「Steppin’ Into Tomorrow」がもたらすソフトな高揚感
そのマッドリブ流のカジュアルな手腕が最も見事に結実しているのが、アルバムの10曲目に収録された「Steppin’ Into Tomorrow」である。
ドナルド・バードによる1970年代のオリジナル楽曲が持つ、コズミックでソウルフルな浮遊感を完璧に引き継ぎながらも、マッドリブ特有のざらついたローファイな質感のドラムブレイクが極上のグルーヴを生み出している。
このトラックのサウンド・プロダクションには、決して暴力的なアッパーさではない、ひたすらに柔らかくソフトな高揚感があって、部屋で流しているだけで一気に体内のテンションが静かにアガっていくのを感じる。
いやマジで、これはサイコーのトラックだ。反復されるベースラインとサンプルの心地よさに、完全に脳が持っていかれる。一度再生ボタンを押せば、いつまでもループから抜け出せなくなるほどの強烈な中毒性が潜んでいる。
世界的な権威を持つブルーノートの歴史的名盤という、下手なミュージシャンならプレッシャーで押し潰されてしまいそうな巨大な山脈を前にしても、マッドリブはまったく気負っていない。
まるで地元のレコード屋で1ドルのジャンク盤を漁るのと同じようなリラックスしたスタンスで、歴史的遺産をサクッと切り取り、極上のビートへと昇華させてみせる。
この“カジュアルさ”こそが、彼の最大の武器であり、何者にも縛られない自由なヒップホップの精神そのものだ。偉大な過去の遺産は、美術館のガラスケースに飾って恭しく崇めるよりも、こうして現代のビートに乗せてカジュアルに踊らせてしまう方が、ずっと魅力的で美しい。
参考文献・出典
- アーティスト/マッドリブ
- 発売年/2003
- レーベル/ブルーノート・レコード
- ジャンル/ヒップホップ、ジャズ
- プロデューサー/マッドリブ
- 1. Introduction
- 2. Slim's Return
- 3. Distant Land: Hip Hop Drum Mix
- 4. Mystic Bounce
- 5. Stormy
- 6. Blue Note Interlude
- 7. Please Set Me At Ease
- 8. Funky Blue Note
- 9. Alfred Lion Interlude
- 10. Steppin' Into Tomorrow
- 11. Andrew Hill Break
- 12. Montara
- 13. Song For My Father
- 14. Footprints
- 15. Peace/ Dolphin Dance
- 16. Outro
- Shades of Blue(2003年)
![Shades of Blue/マッドリブ[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/1007405651.jpg)