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敵/筒井康隆

老いがもたらす認識の揺らぎを、細かな日常生活の素描で描く文学的実験

監督/吉田大八、主演/長塚京三の映画が公開されたタイミングで読んでみた。元大学教授の渡辺儀助が悠々自適の生活を営む、ライフログ的小説。お恥ずかしながら、筒井康隆の小説ファースコト・コンタクトです。

敵
『敵』(吉田大八)

この小説のチャプターは「朝食」、「友人」、「物置」、「講演」、「病気」、「麺類」というように分かれていて、それぞれめちゃくちゃ細かいディテールで日常生活が素描されている。「メジャーカップに十分の九の水を加えて炊飯器で炊くと儀助の好みの飯になる」とか「(麺を)茹でる時間は包装紙に書いてあるが儀助はこれを信用せず茹でながら自分で何度か一、二本食べてみて好みのやや固いめで揚げる」とか。

だから読んでいるうちにこの老人の普段の食事、家の間取り、健康状態、友人関係、財政状況が手に取るようにわかってくる。小説を読むというより、レシピや健康診断書や銀行通帳を覗き見ているような感じ。

だから、「巣巣巣巣巣巣巣巣巣擬死擬死擬死阿吽阿吽阿吽」とか「痴痴痴痴痴痴痴宙宙宙宙注注注」おかしな漢字の羅列が目に入るとなおさらギョッとする。「ひしひしと」を「秘史秘史」と表記するなど、意味と音がズレる手法も作品全体に不穏さをもたらす。

買い物や料理、隣人との会話といった些細な行為の積み重ねに、不吉な影が時折さしこんでくる謎感覚。老年期に差しかかった老人の、自分では正常だと思っているのに、ちょっとずつ不具合が散見されるような感じ。

物語中で“敵”とは北からやってくる難民や暴徒として噂される存在だが、その正体は、孤独、痴呆、死といった、老いそのものだろう。独り言、妄想、夢、そして現実の出来事がシームレスに混じり合い、もはや何が現実で何が妄想なのかは判別不可能。前述した漢字オンパレードも、現実が歪んでいく精神状態を表現したもの。老いがもたらす認識の揺らぎ、内面世界の不確かさが、文学的実験として構築されている。

「自分は文化的教養が高く、今でも十分性的魅力はあるはずだ」と思い込んでいるプライドの高い見栄も、呆れるを通り越して逆に物悲しい。自身の性欲を自制し、節度を保とうとする姿が描かれる一方で、過去の教え子との関係を夢想する場面は、老いの残酷さがまざまざと描かれている。

本来ならば善と悪、自己決断と偶然、神や運命の不在といった哲学的テーマを内包しながら、それを大上段から語るようなテーマであるにも関わらず、細部描写のユーモアや軽妙さが、重苦しいテーマを押し付けがましくなく読ませるあたりが、筒井康隆節なのかもしれない。

DATA
  • 著者/筒井康隆
  • 発売年/1998年
  • 出版社/新潮社