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(500)日のサマー/マーク・ウェブ

『(500)日のサマー』──妄想の果てに現実が待っている

『(500)日のサマー』(原題:500 Days of Summer/2009年)は、音楽と恋が交錯する等身大の恋愛ドラマ。建築家志望の青年トム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、自由奔放な女性サマー(ズーイー・デシャネル)に惹かれ、恋の理想と現実の落差に翻弄されていく。The SmithsやDovesなどのUKロックが彩る映像世界の中で、幻想の恋が終わり、男が“大人になる瞬間”を描く。マーク・ウェブ監督の長編デビュー作。

草食系男子の“幻想”が弾ける瞬間

草食系妄想男子がステキ女子に恋をしてフラれるまでを、ザ・スミス、ダヴズ、サイモン&ガーファンクルといったゴキゲンミュージックと、PVを数多く手がけてきた新鋭マーク・ウェブによるカラフルな映像マジックで描く、ちょっと不思議なラブストーリー。

ネットを中心にこの映画の評価がエラく高かったんで、半額の日でもないのにわざわざ通常料金でDVDレンタルしてきました。吸い込まれそうなブルー・アイと、自由奔放なキャラクターで、主人公のトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)をすっかり骨抜きにしてしまうサマーちゃんが、とにかく天下無双の可愛らしさ。

演じるズーイー・デシャネル嬢は、3/4がアイリッシュ、1/4がフランス人の血を引いている若手女優だが、シー&ヒムなるロックデュオでCDデビューを果たしている歌手でもある。

カラオケ大会でピクシーズをチャーミングに歌いあげ、トムがメロメロになるシーンがあるが、実績&素養を兼ね備えているのだ。ガーリッシュなファッション・センスを誇るオシャレ番長にして、ベル・アンド・セバスチャンの歌詞を卒業アルバムに引用してしまうほどのサブカル系女子。

恋愛偏差値の低いトムくんならずとも、文科系男子なら誰もが恋心を抱いてしまうこと必至。IKEAのベッドで幸せそうに横たわる彼女の横顔なんぞ、オイ!マジ可愛いッス!やばいッス!

このあたりの“サブカル恋愛幻想”の演出が、マーク・ウェブ監督のミュージック・ビデオ出身らしさをいかんなく発揮している。ザ・スミスの「There Is a Light That Never Goes Out」が劇中で流れる時点で、この映画の感性は明らか。

80年代UKインディのメランコリックな響きが、現代の孤独な若者たちの“恋する痛み”をエモーショナルに包み込む。幻想と現実の切り替えが、楽曲のタイミングと完璧に同期しているのだ。

ロマコメではなく、現代の“非対称な恋愛劇”

しかしこの映画、まかり間違ってもロマンチック・コメディーには非ず。運命の女性と信じ込んでいたサマーに、「私たちは運命じゃなかった」という地雷コメントを言わせてしまうほど、極めてドライな視座に貫かれた等身大の物語なのだ。

男女の恋愛の機微を非予定調和的に綴っていることから、『アニー・ホール』とも比肩されることが多いようだが、かといってその話術がウッディ・アレン的アイロニーと通じるかというと、そうでもなかったりする。

「音楽にダンス、スプリット・スクリーンにナレーション、カートゥーンの鳥まで登場する。ないのは皮肉だけだ」

とシナリオを手がけたスコット・ノイスタッターが語っている通り、これは極めてシンプルな恋愛映画。

斜に構えた描写は一切なし。コンプレを剥き出しにして、皮肉と嘲笑を映画内に散乱しまくるウッディ・アレン・タッチとは正反対のポイント・オブ・ビュー。意地らしいくらいに、サマーちゃんへの素直な恋慕が全編を覆っている。

ウェブ監督の語り口は、映像のカット割りと音楽編集によって感情の起伏を描く“視覚的リズム”に特徴がある。トムが恋に落ちる瞬間は、画面全体がアニメーションのように弾み、失恋する瞬間には淡いグレートーンに変化する。

セリフよりもトーン、トーンよりも間。言葉ではなく映像で「心の温度差」を可視化する。恋愛という非対称な関係を、ここまでリズミカルに描ける監督はそう多くない。

妄想からの脱出──青年のリ・ボーン

男女の甘い蜜月をただスウィートに描くのではなく、蜜月が過ぎ去ったビター・テイストな「その後」も、時制をシャッフルさせながらキッチリ描いていく。

青春の残酷と、しかしその先にある新しい人生の船出を、『(500)日のサマー』はちょっと信じられないくらい巧みに素描している。そう!草食系妄想男子が妄想から解き放たれ、一人前の漢としてリ・ボーンする瞬間にこそ、この映画の最大のマジックが潜んでいるのだ。

ウェブは「恋の始まりと終わり」を対称構図で撮る。恋に落ちるトムと、別れを告げるサマー──どちらも窓際のカフェ、同じアングル、同じ距離。

だが光の向きだけが反転している。つまり、“恋の終わり”とは“最初の光”を見つめ直すことなのだ。この構図の反復は、音楽と同様に映画的ポエジーを形成している。

ジョセフ・ゴードン=レヴィットの演技も秀逸で、ラブストーリーの“被害者”ではなく、“成長する観察者”としてトムを成立させている。彼はフラれて終わるのではなく、愛の不在を通してようやく自分を発見する。

映画が最後に提示する「オータム」という新たな出会いのメタファーは、失恋映画の中では異例のほどの希望を湛えている。恋の終わりは、次の季節の始まり──この映画が描いているのは、まさに“再生の物語”なのだ。

“ポップ”という現実、そして恋愛というリズム

『(500)日のサマー』が優れているのは、サブカル的感性を安易な記号にせず、人生のリズムとして描いた点にある。音楽、ファッション、デザイン、インテリア──それらは恋愛の“背景”ではなく、彼らの内面の投影なのだ。

ピクシーズやザ・スミスが鳴り響く瞬間、画面の中の恋は確かに輝く。だが同時に、それは観る者がもう戻れない“青春の幻影”でもある。恋をするとは、自分の世界を更新すること。妄想を脱ぎ捨てて、現実と向き合うこと。だからこそ、この映画の最後の一瞬には、ロマンチックではないが確かな希望がある。

世の妄想系男子よ、この映画を観て現実の恋愛に正面からぶつかるべし。恋愛とは、痛みと恥ずかしさの総合格闘技である。だけど、その痛みを経てこそ、人はようやく現実と握手できるのだ。

DATA
  • 原題/(500) Days of Summer
  • 製作年/2009年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/96分
STAFF
  • 監督/マーク・ウェブ
  • 製作/マーク・ウォーターズ、ジェエシカ・タッキンスキー、メイソン・ノヴィック、スティーヴン・J・ウルフ
  • 脚本/スコット・ノイスタッター、マイケル・H・ウェバー
  • 撮影/エリック・スティールバーグ
  • プロダクションデザイン/ローラ・フォックス
  • 衣装/ホープ・ハナフィン
  • 編集/アラン・エドワード・ベル
  • 音楽/マイケル・ダナ、ロブ・シモンセン
CAST
  • ジョセフ・ゴードン=レヴィット
  • ゾーイ・デシャネル
  • ジェフリー・エアンド
  • マシュー・グレイ・ガブラー
  • クロエ・グレース・モレッツ
  • クラーク・グレッグ
  • レイチェル・ボストン
  • ミンカ・ケリー
  • パトリシア・ベルチャー