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『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)ウィーンに舞う14時間の恋

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)
映画考察・解説・レビュー

9 GREAT

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(原題:Before Sunrise/1995年)は、ウィーンの街で偶然出会ったアメリカ人青年ジェシーとフランス人学生セリーヌが、一夜のあいだ語り合い、心を通わせていく物語である。列車での邂逅から始まる十四時間の散歩は、恋愛というよりも、言葉によって世界を発見する旅。リチャード・リンクレイター監督が、時間と会話の奇跡を静かに描き出す。

ジュリー・デルピー、輝かしい奇跡

親愛なるジュリー・デルピー様

初めてお手紙を差し上げます。ライターの竹島ルイと申します。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)を拝見して以来、貴女に伝えたい言葉が胸の内で幾度も形を変えながら滞留しておりました。ようやく、それを文章にできそうな気がいたしました。

この映画を観ることは、恋を体験することに似ています。アメリカ人の青年ジェシーと、フランス人の学生セリーヌ。列車の中で偶然出会った二人が、ウィーンの街を歩きながら語り合う――ただそれだけの物語。

けれど、その“ただそれだけ”の時間が、映画史においてこれほど輝かしい奇跡として残ることを、私は今も信じがたい思いで見つめています。

貴女がスクリーンの中で語る一言一言は、まるで音楽の旋律のようでした。この作品に起承転結はなく、劇的な事件もありません。ただ二人が言葉を交わし、沈黙を共有し、世界を“発見していく”。リンクレイター監督は、物語ではなく時間そのものを撮っています。

街のざわめきや教会の鐘の音が、劇伴の代わりに響き、観客は“聞く映画”の体験を味わう。貴女の声の抑揚、息づかい、微笑のタイミングが、そのまま映画のリズムになる。

私は思いました。――この作品は恋愛映画ではない。会話という音楽が、十四時間の現実を支配する“存在の映画”なのだと。

視線の往復──時間のなかに生まれる恋

セリーヌという女性を通して、貴女は知性と感情のはざまに立つ現代の女性像を見事に具現化しておられました。哲学的な問いを軽やかに語りながらも、理屈に飲み込まれることはない。貴女の英語は、ネイティヴのような攻撃性を拒み、ピアノの弱音のように柔らかく響きます。

一音一音の裏に、ためらいと慈しみが宿っている。沈黙までもが音楽的であり、貴女の声が流れるだけで、ウィーンの空気が振動するのを感じます。

リンクレイター監督が劇伴を排除したのは偶然ではありません。貴女の声そのものが旋律であり、映画の魂だからです。

この映画が描くのは、恋の成就ではなく“恋が生まれつつある時間”です。レコードショップの試聴室でキャス・ブルームの「Come Here」を聴く場面。観覧車でのさりげない抱擁。夜の公園での会話――いずれも劇的な出来事ではありません。

しかし、カメラは二人の視線の交わりを静かに見守り、時間の経過そのものが愛の成熟を語りはじめます。貴女の眼差しには、理性と情熱が同居しています。

恋人を見つめながら、どこか遠くを見ているような――それは恋を“観察”するまなざし。所有ではなく観察。愛を掴もうとせず、ただそこにある時間を慈しむ。

貴女にとって恋とは、感情の爆発ではなく、呼吸のリズムの中で生まれる“存在の音楽”なのだと感じました。

ウィーンという記憶装置──偶然と必然の境界で

貴女が歩いたウィーンの街は、映画のもう一人の登場人物でした。石畳の道、古い観覧車、カフェの木製テーブル。そこには過去と現在が重なり、時間の層が可視化されています。

墓地で死と記憶を語り、夜明け前の公園で永遠を語る貴女。ウィーンという都市が、その会話の余白に静かに呼吸している。貴女の姿は、都市に溶け込む一つの旋律のようでした。

歩くたびに風景が動き、街の記憶が目覚めていく。ウィーンはもはや背景ではなく、恋そのものの記録媒体――時間が刻まれたフィルムなのです。

そして、別れの朝。半年後の再会を約束して、貴女は列車に乗り込みます。振り返りもせず、涙も見せず、ただ軽く一瞥をくれるだけ。その冷静な仕草の中に、言葉にならない余韻が残ります。

貴女は恋を“終わらせる”のではなく、“時間に返す”のです。愛を出来事としてではなく、時間の一部として受け入れる。それは、恋愛の哲学というよりも、存在の美学でした。

貴女にとって愛とは、永遠を誓うことではなく、瞬間を最大限に肯定すること。その潔さが、映画のラストを永遠にしているのだと思います。

時間の女優として──ジュリー・デルピーという思想

貴女はその後も、同じセリーヌを演じ続けました。『ビフォア・サンセット』、そして『ビフォア・ミッドナイト』。シリーズを通して、貴女は“時間”というものを身体で演じた唯一の俳優だと思います。

若さと理想に満ちたこの作品での貴女の姿には、すでに老いや孤独の影が潜んでいる。観客がまだ気づかぬうちに、貴女は“時間”を体内に宿していた。

『ビフォア・サンライズ』は、恋愛映画ではなく“時間の映画”です。人は出会い、語り、そして別れる。その一瞬の光を、貴女は永遠に封じ込めた。

貴女の言葉の一つひとつは、愛の告白であり、同時に時間への祈りです。映画が終わっても、観客の心の中で二人の会話が続いている。――それはもう映画ではなく、過ぎ去った時間への手紙なのです。

貴女の声が響く限り、映画は時間を超えて生き続けます。ウィーンの石畳の上を歩く貴女の足音を、私は今も心の中で聞いています。あの十四時間の夜が、人生のどんな長い歳月よりも豊かに思えるのは、貴女がその時間を“愛そのもの”に変えてしまったからでしょう。

これが、貴女に宛てた最初の手紙です。そしてきっと、これからも折に触れて、貴女へ手紙を書き続けることになるでしょう。

草々
竹島ルイ

DATA
  • 原題/Before Sunrise
  • 製作年/1995年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/101分
  • ジャンル/恋愛
STAFF
  • 監督/リチャード・リンクレイター
  • 脚本/リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、キム・クリザン
  • 製作/アニー・ウォーカー=マクベイ
  • 製作総指揮/ジョン・スロス
  • 撮影/リー・ダニエル
  • 音楽/フレッド・フリス
  • 編集/サンドラ・エイデアー、シェリ・ギャロウェイ
CAST
  • イーサン・ホーク
  • ジュリー・デルピー
  • アーニ・マンゴールド
  • ドミニク・キャステル
  • ハイモン・マリア・バッテンガー
  • アンドレア・エッカート
  • ハンナ・ポシ
FILMOGRAPHY
SERIES